前回の日記からの空白期間、痛かったんだけど薬が抜けかけて頭はスッキリしてました。しかし明日からまたしばし廃人なので、予兆が出る前に少し書いておきましょう。
大岡越前終わっちゃった・・・ 暴れん坊将軍さまは好きじゃないから見ない。 午前10時半からの時間が空いてしまった。 ついでに大好きだった金田さんの役名は、笹倉さまだった。 毎日みていたのに笹岡とか書いてる。 残念な脳だ。
大大大好きなCM たぶんTOKYO MX だけでやってるご飯のCM ごはん怪獣バッブ君は国中の飯の友をやっつけるためにスイハンキに乗って旅にでたのだった。 福岡ではメンタイーン 山口ではフグサシーン 大阪ではオコノミーン ほかに金沢と仙台でもなにかと戦っていたけど今ちょっと思い出せない。 これが歌になってるの。こんなかんじ。
♪ バッバッバッバババップ ババッバババップ フグサシーンがやってきた あいつほんとに薄っすいわ でででで・ま・し・た コリコリブリザード バッバババップ メメメンタイ バッバババップ メタメタメンタイ バッバババップ %=?&!‘ あーおいしい!
ブリザードのくだりは記憶怪しい、後半思い出せないので明太子にかえました。 フレーズの合間には子供のコーラスで合いの手が入っていてとっても楽しい歌なのでわたくしもまけじと毎日歌っています。 これから各地のご飯のお供(友じゃなくてこっちかな)が増えると思うので楽しみです。 番外でばっぶ君強化米もあります。 なぜか都内の住宅展示場の宣伝もします。
餡ぱんまんに出てくる ナガネギマンがかっこよすぎる。 まあ怪傑ゾロなんだけど、なぜナガネギがゾロでZなのか、初登場時を知らないので未だに分からない。変身前は背中の籠にネギを背負い、ずごくなまったネギおじさんなところもいいの。 でもマスクをつけてナガネギマンに変身した後は、カット割りも映像編集もなんかハリウッドなの。剣のさばきガッコイイよ。 出るたびにカッコイイ〜と叫んでいました。声はさすがの大塚明夫さん。
ふう、テレビについて言いたいことは書いた。
かつて元気でほかにやりたいこと、やれることが沢山あった頃は、まったくテレビを見なかった。コンセント自体を抜いていたくらい。 体の自由がきかなくなってしかたなくテレビをつけ、 一日中あっちこっちザッピングしながら流し見をしてみて、 今でも80 CMを含めると90%は無駄だなあ と思う。 そのうちの半分くらいは精神の健康に悪いと思う。 結果、慎重に番組を選んで、それでも一日の半分くらい流しっぱなしにしている(気分がわるくなるようなことが流れるとすぐチャンネルを変える) のは、自分のことばっかり考えているよりは心の健康にいいのではないか、と思ったこからです。家族との会話の種にもできるしね。
具合が悪いときは、他のことは考えられない。 これも修行だ、と思い 痛みや疼きをなかったことにして精神を遠くなにか静かで美しいものに投影しようとかやってみたけど、5秒と続かないね。
いたいよー 気持ちわるいよー 薬もういっこのもうかなー ぐらぐらするよー あしたも痛いのかなー もうあきたよー もっといたくなってがまんできなくなるときがくるのかなー よくなってるのかなー 飽き飽き とにかく飽きた わたしは末期なのか いや肝腎に転移してないしちっとも痩せないからまだだろう ・・・・・
延々と自主的に考えているわけではなくても頭の中がこういうことだけになっちゃう。 集中できないし、字を読むのがだるくて書物の中に心を飛ばすこともできない。 想像力が薄れ自分のこと以外がどうでもよくなり優しさや寛容がなくなっていき、自分でもそのことが分かっているけれどどうにもできない。
その逃避先がテレビだったのです。ネットサーフと違って字を追わなくていいのでPCより目に優しい。 それからネットと違って自分で探したり選んだりの選択の幅がほとんどないに等しいところも、ああ世間だなあ。 勝手にメディアが用意した中のたまたま今日やっているものの中からしか選べない。 気にいらなければ諦めて消すしかない。 世間ですよ。
3日ほど前に嬉しいことがありました。 みなさん他のひとには話さない、心の中のお友達がいるでしょう。 わたくしは小さい頃から、本の中のひと 漫画の中のひと ドラマの中のひと などなど たとえば連載が終わってしまったとか、シリーズが完結してしまったとか、とにかく原作が終了してもう新しいエピソードは読んだり見たりできないのだ、と諦めた瞬間から一番のお気に入りのキャラクターを心のお友達にして自分の想像の中で新しい物語を作っていました。 このひとだけ!という譲れないオンリーワンがいれば、今でいう同人作家になったりしたかもしれません。 が、わたくしのお気に入りはどんどこ増えていき頭になかではどんどんコラボしていきます。 そしてそんなに大勢を複雑な筋のなかにおくような作家脳がなかったので、いきおい好みの劇的なエピソードの中でお友達を激しく翻弄させてゾクゾクしていました。 あくまでお友達が好きなので自分オリジナルな人物造形には興味がなく、 またこの楽しさを文章にするといった面倒なことは小学5年生に一度やってみて投げ出しました。 こうして何十年も、使い古してでも愛のなごりからいつのまにか殿堂入りしたお友達もあり、数年ごとに入替わって常時6〜7人のお友達が、 わたくしが暇なとき、なにか劇的な興奮を求めているとき、現実逃避したいとき、新しい情報や知識を得てそれを自分なりに消化したいとき、 頭の中でドラマを演じてくれていました。 ひとによると思いますが、わたくしは好みから自分は登場させませんでした。 まあ多分に投影させたお友達はつねにいたのでしょうが。
それがね、今年にはいって具合が悪くなるにつれ、お友達のことを考えることがなくなっていったのです。 新しい本や漫画を読むことも減り、ご新規さんの加入はむずかしいとしても昨年のメンバーで十分数年は楽しめたと思うのですが、 なにしろ自分の体のことしか考えられないのです。
それが3日ほど前に、今日はあんまり痛くないなあ、テレビはもう見るものはないし、眠くなるまで本でも読もうとスタンドの灯りだけにして布団に入ったところ、 来てくれたのです。 お友達たちが。 眠るまで数十分、久しぶりに楽しい時間でした。 起きたまま見る夢。
おお、とりとめのない日記。 誤字脱字はもうチェックしないぞ。 しばし又、副作用と免疫との力くらべだ。
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