紫
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いつももらってばかりで悪いので、家にあるものをちょこっとお届けしました。
いただき物の数品と、母の手作り梅干し。
友は不在で、友のお母さんと立ち話。
いつももらっている物と比べたら、なんだか割が合わなくて申し訳ないくらいです。
「よかったら、うちのお父さんといっしょに、畑に行ってくれない? 大根がこれで最後なの。もらっていってやって」
いつも、あまり人前に出たがらないという友の父。
私といっしょに畑に行ってくれるそうです。
あぁ、なんてウレシイ。
小雨の降るなか、畑の中でせっせと収穫。
いえ、私は畑の端っこで、友の父がにこにこしながらどんどん収穫していく勇姿に感服しながら見ていただけです。
大根に白菜にブロッコリー、かぶ、ネギをいただきました。
「収穫がね。うれしいね」
友の父が畑の楽しさを語ってくれました。
そして夜。
いただいた野菜たちを、家に持って帰りました。
「うわ〜。何?この大根!」
大根の並大抵でない大きさに、母が台所で絶叫していました。
「すごいなぁ。すごいなぁ」
いつもどおり、野菜に感嘆する母。
とても、とてもうれしそうです。
今日は、そんなこんなで、私もなんだかうれしい日。
どうも、ありがとう。
おやすみ。
あぁ、寒い。
おやすみ。
そして、2月。
「如月(きさらぎ)」です。
寒くて重ね着をする「衣更着」から転じて「如月」となった説が有力だそうですが、真相は知りません。
中国から伝わった「如月」という漢字を「きさらぎ」と読ませた最初の日本人は、いったい誰だったのでしょう。
最初から何かを作り出すことはニガテなようですが、既存のものを自分たちの使いやすいように改良して自分たちの文化にしてしまう国民性を、私はキライではありません。
「衣更着」の2月というとおり、寒がりの私は毎日5枚くらい重ね着をして外出しています。
薄着にダウンジャケットの姿が多い街なかで、ひとりこんもり膨れ上がっているのは、重ね着のせいにしておきましょう。
おやすみ。
中学校2年のとき。
「奥の細道」の序文を暗唱する試験がありました。
こんなの覚えても、仕方がないのに……、と思いながらも、友人たちと必死で覚えたあの序文。
私の旅心は、そのときに根付いたのかもしれません。
「そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につかず」
神様が僕を旅に出るように、そわそわさせているんだ。
おまけに、旅の神様が僕を呼んでいるんだ。
旅に出るのは神様のせいにしているようなこの序文。
旅に出る前に必ずといっていいほど、思い出します。
学生時代から何度も計画を立てては中止してきた「奥の細道」の旅。
いつか、実現したい私の旅のプランです。
ちなみに、芭蕉が「道祖神のまねき」にあっていたのはちょうど今ごろ。
なんとなく、私もそわそわしてしまうのは、芭蕉のせいでしょうか。
明日から2月。
今年の旅のプランをそろそろ立ててみようかな。
おやすみ。
百貨店が、月末大売出しをしていたので、母に刺身を買って帰りました。
いつもより500円ほど安く買えました。
まぐろにはまちに甘えびにぶりに……、あじ。
母が言いました。
「あじ、珍しいなぁ。めったにないよ、あじの刺身」
私は思いました。
ふぅん。あじの刺身か。あとで一つ、もらおう♪
「あじ、おいしいわ。おいしいおいしい。珍しいなぁ」
母が喜んで食べていました。
しばらくしてから、母はいつものように、私にも刺身を勧めてくれました。
「あんたも、食べたら? はまち」
え? はまち? それより珍しいあじを私も食べたい、と刺身の皿を見ると…。
あ、あ、あじが……。
あじの姿が見えません。
「……、あ………」
「あじ、食べたよ。全部。珍しいのに、残っているわけないやん」
「え………」
もともと、母に買ってきたものだから、どっちでもいいのだけど、あじ。
珍しいあじの刺身。
……………。
食べたかったっ!
おやすみ(涙)。
自分でもつくづく、麺類が好きなんだなぁ、と思います。
疲れたとき、なんとなく落ち込んでいるときは、むしょうに麺類が食べたくなります。
パスタでもラーメンでも蕎麦でもうどんでも、なんでもいいんです。
ごはんではなく、麺。
むしょうに、麺。
どうしても、麺。
…………、麺。
そして、今日はもちろん、麺。
おいしいおいしいトマトソースのパスタを食べました。
あぁ、幸せ。
あしたから、がんばるぞぅ。
おやすみ。
レモン酒、いつもおいしいよ。
おやすみ。
いきなり、突然、空気のような存在だった人がいなくなることに、もうすぐ1年が経とうとしているけれど。
やはり、私たち母子にはまだ受け入れられていないようで。
まだまだ受容に時間がかかるようです。
週末、父の友から電話があったみたいです。
「オレ、今日、暇だからおやっさん(父)に、遊びに来てって伝えて」
そんな無邪気な電話に応対した母。
父の死を告げました。
「おやっさんは、幸せものやったな。家族に看取られ、好きな酒も最後まで飲んで」
電話口で泣きじゃくりながら、父の思い出を語ってくれた人。
そんなふうに、私たち母子と同じ気持ちで泣いてくれるだけで、うれしいです。
大事にしようよ。
人の命。
人としての、生活を。
おやすみ。
「三四郎」「それから」「門」といえば、言うまでもありません。
夏目漱石氏の「漱石三部作」と呼ばれている作品たちです。
私がこの三部作を初めて読んだのは、二十歳のとき。
岩手を、初めての一人旅をしていた時に出会いました。
夏目漱石って、天才だったんだな。
素直に単純に思いました。
それまでも、中学や高校の授業で出会った作品はいくつかあるけれど、あまり心を動かされず。
きっと、彼の作品を読むには、私自身が幼かったのでしょう。
竜飛(たっぴ)岬の堤防で読んだストレイシープ。
今はどこを迷っているのか。
そんなふうに「夏目漱石」と聞くと、岩手のあの風の強さを思い出します。
友に背中をたたかれるまで、読みふけった漱石と、目の前にそびえていた北海道の姿。
「三四郎」「それから」「門」。
もう一度、読もうかな。
今は、どんなふうに感じることができるのでしょう。
おやすみ。
がんばっているのに、がんばっていることを評価されない、って、がっつーーーん、ときますね。
ということで、今日も飲みに行きました。
弱音を吐きそうになったけれど、ここはぐぐっと我慢。
がんばっているのだから、いずれ報われる日がくるのでしょう。
おやすみ。
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