頭で考えるのを止める。 |
何かあった時に、 『これはこうで、こうしたからこうなった。』 と、理論的に物事を考えるのは止める。
原因と結果を追求しても、何にもならない。 過去に誰かが言った言葉とか教訓だとか、 そんな物に自分の行動を当てはめて納得したって意味がない。
自分が何か行動を起こそうとしている時に、 その行動を後押ししてくれる様な名言に会うと安心する。 自分のしたい事をする際に、自分の思いだけでは安心できずに、 そういう言葉を頼りにしてしまう事がある。 大義名分がなければ何も出来ないのだ。
頭で分かって自分の行動やその結果を納得している間は、 自分の中では何も動き出していない。 そうやって納得したからと言って、何になる? 何も変わりはしない、何も動きはしない。
本当はイヤなのに、無理やり納得しようとしている。 世間一般の常識とか、誰かの体験談とか、 そんな型に自分の気持ちや行動を当てはめようとしても無理がある。 他人は他人であって自分ではない。 他人の経験や感情がそのまま自分に当てはまるわけはない。
ところが、物事がうまく行かなかった時や、 本当は心がイヤがっている事をしようとする時、 人は、そういう言葉や教えを引用して納得しようとする。 失敗したとかイヤだとか心配だとか、 そういう感情を、それを感じるのを避けるために。
知らず知らずのウチに、ココロには無理がかかる。 自分に嘘を付いているとそれが身体に出る、感情に出る。 それに気付かないでいるのはとても怖い事。 日々の身体的不快症状や、うまく行かない毎日の原因が、 『自分をだまし続けている事』にあると気付く人は少ない。
何かにつけて『世間って〜なもんじゃん?』 という発言をする人が同僚にいる。 一生懸命話をしている時にそう言われると、がっかりする。 そんな言葉で物事を片付ける事に何の意味があるのか。 世間はそういう人が多いかもしれないけど、あなたはどう思ってるの?
母にもよくそういうことを言われた。 世間はこういうもんなんだから、あんたも・・・と。 『でも、私はそれがイヤなんだ。』と何度言っても分かってもらえない。 私の事をただの変わり者だという扱いをする。腹立たしかった。
自分が感じた事を大切にしたい。 嬉しかったとか、悲しかったとか、腹が立ったとか。 我慢したくなかったら、我慢しない。 大人のフリをして、分かったような顔をして我慢しない。 自分をだまさない。
感じる、とにかく自分を感じる。 今どう思っているのか、どう感じているのか。 出来るだけのアンテナを立てて、信号を読み取る。 考えない、ごまかさない、だまさない。 そのままの自分でいる。 シンプルだけれどすべての根源だ。
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2004年10月20日(水)
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