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2004年01月06日(火) ■ |
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◆ 『寿初春大歌舞伎』 團十郎、玉三郎、勘九郎、菊五郎、幸四郎、松録、新之助、魁春、菊之助 (04/01/21up) |
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『寿初春大歌舞伎』(昼の部)が私の今年最初のカンゲキになりました。
歌舞伎座脇の「歌舞伎茶屋」でお弁当を買いギリギリで入場。(こちらのお弁当は本当に美味しい!) 毎年一月の初日(2日)には小泉首相も訪れているようで、今年も昼の部をご覧になったそうです。 私の見た6日は『木遣り始め』ということで、特別に入口ロビーで纏(まとい)を使った木遣りのパフォーマンスが休憩時間になされていました。これは多分毎年行われているみたいです。(来月は豆まきかしら?)
1月の筋書き(プログラムパンフ)には去年一年間の演目や行事が書かれているので、読んでいて面白いですね。
去年六月には“訪ロシア歌舞伎公演”があったようで、雁冶郎さんが「松竹大歌舞伎・近松座」をモスクワとペテルブルグにもっていき『曽根崎心中』を上演したらしいです。 ちょうどその頃のペテルブルグは「建都300周年記念行事」の真最中。 たしかダンサーのルジマートフ氏も、その歌舞伎公演を見にいき、良かったと褒めていたのを何かで読んだような気がします。
今年も歌舞伎の海外公演があるようで、新之助さんは「海老蔵襲名披露パリ公演」を。勘九郎さんもニューヨークで「平成中村座」を建て『夏祭浪花鑑』を上演するというニュースを見ました。 海外に日本の誇れる文化を広めてくださるのは何だか嬉しいです。
では今回の内容について。
『義経千本桜 鳥居前』 (松録、友右衛門、萬次郎、團蔵、他)
幕が開くと鮮やかな色彩が目に飛び込み、晴れやかな気持ちになります。 きちんとした様式美を表すような演目は、解説や話の筋を読まないとなかなか難しい。(読んでも難しいけれど) 私には久しぶりの松録さん。御本人が好きだとおっしゃる荒事の派手な役を若々しく演じていました。
狐忠信(松録)はなかなか登場せず、中盤で待ちに待ってやっと現れました。 松録さんは、以前より見た目にもふっくらとされ、醸し出す雰囲気に貫禄がついた感じ。 声の張りも申し分なく、最後にここぞとばかり見せる狐六方では大拍手を受け、観客は新春らしく清々しい元気な出し物に満足していたようです。
『高 坏』(たかつき) (勘九郎、新之助、弥十郎、亀蔵)
大名某(弥十郎)と太郎冠者(亀蔵)と共に次郎冠者(勘九郎)は嵯峨へ花見に出かけます。 主である大名は景色の良いところで酒宴を催そうと、次郎冠者に盃を用意させますが、地面にそのまま盃を置くので、その不心得を叱り、直ぐに高坏(足付きの坏を置く台)を買いに行くように命じます。
使いに出たものの、「高坏」が何であるか解らない次郎冠者は「高坏買いましょう」と言いながら歩いていると、「高足(高下駄)売りましょう」と高足売り(新之助)がやって来て両者との面白いやり取りが始まります。
商売上手な高足売りは高下駄を出して、“これが高坏というものだ”と次郎冠者をからかう。大名の酒を下駄の上に乗せ、調子よく酒をどんどん勧めると、しだいに酔っ払った次郎冠者は寝てしまいます。 そして次郎冠者が寝ている間に、高足売りは舞を一踊りし、「うまくいったぞ」とご機嫌で去っていきます。
その後、大名は戻って来ますが、高坏を買いにやらせたのに、大名の酒をすっかり飲み干し酔っ払っている次郎冠者。 「高坏はどうした」と様子を見た大名が尋ねると、次郎冠者は高下駄に盃を乗せ、大名に差し出します。大名はふざけてからかわれたと思って怒りますが、あくまで高下駄を高坏と言い張る次郎冠者。 やがて、酔っ払いながら下駄を履いてタップを踏むクライマックスへ...。
