平らな

フラット。

いまの自分を素直に肯定できる
そんな稀有に感謝しよう。
たとえこれがつかの間の、一瞬だったとしても。

心象風景。
明確なイメージではないけれど。
2年前の私は
吹き溜まりのなかにいた。
全てが淀んで、濁って、凝っていく場所。

いまは、凪。
とってもフラット。
2012年10月23日(火)

乱される

この感情は、とってもやっかいだ。
いらないわけじゃない。
ステキなことではある。
だけど、制御できない。

乱される。
自分が自分としてふるまって
全てを統制しているつもりでも
この1点から綻んでしまう。

自分のことだけ考えていられれば
起こらない予測不能なこと。
だけど、積極的に関わりたい予測不能なもの。

あなたはどう考えていますか?と
自分のために聞く。

いつか来るかもしれない終わりを微かに考える事で
均衡を保つのは、
きっと自分の防御機構。

「やっぱりそうだった」って
言わない未来を夢想しながら。
2012年10月22日(月)

幸せの定義。

さいきん、とみに自分を幸せと思う。
ほんとうに素敵なこと。
同時に、なくしてしまったときのことを考える。
自分は自分でいられるんだろうか。
なくしてしまってもなお、幸せでい続けることのできるものが
自分の源泉なのだろうか。
それを慈しみ、大切にできたらいいのに。

目の前の人に受け入れてもらえたという幸福感。
もやもや考えていた問題を共有してもらえる存在。
いや、たぶん、共有っていうよりは、
向こうにもってもらう部分がおおきいのだけれど。

だからかな、あんまり浮かんでこないや。
ほんとうに素敵なこと。
2012年10月12日(金)

伝播するという、とある幸福

やっと聞いてくれた。
という思いで、私はなんだか
重い荷を少し降ろした気持ちになったのでした。

あんなに傷ついたけれど、
目の前の人に思いが伝播したことは、肯定された事は
やはり嬉しいことなのでした。

否定され続けた過去も、
何もできなかった自分も、
その瞬間のためにあったような気がしているのでした。

もちろん、現実が劇的に変わるようなことはないけれど。

話を聞いてくれた
思いを理解してくれた
という
当たり前で稀有な、些細でおおきな、
そんないちにちを経験して
わたしの半年間は、
このためにあったのではないかと錯覚するがごとくの
安堵感を得たのでした。
2012年08月01日(水)


たくさん傷つけてしまってごめんなさい。
私は自分本位だったな。
生き方が全く違うから、どこまで行っても分かり合えなかったのか。
思われているのは心地が良かった、から
だから一緒にいただけ…?
わからないや。
好きだったんだと思う。
楽しかったんだと思う。
いろんなことを受け入れてもらって
優しくしてくれて
ありがとうとも思う。

私は私のことが好きだっただけ?

最後くらいって思ったけれど、決心が鈍ってしまうんよねきっと。
私だってぐらついてしまう。
だっていまだってぐらついている。
だめだね。

弱いだけだからかな。
支えが欲しいだけだからかな。
ダメな自分だな。
2012年04月10日(火)

憧れ

ほんとかな?
逃げたかっただけ?
ちょうどいい口実を見つけた気になった?
真実は分からない。

思い切れる自信はどこから生まれてくるの?
どこから生まれてくるなんて他力本願なうちは
生まれてこないものなんだろうか。

巷の人は
すごいな。
みんなきちんと
毎日を生きている。
すごいな。
2010年12月04日(土)

急げ

変わってない。
結局。
無為に時間を重ねる
私は必要でない人間では?
自分に甘いを続けてきた結果
残ったのは何も無いただの空虚。
あれもだめだった。これもだめだった。
本当に必死になってすらいないのに。
手付かずの一日が手付かずのまま消えていく。
はじまる前はあんなに希望に満ちていたはずの。

どうしよう。
もうどうしようも無い?
自分を追い込んで
つらくなるのも自分。
だめだ。
急げ。
見据えろ。
振り返るな。

自分を実行するために
必要なものはなんだ?
もう一度考えて。考えないで。
一歩を踏み出して。
2010年11月13日(土)

雑文気分 / aqua

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