きまぐれがき
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2004年03月26日(金) |
埴谷雄高を知ったのは。 |
武田百合子が、竹内好を見舞うエッセイの中で描く埴谷雄高は、 両手で顔をおおったその指の間から流れる涙が海となって、 身体全体が沈んでいってしまいそうに痛々しい。 つぎつぎと死へ旅立っていく友人たちを見送るのは、どんなに 辛いことだろう。
武田百合子を知らなかったら、対談とか評論のほんの1部であった にせよ埴谷雄高を読むことなどなかったと思う。
いつだったか、NHKのインタビュー番組で見た埴谷雄高には度肝 を抜かれた。 亡くなられる数年前で、奥様はだいぶ前に亡くされて男の一人所帯 でのインタビューだったのだが、茶の間でもあり書斎でもあり寝室 でもあるらしい部屋で、全国放送だからといって着る物になんか かまっちゃいないヨレヨレの浴衣の胸をはだけて、唾を飛ばしながら ご自身の著書「死霊」について語る姿は、病身の老人とはとても思え なかった。 迫力のあるじょうぜつさで、さらに語り口に魅力もあって、こんな 老人をみたのは、100歳で「徹子の部屋」に出演していらした 国文学者の物集高量いらいだった。
話の内容はさっぱり理解できなかったけれど「熱く語る」とは、この ようなことを言うのだと、お手本をみせてもらったような気がした ものだ。
訃報が伝えられた時には、戦後まもなくから書き継いできた「死霊」も とうとう未完のまま亡くなられてしまったのだなぁ、 あんなに情熱をかたむけても書けないのもは書けなかったのだなぁと 妙な感心までしたのだった。
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