短い作品でしたが、狂言風な創作長唄舞踊劇で解りやすくて楽しい作品でした。 軽妙で明るい雰囲気でしたのでお正月にピッタリ。 なかなか見ることが出来ない「下駄のタップダンス」を勘九郎さんが、どのように洒落っ気たっぷりに踊ってくれるか期待してました。 お父様の勘三郎さんが、十年間途絶えていたこの演目を復活上演して、以後当たり役としていた至芸。勘九郎さんも思い入れのある出し物のようです。
舞台は能・狂言モノ特有の松羽目ではなく、満開の桜の絵が背景。 桜の鮮やかさが目に入り、その前を長唄囃子連中が段に並んで座っています。 衣装は狂言風、最初に白髪鬘で大らかそうな大名役の弥十郎さんと、ちょっぴりしっかり者に見える太郎冠者役の亀蔵さんが登場し、少し遅れて、人が良さそうで無邪気に見える次郎冠者の勘九郎さんが登場。 現れた時から勘九郎さん独特の愛嬌たっぷりのお芝居に魅了されます。 お芝居といっても軽やかで自然に引き込まれる作品で、ちょっぴりコントを見ているよう。
勘九郎さんは、とぼけた味を上手に出していて、「高坏というのはどんなものだろう?」と困って悩んでいる時の表情など、ほんとにチャーミングですね。 新之助さんは、調子の良い高足売り役ですが、今までのイメージと違った楽しく明るい一面が見られて楽しめました。 それとちょっとビックリしたのですが、勘九郎さんとの会話のやり取りは今回が初めてだったとのこと。 一緒の演目に出演していたとしても、今までセリフの絡みが無かったなんて不思議ですよね。
楽しみな“タップダンス”は出し物の終盤、だいぶ酔っ払った状態で、高下駄を履いてステップを踏むのですが、表情の浮かれぶりと、見事なバランス技、追いかけて懲らしめようとする大名や太郎冠者を上手くかわしながら右に左踊りまわること。 下駄の歯が高い為、前傾にするとカックンと危いくらい前に倒れたりします。 ステップだけではなく、下駄の色々な部分を使い、ツゥーと思いきり滑ったり、ヒョイと上体を戻したり、激しい動きではないのですが、気が利いていておしゃれ。 そのうち下駄を脱いだり、片足だけでターンなど見せ場も充分でとても面白かったです。 客席も大変盛り上がりました。
『仮名手本忠臣蔵』 《九段目 山科閑居》 (團十郎、玉三郎、勘九郎、幸四郎、新之助、菊之助、他)
実に重く清廉な世界。それぞれの登場人物の、表に出さない秘めた心のうちを、役者さんたちの抑えた演技で魅せてくれた“静”の作品でした。
しんしんと雪が降り積もっている京都の山科。 すぐには誰も登場せず、白く寒そうな舞台を見つめていると、花道から玉三郎演じる戸無瀬と、駕に乗ったその娘・小浪(菊之助)が、はるばる雪の中、やっと山科の大星由良之助の閑居にたどり着いたというところ。 凛として信念をもった女性であるのが伝わるような玉三郎の演技に、重たく息の詰まるドラマの始まりを感じました。
戸無瀬(玉三郎)と小浪(菊之助)は、婚約中の由良之助(幸四郎)の息子・力弥(新之助)と祝言を挙げさせたいと、強い気持ちを持って、ここまで訪れたが、対応に出た由良之助の妻・お石(勘九郎)は、最初ははぐらかすものの、なおも迫る戸無瀬に身分違いを盾に、頑として許そうとせず、冷たい態度をとります。 実は由良之助と息子の力弥は、明日「討ち入り」を実行する為に家を出て二度と生きて帰ってこれない。 そうと解っていながら祝言をあげて、若い小浪を未亡人にするのはかわいそうということで、心とは裏腹に冷たい態度をとっていたのです。 さらに話が進むと、戸無瀬の夫、加古川本蔵(團十郎)は「討ち入り」の原因を作った人物の一人だったが、戸無瀬は知らない...。 (もうちょっと筋は複雑なのですが、大変になりますのでこんなところで...)
