Land of Riches
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午後半休を取って足利に行ってきました。伯仲燦然、山姥切国広と本作長義の同時展示を見に。 有休消化率の都合で半休取らざるを得なかったので行きましたが、今回の展示はスルーするつもりでした。 2振りとも複数回見ていますし、私は伯仲推しでもなく、足利の商業重視展開もあまり好きではありません。 そんな私を足利に向かわせたのは国広でも長義でもなく、出展された藤原在吉の刀でした。 山姥切国広に似ているとされている…刀ステ外伝の着想元と思われる1振りです。 (在吉の刀は大阪で山伏国広が展示された際にもあったようですが、記憶にありません)
足利は半休でも行けるのですが、東武のダイヤと噛み合わず、今回は往復とも特急未使用。 運賃より特急料金(1000円超え)が高いので、得はしましたけど、乗換も多く、疲れました。 足利に着いたのは15時頃。昼食も摂らず電車に揺られ続けたので、変な時間帯でも食事が摂れる プラザハマダで通算二度目の渡良瀬カレーを食べました。今回は刀を模したクッキー添え。 以前より足利は飲食店少ない印象が強いんですけど、おしゃれなカフェは増えたかもしれません。 街には月末平日午後にもかかわらず、若い女性がたくさんウロウロしていました。 美術館が1時間入れ替え制で朝から夕方(最終回は17時入場)までやっているのが大きそうです。 遠くから足利までやってきた審神者は、複数回のチケットを取り(遅い時間帯のチケットは 抽選で完売せず残っていて、私もその恩恵で思いつきでも行けた)合間に街巡りを楽しんでいるのです。
足利市に版権料を払えば山姥切国広の刀身写真を用いたグッズを作成し販売できるため、 多くの店がグッズを作って販売。街には山姥切国広のポスターやのぼりがあふれていました。 一般家庭でまで刀身ポスターは貼られており、広義での『彼』を見かける密度は間違いなく過去最高。 概念メニューも合わせたら、伯仲推しはいくらお金を払っても終わりが見えない状態です。 (公式のグッズは数量が絞られており、朝行かないと買えないのも見逃せない要素)
足利市立美術館の展示は1時間入れ替え制ですが、観覧順序は自由、再入場可ルールでした。 各自の関心に合わせて分散して見て回るため、思ったほど観るのに不便は感じませんでした。 (週末の回だと2振りのそばに人が群がって合間からしか見れない場面もあったようですが)
3室構成で、まずは2振りの元主たる長尾顕長を輩出した長尾家についての史料や絵画の部屋。 上杉や徳川といった大勢力の間で生き延びるべく、北条と敵対したり味方になったりした長尾顕長。 本作長義は北条傘下に入った際に、後北条家から与えられた褒美の品でした。その由来を彫り物が得意な 刀工国広に刻ませた上、写しまで作らせた顕長。長義がそれだけ大切だったのでしょう。
2部屋目は国広の刀(一部、彼の尊属や先述の弟子作を含む)を年代別にずらりと並べた圧巻の部屋。 新刀の祖である国広は、キョーハクの末兼さんをして博物館が買うのは難しいと言わせる位置づけ。 (新刀の祖として尊重された史料として鎌田魚妙の本も展示されていたのは十口伝的にタイムリー) 今回集められた刀も多くは個人蔵です。短刀からレアな薙刀まで国広の多彩な作刀を見られました。 南北朝時代に流行した大太刀は、国広の時代では磨り上げての使用が一般化していました。 国広には、磨り上げられた刀を模した新作刀のリクエストもあり、打刀としてはありえない 茎にまで樋が入った刀も作成していました。不動国広の細かすぎる彫刻も唸りましたし、本当に器用な刀工です。
最後の部屋、足利学校の門を模した入口と柵を抜けた先に、2振りが360度ケースで展示されていました。 脇には近年作成された2振りの押形を重ね合わせられるパネルも。こうして並んでいるのを観るまでは “姿だけは”似ているけれど、全体としてはあまり似ていない…という印象を持っていたのですが、 刃文もかなり似せようとしていたのが伝わりました。似ているように映らないのは、2振りに施された 研ぎが異なるからでした。長義を所蔵する徳川美術館は江戸時代の研ぎを残す努力をされていて、 今の長義を現代の研師が見ても学びが多くあるとSNSで見かけました。一方の山姥切国広は つい最近まで個人蔵でしたから、施された研ぎもイマドキのもの。山姥切国広が長く個人像だったのは 参考展示として出されていた肥後拵からも感じられました。数奇な経歴を持つ史料としてではなく、 ただ美しい刀として数年前までいち個人の元にあり、美的に合う拵えを添えられていたのです。
人に囲まれた2つのケースが並んでいる。それだけでもなんだか神々しいものを感じました。 長義は姿からかなり大きな(もしかしなくても長谷部より大きかったかもしれない)大太刀を 大胆に磨り上げた刀だと推察され、それを写せと言われた国広が押さえるべきポイントは似せようとし、 それでいて愚直に写したわけではない傑作が山姥切国広だと思い知らされました。まさに最高傑作。 ゆえに山姥切国広にも打刀の茎としてはありえない位置に樋が入っています。目釘穴1つしかないのに。 似て非なる2振り、その“似ている”面を並んだからこそ実感できた有意義な展示でした。
ちなみに在吉の刀は2室の最後に展示されていて、山姥切国広との似通い具合はオマージュレベルでした。 在吉作と山姥切国広の間にある距離と比べたら、ふたつの山姥切は姿がとても近く、当時国広が 長義を傍に置いて作刀したのは確実だと分かりました。在吉は恐らく記憶を辿っての作刀でしょう。
長義が刀剣乱舞に実装されて日が浅かった頃、徳川美術館のイベントに参加したことがあります。 山姥切国広と一緒に展示してほしいという審神者の単細胞な要望に、徳川美術館は尾張徳川家の 美術館であって徳川と縁の薄い山姥切国広を展示する理由が…と説明されたのを覚えています。 あれから5年以上が経ち、山姥切国広は足利市の所有品となり、伯仲も人気トップ男士になりました。 メモリアルイヤーだからと三日月や日向正宗も借りる刀の大規模展覧会を開く、そこに山姥切国広も 相互貸与で並べてしまうのは、さすがビジネスマンが営む嗅覚鋭い徳川美術館だと感心します。 徳美のおしゃれグッズに、伯仲揃い踏みで売り出しているのたくさんありますから。 これもまた、現在進行系で紡がれている2振りの歴史…と言えるのでしょう。
2025.3.2 wrote
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