東京の片隅から
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母納骨。 元の宗派とは違うところなので、お経なども違う。不謹慎だが、なかなか面白いと思ってしまった。 納骨堂はロッカー式。入り口でカードをかざすと確認場面が出て、OKならブース番号が指定される。指定されたブースに行くと写真と遺骨の入ったロッカーが出ている。要するに機械式駐車場である。掃除などの手間もかからないし、花を買っていく必要もない。遺族が老いている場合にはいいシステムだと思う。なにより今の実家からバスで一本で行かれるのが父にはよかったらしい。 私たち子どももカードをもらったので、近くに出たときに寄れれば、と思う。
「アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?」という本が気になる。「ケア」が女性に偏っていること、金銭的価値が目に見えにくいことなどについて論じた本らしい。 主婦の給料は金銭に換算するといくら、みたいな話がときどきあるけど、そういうものなのかな。
思い出すのが、ノーベル賞受賞者家族へのインタビュー。受賞者の名前はもう思い出せないが、夫人にインタビューしていて、内助の公的な美談に持っていきたいテレビ局に対し、同じ大学で研究室にいたという夫人の「私は研究を続けたかったんですけどね」という返答を忘れられない。冷静で、でもいろいろな感情を飲み込んできたんだろうな、という声。その年代で国立大学の理系の研究室にいたなら、さぞかし優秀な方だっただろう。
岩波ホールが夏で閉館するらしい。 このところなかなか映画に行かれなかったけど、あそこはミニシアターの最後の砦だと思っていたので、かなりショック。 最初に見に行ったのはアニエス・ヴァルダの「ジャック・ドゥミの少年期」だったかと。高校卒業後母校に顔を出したときに、招待券が余っているからと先生にいただいたのであった。 川喜多さんセレクトに対する信頼による集客も大きくて、彼女亡き後穴を埋めきれなかったのかもしれないんだけど、主たる観客が中高年だったからコロナで出歩けなくなったのも大きいんだろうなぁ。
車のへこみ、雪という自然現象相手なので保険対象かどうか不明。どうかと思ったが保険屋に問合せたら、保険は使えるらしい。ちゃんと直すことにした。
小学校は今日から始業。寒い寒いと文句を言いながら出かけていったらしい。しょうがない冬だから。っていうか昨日までもっと寒いところにいたよね?
今年は雪が多く、食堂の窓の外にも屋根から地面までつながる巨大な氷柱が見える。ヤバイなあれ刺さったら死ぬな、と思う。 夜、部屋で飲んでいるときに、屋根から雪が落ちるものすごい音。うわあ大変だねぇなんていって笑っていたけど、朝起きたら大惨事になっていたのだった。 うちの隣に停めていた車に雪塊が直撃したらしく、屋根もトランクもべこべこ、後部ガラスは粉々。トラックの荷台に引き揚げられていったが、たぶん廃車だ。スキーどころではない。関西ナンバーだったからどうやって帰るんだろう・・・。バスで在来線の駅→長野→中央線で名古屋よりも長野新幹線で東京→東海道新幹線で関西へ、だろうか。想像を絶する。 うちの車も多少傷とへこみはあったが、走るのに支障はない。駐車場所が一台ずれていたら、前の日に荷物を出すために車を少し出していなかったら、と思うと紙一重だった。
志賀高原スキー場には大勝軒が入っている。創業者がこの町の出身らしい。 わりとボリューミーなのでがっつり空腹の時しか寄らないのだが、今日は宅配便のお兄さんたちがニコニコしながら食べている。先輩後輩らしく、「俺、このルートめっちゃ楽しみにしてるンっすよ」と大盛りのつけ麺。 うん、そうだよね、こういう人たちにはがっつり濃い味の大盛りつけ麺嬉しいよね、と見ているこちらもニコニコになるのであった。
志賀高原でスキー。この時期なので猛烈に寒い。ダウンを買っておいてよかった。それでも寒い。手袋を二重にしていても指先が痛い。 あまり無理せず、早々に宿に引き揚げる。雪質は最高。
東京で雪が降った後にわざわざスキーに行くという不思議。でも東京じゃ滑れないからなぁ。
午後から雪が強くなって、早上がりしようと思ったんだけど、結局バタバタしていて会社を出たのは定時になってしまった。 結局乗り換えの駅まで辿り着いたものの、その先の電車が止まってしまい遠回りして帰宅。 最寄りの駅から歩くか本数が少ないものの家のそばまで来るバスが出る少し手前の駅で降りるか迷う。 電車の中でバスの運行状況を検索し、あまり待たずに乗れそうなので、後者を選択。助かった。
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