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家では勉強できないので大学PCルームへ。 日曜の割に大盛況で、順番待ち状態。 今日は初めて大学まで車を運転してきた。 ゼミの発表原稿作成の息抜き。 というかさっきから息を抜き過ぎているような気も・・・。
このところの週末はいい天気が続いている。 部屋にいることが罪な事のように感じられるほどだ。
知人がたまたま読んでいると聞いたので衝動買いをした 吉本ばなな『キッチン』を読む。世界各国で翻訳された らしいが、正直、底の浅さのようなものを感じた。 意図的にかどうかはわからないが、中学生の書いたような 文章で物足りない。とりあえず表題作は読了。
先週は卒論がまったく進んでいないにもかかわらず 坂口安吾『堕落論』、ラッセル『幸福論』を併読。 最近中島みゆきにはまっていることもあいまって 「優しさ」だとかについてふと考えてみた。
人に優しくするとき、その裏に何か見返りを要求する心が あるならば相手はそれを見抜いてしまうだろう。 ラッセルはそう言っていた。
裏のある優しさは偽善。僕は正直戸惑った。 悩んでいる人を見て言葉をかけるのは偽善なのだろうか。 自分の本心から出た言葉ではないのだろうか。 これまでの僕は偽善だらけだったことになるのだろうか。 本当の「優しさ」とはどういうことなのだろう?
1つ示唆的だったのは、最近ある友人がくれたメールに あったこんな言葉だ。 「僕は偽善とは、人の為す善、と理解しています」。
そしてもう1つ、中島みゆき「空と君とのあいだに」 という有名な曲の冒頭。 「君が涙の時には僕はポプラの枝になる」。
この曲はこう続く。 「人の孤独に漬け込むようなことは出来なくて」。 胸が痛んだ。
押し付けの「優しさ」を「思いやり」と誤解している人が いかに多いかということを、そして「ポプラの枝」である ことの難しさを、再認識した。自戒を込めて。
さあ、いいかげん課題を仕上げようか。
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