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2001年10月14日(日) 人の為す善

家では勉強できないので大学PCルームへ。
日曜の割に大盛況で、順番待ち状態。
今日は初めて大学まで車を運転してきた。
ゼミの発表原稿作成の息抜き。
というかさっきから息を抜き過ぎているような気も・・・。

このところの週末はいい天気が続いている。
部屋にいることが罪な事のように感じられるほどだ。

知人がたまたま読んでいると聞いたので衝動買いをした
吉本ばなな『キッチン』を読む。世界各国で翻訳された
らしいが、正直、底の浅さのようなものを感じた。
意図的にかどうかはわからないが、中学生の書いたような
文章で物足りない。とりあえず表題作は読了。

先週は卒論がまったく進んでいないにもかかわらず
坂口安吾『堕落論』、ラッセル『幸福論』を併読。
最近中島みゆきにはまっていることもあいまって
「優しさ」だとかについてふと考えてみた。

人に優しくするとき、その裏に何か見返りを要求する心が
あるならば相手はそれを見抜いてしまうだろう。
ラッセルはそう言っていた。

裏のある優しさは偽善。僕は正直戸惑った。
悩んでいる人を見て言葉をかけるのは偽善なのだろうか。
自分の本心から出た言葉ではないのだろうか。
これまでの僕は偽善だらけだったことになるのだろうか。
本当の「優しさ」とはどういうことなのだろう?

1つ示唆的だったのは、最近ある友人がくれたメールに
あったこんな言葉だ。
「僕は偽善とは、人の為す善、と理解しています」。

そしてもう1つ、中島みゆき「空と君とのあいだに」
という有名な曲の冒頭。
「君が涙の時には僕はポプラの枝になる」。

この曲はこう続く。
「人の孤独に漬け込むようなことは出来なくて」。
胸が痛んだ。

押し付けの「優しさ」を「思いやり」と誤解している人が
いかに多いかということを、そして「ポプラの枝」である
ことの難しさを、再認識した。自戒を込めて。

さあ、いいかげん課題を仕上げようか。


おじゅん |MAILHomePage

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