この話は皆、相手のことを思うあまり、表面上で見せる態度と心の中は全く違っているという難しい演技を要求されるようです。 戸無瀬は可愛い娘の小浪の幸せを思う。 お石は愛する夫と息子が明日、死出へと旅立ってしまうが、本当は行かせたくないですし、息子の嫁になる小浪に、自分と同じ未亡人にさせて悲しませるのはさせたくない。そして、戸無瀬の夫はいわば敵なのにその娘との祝言を認められるか...。 複雑な胸のうちを一切口にせず、武士の妻としての誇りをみせた強い態度、その裏での辛く悲しい心の様子が胸に迫ってきます。 本当は、更に複雑な登場人物それぞれの事情やら、抱えた悲しみが交差するのですが、動きはそれほどなくて重い雰囲気のまま話が進んでいくんですね。
「討ち入り」の少し前というこの「九段目 山科閑居」の場は客席にもその緊張した空気が漂い、終始シーンと静まり返っていました。正直ちょっと重かったです...。
勘九郎さんは、普段のイメージと違った心の強い人物像、玉三郎さんは凛とした母の美しさ、菊之助さんは若い娘のまっすぐな一途さ、團十郎さんのずっしりとした重み、新之助さんの純粋な若者像、幸四郎さんの大きな演技、このように卓越した役者さん達の心理劇のような静かな舞台に、歌舞伎という演劇の幅の広さを感じました。
ただ、『寿初春大歌舞伎』と銘打った新年の華やかな時候より、なんとなく年末に見たかった気もします。色彩感は白とグレーのイメージ。 素晴らしい作品でしたが、内容は切ないものなので沈んだ気分になります。 しかし前半の二作品と全く趣が違うところが歌舞伎見物の醍醐味ですよね。
『芝浜革財布』 (菊五郎、魁春、團蔵、亀蔵、他)
この演目は、三遊亭円朝さんの人情噺が原作だそうです。 江戸の庶民の日常生活を浮かび上がらせて、見た後は温かな気持ちになりました。 (尚、出演予定だった左團次さんは体調不良で休演)
本当は腕がよく、人柄も申し分ないのに酒を飲んでは仕事も休みがちな魚屋政五郎(菊五郎)と、そんな夫を心配している女房おたつ(魁春)が主人公。夜明け前の芝浜で政五郎が大金の入った財布を拾ったのが物語の発端です。
政五郎はその財布を女房に預け、大金をアテにして仲間たちとドンチャン騒ぎの末、眠ってしまいます。 女房はこのままでは益々、政五郎がダメになってしまうと、大家に相談し財布を自身番に届けます。 そんな事を知らない政五郎は、女房に財布を出すように言いますが、「財布など全く知らないし、酔っ払って夢を見たんじゃないの?」と答え、一生懸命に働くように訴える。 真剣な女房の訴えを聞いて、ついに心を入れ替える政五郎。
その時から懸命働いて3年後には大店の主となり、奉公人まで雇うようになった。 そんな大晦日、女房が預けた財布は持ち主が現れず、お下げ渡しになる。 驚いた政五郎は、大火に見舞われ困っている人たちに財布の中身を丸ごと寄付して、めでたい新春を迎える。
見終わって、和やかな気持ちになりました。爽やかな江戸の市井の姿を、作者が愛情たっぷりに作り上げたのはとても伝わってきます。 ただ物語にひねりが無くて、いい気持ちではありますが、アクセントが足りなかった感じ。 ハラハラ感も無く、政五郎が改心するところも、あまりにも都合がいいくらいにすんなりとしていて、もう一工夫が欲しいと思いました。
三年後の大晦日には、ボロ長屋から大店の主に出世し、女房にも感謝の心を忘れない、全て財布のお金を困っている人に寄付するという政五郎。女房のもっていきようで、こんなにも人格者に変わるという、かなりストレートな人情噺です。もっとスパイスを効かせてくれたら、更に面白い話になったのではないでしょうか。
そして政五郎役の菊五郎さんには、いつもこのような雰囲気のお芝居で、楽しませてもらっている気がします。 セリフ回しや、粋なしぐさが本当に素晴らしく、いつも魅力いっぱいで素晴らしいです。演じる役が、毎回イキイキしていて、そのたびに引き込まれますね。
気になったこと、 歌舞伎座の場合は、遅れて到着しても途中入場が大丈夫なようなので、芝居が始まってから終わる時までひっきりなしに入場してくる方が多く、とても気が散ります。時には、途中退出して、また入ってくる方もいらっしゃる。 客席も真っ暗にはならないので、のどかな感じではありますが、本当にあまりに多いので気になりました。 せっかく素晴らしいお芝居を観るのですから、落着いたゆとりある気持ちで観たいもの。歌舞伎だけに限らず、客席の雰囲気作りに大切ですよね。
最後に、 今回はお正月らしく館内にもちの花が飾られ、とても華やいだ気分になりました。 TVでも今年は夜の部が放送されたそうですが、この場内の雰囲気は実際に味わうのが一番だと思いますよ。
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