フーチーひとりごと。
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2002年09月15日(日) 恋愛時計

今まで付合った人との時間を示す時計があったらどんな数字が出てくるのだろう。

「恋愛は付合った時間じゃないよ」と言う人もいる。確かに俺もそれは思う。何年付合っててもそこに想い通じ合う気持ちがなければそれはただ、別れなかった時間に過ぎないのかも知れない。

でも、半年じゃ見えないもの、1年じゃわからない事、3年たって気付く気持ち、10年たって見つかる答えだってある。それなりに時間を重ねなければわからない事はあるのだ。「5年目になるかな」と言うと「へぇ、長いね。よくそんだけ付合ってられるなぁ」って言われることがある。余計なお世話であると思いつつも「そっか、やっぱ5年って結構長い方なんだな」って思ったりする。決して万事順調にきたわけではない。お互いに別れることを考えたこともあったし、まさに最後の日を迎えようとしたこともあった。

恋愛時計は幸せな時間だけを刻むわけではない。破局が近付こうとも同じように時を刻んでいく。ただ、不幸せな間に刻まれる時間はすごく速く感じる。いつもの倍以上の速さで結論へと急がせる。どちらかが反対すればまだその速度は落ちるのだろうが、双方同意している場合はもうコントロールすらできない。しかし、この時計は最後にひとつだけ猶予をくれる。「ずっと一緒にいような」そう思ってた時間を思い出させてくれる。

「もう、絶対こんな奴とは出会えない。ここで別れたら俺は一生後悔する」そう思った。それを繰り返してきた。繰り返す度に「絶対後悔する」の「絶対」の数が増えてく気がした。出会った頃の感情を維持する事は難しい。感情は時間と共に変化していく。新鮮さなんて時と共に薄れて行く。これは当然のことである。新鮮さがなくなり当たり前になった時にどんな感情を持っているのだろうか。

恋人?家族?
おそらく全てが混在しているだろう。男女であればこの頃には既に結婚しているはずである。子供だっているかも知れない。家族ができあがっているのだ。しかし、俺たちにはそれはない。変わらぬ人間関係の中で感情だけは変化していくのだ。
子供を持たない夫婦もいるが、それとも少し違う。

この頃になると恋愛時計はその動きを鈍らせて行く。恋愛時計を止めたことは過去に何度かあった。別れの数だけストップさせた。しかし、今の感覚はそれとは違うのだ。流がもっと大きな流に合流しようとしている感じがする。
ふたりがそれぞれ持っていた恋愛時計はそれぞれの生きる時間へと合流し、そして二人の生きる時間が1つの大きな時間へと合流していく。
そんな時なのだ。


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