狛犬堂備忘録
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書かないでいるあいだに、世の中の様相はまったく変わってしまった。 亡くなられた方たち、被害に遭われた方たちのことを思うと、言葉がでない。 ひと月を経ていまだ十分な救援が届かぬところもあるようだ。 地震、津波、原発事故。ざっくりえぐられた傷の深さに気持ちが麻痺したようになる。
自分に関しては震災当日の晩に首都圏の数十万人といわれる帰宅困難者としての務めを果たした以外、住まいも家族も、被災した県に住む親族も無事であって、これも通勤途中のバスの中で携帯から打っている。周囲には黙して職場に向かう人々。桜も散りかけているのに暗色の厚い上着を着たひとや、コンパクトなリュックを提げて何時間でも歩けそうな靴で足元をかためたひとが目立つ。たびかさなる余震におびえる日々の先はまだ見えない。
ツイッターではさんざんデマが流れた。ネットのまとめサイトに上がっていた80種ほどをざっと見たが、ほとんど読んだ覚えがあった。リツイートに次ぐリツイートで遠くからまわってきたのだ。流言とは、まさにこれらを云うのだろう。しかもみな相互扶助の善意に基づくリツイートなのだからどうしようもない。 しかし自分がフォローしたりされたりしている周囲は、SF読みだったり(紙上で繰り返されてきた災厄シミュレーションに馴れて科学と人間の限界をよく知る人たちだ)、理系近辺(彼らの至上の基準はデータと情報であって感情ではない)だったりするせいか、パニックに陥ったツイートは見なかった。あるいは、フォロー相手を選べるツイッターではひとは読みたい/見たい現実しか見ずに済むから、あの醒めて落ち着いたタイムラインは生の現実から自分を隔離するために紡いだ繭のように機能していたのかもしれない。なんにせよ、震災の晩、帰宅途中の携帯電話不通の状態で、子犬に所在を知らせる唯一のツールとして機能したことは事実だ。
地震の余波と思えることをひとつ。道に迷うことが増えた。知らない街でも地図さえあれば自分の位置をロストすることはなかったので、びっくりしている。職場でプリントアウトしたGoogleマップを頼りに街を歩き川を越え、停電した地区をかすめてひたすら歩いた記憶がストレスとなって、生まれつきの体内磁針を歪めたのかもしれない。そのときは歩きすぎて足が痛い程度しか感じなかったのだが。要経過観察。
前回書いた萌えは、殺さずにおくことにした。命あるあいだは好きな歌を歌おう。 日常はこちらでこなして、あとは脳内の自動処理機構こと葬儀屋に引き継ぐことにする。
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