東京の片隅から
目次|きのう|あした
2021年11月22日(月) |
有象無象または魑魅魍魎 |
ヤフーのコメント欄が無法地帯だが、気になるのは書き込み内容もさながら誤字脱字の多さと言葉遣いのおかしさ。フリック入力で最初に出てきた変換候補をそのまま選択してしまうのか、単語を間違ったまま覚えてしまっているんだろうと思わせられる書き込みもある。赤ペンで添削したくなる。句読点の打ち方や誤字脱字の傾向からすると、書き込んでいるのは中年以上のあまり勉強が得意じゃない人たちなんだろうなぁと察せられる。実情を知らない、当事者になったことがないだろうと思わせられるコメントもある。教育関連だと、絶対子どもいないだろう、いてももう成人済みで現在の状況を知らないだろう、と突っ込みたくなることも。目にしてしまうとうんざりするとともに、怖いもの見たさで見てしまう自分もいる。
そういえば、学習発表会(学芸会)といえば劇というイメージもあるけど、あれは学校側からすると結構難物らしい。 正直今の学習指導要領では劇をやるのはかなり厳しいですという正直なコメントを、PTA本部の時に学校側との懇談で聞いた。 合唱合奏は音楽として扱える。 しかし、いわゆる「演劇」という教科はないので、どこかの教科にこじつけて時間数を割り振らなければならないらしい。台詞覚えを国語に、小道具大道具づくりを図工に、体育館を使った練習を体育に当てはめたりしてやりくりしているとのこと。 劇は配役も難しい。小規模校なら一人一役も可能だが、中規模以上になると場面毎の役交代などで全員を出すか、モブを増やすか、完全に出演者大道具小道具部隊の分業にするか。練習時間も必要であり、大道具小道具も作らなければならない。苦労した分の達成感はあるが、しわ寄せが大きすぎて今後どの学校でも劇は減る方向になるのではないかとベテランの先生はおっしゃっていた。 個人的には役が付くのは大嫌いだったので大歓迎だが、ああいうステージでみんなの視線を浴びる経験はなにがしかあったほうがいいんだろうし、結構悩ましい。
2021年11月20日(土) |
アフリカンシンフォニー |
学習発表会について学校から告知があった。 クラスごとの発表で、親は学年ごとの入れ替え制になるとのこと。 親の座席は指定制。事前に学校側で抽選ずみ。
・・・これだよこれ。前回の学習発表会で場所取り横入り荷物置き場で揉めた記憶が蘇る(遠い目)。
発表内容は劇や合唱は発声を伴うので、合奏だけ、共通曲とクラス別の曲の2曲。 子どものクラスは「アフリカンシンフォニー」だそうで、アレクサに流してもらいながら家でも練習している。他のクラスで「リベルタンゴ」をやるところがあるらしい。リズム感のいい子がいればピタッとはまって格好いいけど、ピアソラは小学生にはちょっと難易度が高いかなぁ・・・。でも楽しみ。
帰宅途中、駅の自由通路に立ち止まる人たちがいて、何ごとかと思ったら、絶好の月食観測ポイントだった。 ちょうど東側がぽっかり空いていて写真撮影もできるので、スマホを構えている人もいる。 自分も撮ってみたけど、なんだかよくわからないぼんやりした写真になってしまった。 肉眼(といってもド近眼なのでコンタクトだけど)ってすごいんだなぁと妙なところで感心する。
イモくん ・最初からピンセットの粒エサに食いつく ・赤虫も食べる ・水の中が好き
モリくん ・粒エサがいまいち好きじゃないのか食いが悪い ・冷凍赤虫は独り占めしたがるくらい好き ・陸が好き
当分週1冷凍赤虫プラス粒エサで様子を見る予定。赤虫だけでは栄養が偏るので、あくまで粒エサメインで。
2021年11月17日(水) |
キャッチボール、ときど暴投 |
会社に、ときどきひどくトンチンカンなことをいう人がいる。悪い人ではないのだが、ときどき発言にデリカシーがかけていたり、空気が読めなかったりする。 前に聞いたのだが、家族が機能不全で、大人になってから思うと「ふつうの家」ではなかったとのこと。コミュニケーションの少ない家だったのかもしれない。 だからなのか、人と会話するときに、受け取った情報に合わせて会話を進めていくのではなく、自分の頭の中でシミュレーションしていきなり全部話してしまうのだろうと察せられる。 相手の対応が自分のシミュレーションどおりなら問題ないが、違ったときに大暴投となるパターンだ。
ただ、彼女の生育環境を差し引いても、これまで学校や会社で周囲の会話から学習して修正できなかったというのは、それはそれで彼女の問題点だと思っている。年下とは言え先輩なので、こちらからはあまり指摘しにくい。新人の時に誰も指摘してくれなかったんだろうか。それはそれで職場環境に問題があるように思う。
今年来年再来年あたり、おそらく「次」を考えなければならない予感。この先どうするか、どうしたいか。自分しかり、家族しかり、仕事しかり。 数年前から第3コーナーを曲がる感覚はあったんだけど、もうちょっとちゃんと第4コーナーの先の直線も見ないとダメかな、という感じ。でも気が重い。
職場の近くの神社で七五三参りの家族連れをわりとよく見かける。 3歳5歳なら就学前だから混んでいない平日に有休を取って参拝・写真撮影するのもありだろうし、7歳でも親の仕事で平日休みの家もあるだろう。平日の方がレンタルも撮影もお参りも空いているから余裕ができる。 自分の子どもの頃と比べるとレンタルが普及した分、和装の男児が増えた気がする。
今年はまだ石焼きいものトラックの声をまだ聞いていない。灯油トラックのオルゴールは聞いた。 昨今はスーパーマーケットの店頭で焼いて売ってるから、焼きいもトラックは厳しいだろうなぁ。今ある車が廃車になったらあの販売形態はなくなっていくんだろうな。
2021年11月13日(土) |
なにいってるかわからない |
昨日の切符の話もそうなんだけど、こちら側が一般常識だと思っている事象が現在既に存在しなくて、子どもに話が通じないというパターンが散見される。 私の親世代と私の世代には連続性があるが、私の世代と子どもの世代の間には断絶がある。ジェネレーションギャップどころの話ではなく、タイムスリップに近いかもしれない。 すこし前の小説が読まれなくなっているのも原因の一つに「何を言っているのかわからない」というのがあるんだろうな、と思う。よく本を読む子だったらこれまで触れてきた言葉の蓄積で類推できるんだろうけど、いきなり名作系を読んで知らない言葉がどんどん出てくるとお手上げだろう。 うちの子どものように視覚優勢タイプの場合は特にそう。朝ドラのように少し前の近現代を描くドラマだったり映画だったり映像に触れる機会がないとますますそういう傾向が高まるだろうなぁ。画像を検索して、店ながら説明することも多い。歌謡曲も説明しながらじゃないとわけわからないらしい。 ライトノベルがファンタジーばかりなのは「フィクションである」というのがはっきりしているぶん、「知らない事象」がほとんどなわけで、逆にハードルが低くなっているのかもしれない、と思う。
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