■2012年09月22日(土) “私”を否定する「私らしさ」
私の母は、 「静月さんらしくなったわね」 とよく言う。 言われる度に嫌な気分になる。
例えば。 キッチンがきれいにかたづいていると「私らしい」、 流しに洗い物が溜まっていると「私らしくない」。
でも、流しに洗い物を溜めてしまうのも、きれいに片づけているのも、どっちも同じ私。 きれいにしていると私らしくて、きれいにできないでいると私らしくないと言われる度に、きれいにできないでいる時の“私”の存在が全否定されているようで腹が立つ。
キッチンがきれいだろうが汚れていようが、私は私。 “私”を、そんな“条件”で決めないでよ。
きれいにできずにいるのには、理由がある。 ただそれだけで、私らしいも私らしくないも、ない。
たぶん、母にとっては、そんな理由はどうでもいいことなのだろう。 「自分が理想とする娘(=静月)の姿」や「自分が理解している(思い込んでいる)娘の姿」が「静月らしい」なのだ。 それが透けて見えるから、嫌な気分になる。
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