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2015年09月01日(火) 2015年8月30日のこと

この2日間思い返していたことを記録しておこう。

30日のお昼にリハーサルの予定だったのだけど、雨やら何やらでリハは無しになった。そうすると割と時間に余裕ができて、無理かなと思ってた高校生たちの歌を聴けるかもしれないと国会前に急いだ。前日と前々日のワークショップで少し話をした、遠方からのイベント参加者の人といっしょに行くことになった。幸い丸の内から国会までは歩いて行ける距離だから、今思えば駅の混乱を回避できたのはラッキーだった。

最初は特定秘密保護法の時、今回の安保法案では何度か行ったけれど、仕事帰りに後ろの方ののんびりしたエリアで過ごしていたから、前の方のことはよくわからなかった。合唱をするんだったら場所はどこだろうと考えて、いつもコールやスピーチをしている(らしい)北側の前の方じゃないかとあたりをつけて進んで行った。

途中、憲政記念館の公園に入る道のところに赤いテントがあり、報道陣がたくさんいて中は見えなかったけれど歌声が聴こえた。12時50分くらいだったと思う。そこに立ち止まってしばらく歌を聴いていた。思ったよりもガチの合唱で感心した。
https://www.youtube.com/watch?v=BhzM68O8IOM

13時頃、歌はまだ終わっていなかったけれど歩道ではSEALDsのコールが始まった。ちょっと離れたところにいたはずのドラム隊とコールの人たちが、なぜか私の立っていた場所に移動してきた。後から知ったがコールをしていたのはSEALDsの中心メンバーである奥田さんという人だった。場所的になんだか最前線になってしまって、人も増えてきたしこりゃしばらく抜けられないなと覚悟を決めてコールにレスポンスしたりしてた。とにかくすぐ前に立ってる人がドラム隊なので、ドラムの音とリズムを楽しんでいたという方が大きかった。

30分ほどして、人がどんどん増えてきて身動きできない状態になってきた。しばらくするとコールとドラム隊がゆっくりと移動を始めた。波に押される形でついていったところ、鉄柵の一部が二人通れるくらい開いているところがあって、「ゆっくり進みましょう、ゆっくり」と誘導と交通整理をしてくれる人たちがいた。それに従って進むと、ぽーんと広い場所に出て息が楽になった。目を上げると国会議事堂が真正面にあった。なんだかわけがわからない。車道だよここ。さすがにちょっと涙ぐむ。

あとでYoutubeなど見ると、他のエリアでは警官と押し合いのすえに車道に出たりしていたようだ。デモっぽいな。私が全く安全に平和に車道に出られたのは、やはりその時間帯の主催だったSEALDsのそばにいたからかなと思う。最初に車道で撮った写真の時刻は13:45となっている。それをツイートしたのが13:47。途中で抜けなきゃいけないからあまり最前線には行かないようにしながらそのまま議事堂の方に歩いて行って、おにぎり食べたりしていた。

それでもかなり前の方にきてしまっていたようで、15時前にそろそろ戻らなきゃと移動を始めてから抜け出るまではなかなかに大変だった。ただ人の流れはできるようになっていたので、じりじりとではあるが動いていけて、たぶん10分くらいで交差点のところまで戻れたんじゃないかな。その後、離脱した直後に坂本龍一氏のスピーチがあったことを知って残念な気持ちに。

思い返すに、ほんとにどうして最前線ど真ん中に立っちゃってたのかよくわからない。ただ歌を聞きたくて場所を探しただけだ。あの日国会まで歩いて行ける場所にいたのも音楽のイベントに参加していたからだ。きっかけは全部音楽だった。そのおかげで危ない目にも合わず、駅の混雑にも遭わなかった。

あと、普段全くそんなのは信じないタイプだけど両親が見守ってくれてたのは少し感じた。ほらほらこっちやで、って連れてってくれたような気がした。そもそもどこにも所属していない私が、あまり抵抗なくデモに出かけていたのは両親を見ていたからだろうし。

帰りはまたお濠沿いに歩いて、白鳥を眺めながら丸の内に戻った。日比谷あたりで、観劇・美術館・映画館・お買い物の世界があまりのギャップでクラクラした。私今さっき国会前の車道を歩いたよねえ。夢だったのかなあ。

これが、2015年8月30日に国会前に行った一人の目線からの振り返り。


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