突然だけれど、最近よく思う。
『言葉』は頼りにならない。 いや、何事においても重きは行動だということ。
そして多すぎる言葉はときに事実を混乱させる。 だまって信念を持って行動すればいい。
一生懸命やるなら『一生懸命やってるよ』っていう前に やればいい。
そして 何かを頑張ったり努力したり、必死になるなら、 それはなぜか、何に向かっているのか、なんのためか 一番の目指すべき所と言うか核のようなものを 持つべきだ。
もしその核に 「誰かにがんばってる自分を見せたいから」 という気持ちがあるのならその目指す方向、まちがってると思います。
そういう人ほどがんばってるんだ、一生懸命なんだと 自分を正当化するものです。
あたしは自分含め、結果を残せた時だけ言葉であったり形にして それをたたえたいと思います。
もちろんそこにいくまでの過程も大切だけれど それをたたえるのは自分の心の中だけで充分だと思います。
つまり、結果で努力やがんばりを表すことの出来るまでは 自分の中で耐えて、黙ってがんばれ、ってことです。
そして、そんなふうに生きていく毎日の中で 「あの人にもっとこうしてほしいのに・・・」 って望むようなこともでてくるでしょう。 それならそうしてもらえる自分になればいい。 自分の願望で人をかえようとする前に自分が変わる。 もしくは人が変わってくれるような自分をつくればいい。
毎日仕事や私生活、いろいろすぎるくらいいろいろあるけれど
こうして
今まで きたんだ。
|