2002年03月23日(土) |
30年経っても変わらないこと |
(ああ、なんか春だというのに、のほほんとした話題に飢えている。)
たまたまテレビを見ていて、 赤軍の生き残り岡本公三の特集番組が目に入ってしまって、 30年前のテルアヴィヴ・ロッド空港の映像に あのときと変わらない嘔吐感が腹からせり上がってくるのを いやだいやだと思いながら見てしまった。 パレスチナ側から英雄としてもてはやされた 彼らの決死のテロ行動が、今に至る 中東での自爆テロ隆盛(っていうのか)に影響を及ぼしたという話。
昨年9月の同時多発テロ事件のときに、 旧日本軍のカミカゼが引き合いに出されたといって 怒る友人たちもいたけれど、私は「そんなもんだろな…」と思った。 非戦闘員を巻き込むか否かはおいといて、 自分の身を棄てて必殺の勢いで攻めてくる、いわゆる特攻精神というのは 自殺を悪とする倫理観をもつ西欧型合理主義の側から見て、 どれほど禍々しく恐ろしい、共感しがたいものに映るだろうと。 問答無用、自分の命も要らないから今すぐ貴様の命を取る、と言われるのだから。 イスラム文化圏の人々の心情は日本人のそれと随分違うと思うのだけれど、 日本のように自死を肯定する文化と西欧のように否定する文化に分けたら、 前者に近い土壌があるような気がした。
平和な日本で子供を刺し殺しても凶悪犯罪者として罵られるだけなのに、 民族戦争が行われている国に行って自動小銃で子供を殺したら称えられる。 子供の頃の私はそのことからどうしても目が離せなくて (ごめんなさい、どうしても離せなくて) 報道を繰り返し聞くたびに胃液の味をおぼえた。 少年向けの物語を書く人などが、その事件をロマンチックな花飾りとして 美しく表現するのを見てまた酸っぱいものがこみあげた。 (あの当時、闘争はほんとうに美化されていたのです) 革命をするつもりの筈が仲間うちの憎み合い殺し合いに変わってしまったという 年上の人たちの話を聞いた。 深く関わらなかった人はそれを美しい思い出にできるのだという説も、もっともな気がした。 それやこれや、サムライの文化ヤクザの文化に連綿と続く 日本人らしい感情の歴史として学んだらそれなりに面白かろうと思いつつ 吐き気のするものには近づけなかった怠惰な私。
けど、報道で見ただけの私でさえ30年前の胃液の味を思い出すのに、 実際に戦争を味わった人の負ったトラウマはいかばかりか、と今更なことを思う。
もし私たちが民族問題なんかで迫害される立場で暮らしていたとして。 外国からよく事情もわからずやってきた素朴な戦士、 戦って格好よく死んで「星になりたい」なんて憧れを持って訪れた若者が 敵国の市民を殺してくれたら、彼らを「英雄」とすることができるだろうか。 たぶん、私が小学校で受けていた教育のもとでは、 そんなふうに純粋に考えるのはむずかしい。 世界の中で自分たちは相対的な存在であり、 それぞれに言い分があることを、理屈だけでも学んでしまった以上は。 ――でも、自分たちの立場を相対化できない環境で教育を受けてきたとしたら。 パレスチナの人たちの間では、30年の間かわらず 岡本公三は英雄として聖人のように敬われている。 番組で言われていたことだけれど、その人たちの状況が 30年前と変わらないということが、何より深刻なことなのに違いない。
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