ごみ箱

2003年10月11日(土) 帰国

日付変更線の関係もあり、11日午後に日本に着く。
全く問題なく時間通りに着く。
なんだか成田に着いたとたんアメリカに戻りたくなった。
全てが日本語、全て日本人。
わたしは日本から逃避したいだけなのだろうか。

両親はまだフランスなのでおばあちゃんのところに電話をかけ、
無事帰国したことを伝える。
そしたら、アメリカ滞在中一回も電話しなかったので、かなり心配がられた。
せっかく国際テレカまで買ったのだが、公衆電話なんかで電話できるほど、治安がいいところはなく、自分のホテルには公衆電話がなかった。
しかも添乗員さんに部屋の電話はつかわないようにと釘をさされていたのだ。(かなり高額な法外な代金を請求されることがあるため)
ただ一人での旅行で、公衆電話にかじりついて電話していたら、
ひったくりにあうかもしれないという危険まで冒して
電話をすることはナイト感じた私は、あえて電話はしなかった。
自分の命のほうが大事だ。
こういうところはまだ日本人だし、
NYは怖いという固定観念から逃れられていない一面でもあった。

NYは実際2度目の訪問だったのだが、
真新しいものがない町だ。
本当に日本のほうが買いたいものがあるし、安い。
いいものは沢山おいてある。
買いモノは日本に限るぞ〜〜

帰りは差図画に指定で帰りたかったので、成田エクスプレスを使い、
新幹線も勿論指定で帰ってきた。
久々の我が家は本当にほっとする。
我が家は世界で一番のオアシスだ。
でも私にとって4年間の在住地はNYだ。
自分にとって楽しめる町はNYなんかよりよほど渋谷か銀座のほうが楽しめる。
毎日買い物しておいしいもの食べて、カラオケいったり
飲みに行ったり。
だから皆はというか多くの人は言う。
NYに留学行くと遊学ンいなってしまうと。
しかし私が渡米して実感したこと。
それは私にとって遊学はありえないということ。
遊学の中に読書や音楽鑑賞がふくまれているならば、否定できないが。
サイ好きなミュージカルや本たちに囲まれ、
学生街で一生懸命勉強する自分の姿しか目に浮かべない。

これはある意味悲しい事実でもある。
大学生活をエンジョイなんてことを少し考えていた私でもあったから。
もちろんこれは誰にもいったことはないし、
言わないつもりでいた。
言えばすぐに見下されることをわかっていたからだ。
しかしながらNYという町は日本人に対してそんなに寛大な町ではない。
ましてや有名大学の学生はほとんど、見下し、こき下ろす。
そんな中で切磋琢磨して勉強し、
自分に自信を持ち、今まで屈折していたものをまっすぐに直してしまいたい。
そんなことを感じたアメリカ滞在だった


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