するめ日記
DiaryINDEXpastwill


2013年04月08日(月) あれから20年

そう。忘れてたの。今年4月で北海道から神奈川にきて20年も経ったのよ。
20年だよ?人生の半分以上だよ?ありえないっしょ。
神奈川に来たときに今もなお神奈川にいてそして同じ会社にずーっといてしかも独身だなんて思ってなかったよねー。笑える。

空港まで両親が送ってくれてね。
なんか明るく「じゃあね!」って感じでさらっとバイバイしたんだよ。
兄ちゃんの時に1度別れを経験しているから涙なしでさ。
それもまたありかなと。でも実際は泣きたくてこらえてたんだけどさ。
で、いとこが迎えに来てくれてて中野をブラブラして買い物してカラオケ行っていとこの家に川の字になって寝ていとこの歯軋りがひどくってw
そんで何日か後には寮まで送ってくれて。
あぁここに住むんだなぁって。
試験受けた時に会った同期の子と同じ階で、そんでまた同じ階の同期の子の部屋からお母さんが出てきて自己紹介したのんがゆかまろだった。ゆかまろの部屋にはうちらにはないTVがあってね(正確にはうちらはまだ買い揃えてないだけです)うぉー!TV!みたいなw あんなTVが恋しかったことがなかったよw
そっから3人で一緒に寝たり横浜行ったりいろいろでかけたなぁ。
初任給は7万くらいだったかな。定かじゃない。
でもド田舎からきたうちはそんな大金もらったこともないし使い道もわかんなくてね。それでも両親と兄ちゃんにはプレゼントに洋服を送ったんだよね。
お母さんはもちろんのこと兄ちゃんが「ありがとね」って言うなんて思わなくてすげーうれしくてさ。でもお父さんは1度もその服を着てないんじゃないかな?まぁお父さんらしいけどね。
実家から来る電話は寮内の放送で「ピンポンパンポ〜ン♪辻さーん、辻さーん、お電話です」っつって4階から1階にスリッパで駆け下りてピンクの公衆電話でなまりのある言葉でどんだぁ??なんて言ったりして。
そんで何ヶ月かは電話の度に涙こらえて、ホームシックになってたりしてほんとつらかったなぁ。

その何年か後にはホームシックもなくなって遊びほうけて散財したり、今となってはたまにホームシックになったり、お金にも余裕ができて1人暮らしもして。あぁうちも歳取ったなぁと思うけど両親もそりゃ歳いったなぁって年々思うわ。

20年前にお父さんが言った「3年経ったら帰ってこい」
ゴメン。20年経っちゃったよ。
でも神奈川にきてよかったよ。
夏には帰るね。


辻ちゃん☆ |MAIL

My追加