林檎を齧ると歯茎から血が出るだと?それは林檎が悪魔の実だからだ! - 2003年05月17日(土) 先日大量注文した聖飢魔IIのCDたちが、本日到着した。 - backbite - 2003年05月15日(木) 私の斜め前に座っているNさんは人材派遣会社から派遣された人で、齢は40を超えている。おばさんといえばおばさんであるが、言動などは若い感じであるため、そうはあまり見えない。 この方は言ってみれば「一般職」の人がやるような仕事をしているのだが、一般職の採用をもうかれこれ数年来手控えている我が社では、このような派遣の人が働く場合が多い。 で、今日なのだが、所属が変わった人がメールアドレスも変更になり、メールアドレスが変更になった旨を関係者に伝えるということをNさんに依頼したらしい。まあ言ってみればこんなことはその人本人がやればいいことで、何もNさんが頼まれるようなことでもない。だから、Nさんがブツブツ文句を言いながら対応していたのだが、この態度が最悪だった。 ブツブツ文句を言うのはまあ仕方ないし同情もするが、それを関係無い人たちを呼び止めてわざわざ陰口叩くのはやめろと。それに対して「まあまあそう言わずに」と言う対応をしたSさんに対して「私はSさんみたいに大人じゃないから、そんな風に考えられないわ」等と言った時点で、ダメだこいつはと思ってしまった。 あー、俺こういう奴大っ嫌いなんだよな、と思いながら仕事してました。齢はオバサンなのだが、中身はギャルなんだよな。その位我慢しろ、このギャルババア。 - 結婚ラッシュ - 2003年05月14日(水) 別に今に始まった話ではないのだが、昨年末から結婚するカップルが多い。3月は白石のがあったし、来月は玉木のがある。再来月は会社の同期のがあって、これは初めて東京を出て、わざわざ二次会だけのために名古屋に行く予定だ。車で行った方が良いだろうな。 何か、大学時代のサークルの友達とか研究室の友達とか、それからバイト時代の仲間とか会社の同期とか、数え上げると私と同年代で結婚した人って、もう20人とか30人とか、そんな感じなんだよな。先輩とか合わせると多分もっと凄いと思うんだけど、なんつうの、何か最近こんな感じになっているような気がするんだよな。 他人の結婚する姿慣れ 全然語呂も良く無いし、一息で言うにはあまりに長すぎるんだが、何かもう人が結婚して行く姿を見るのに慣れてしまい、別に感動しないというわけでは決して無いのだが、自分と重ね合わせるという神経が磨耗してしまって、もはや自分に対して何も思わないと言う状況に陥っているような気がする。 さらに、友人が結婚するという知らせを受けるわけだが、かつて程の驚きなどはあまり無く、例えば友人に対するお祝いメールは、 「いよいよですね、おめでとうございます。」 と言う感じで、全然驚嘆の感嘆符などが付かない挨拶になってしまっている。 一つ明らかなのは、もう結婚なんて珍しくないという齢に達していると言うことで、結局これが一般的な適齢期と言う奴なのだろうか、とか思う。これは何も結婚する人だけじゃなくて、私のように結婚の予定が無い人間にも言えるだろうし、結婚の意志や希望の無い人にも当てはまることだろうと思う。結婚しようがしまいが、結婚を当たり前として意識する年代なんだと。 以上、本日の日記終わり。 - 聖飢魔II 再び - 2003年05月11日(日) 聖飢魔II好きへの100の質問に答えたら、何か久し振りに聖飢魔IIを聴きたくなって、アルバムをごそごそと出してみた。今持っているCD/MDプレイヤーは、それこそ今から7年ほど前に買ったものと記憶しているのだが、このプレイヤーで聖飢魔IIを聴いたことは無いというほど、全く最近は聴かなかった。 久し振りにCDを探すと、次のCDが発見された 悪魔が来たりてへヴィメタル THE END OF THE CENTURY 地獄より愛を込めて BIG TIME CHANGES 有害 WORST(第一回ベスト盤) で、私が聖飢魔IIファンになったきっかけとも言える、THE OUTER MISSIONが無い。無くなっているぞ!!! 何だか久し振りに聴こうとすると意地でも聴きたくなるもので、すぐにamazon.co.jpに飛んで、検索をかけてみた。3000円と言う大金を投じてCDを買うと言う中学生時代では最早無く、3000円くらいなら出してやると言う感じで気軽に買おうと思ったのだ。 そしたら意外なことに、聖飢魔IIのamazon上での評価がかなり高いことに気付く。 聖飢魔IIはKISSを思わせるビジュアル性やデーモン小暮のエンターテイメント性から、単なるコミックバンドのようなものとしての認識が支配的で、その音楽性を評価されると言うのは一般的には無かったと思う。だから、聖飢魔IIファンだ(だった)と言うと、結構笑われたりする。ただ、音楽性への評価自体は案外高いと言うのは私自身前から知っており、例えば私の幼馴染で洋楽しか聴かない年上の友達に、「俺は聖飢魔IIが好きだ」と言ったところ、「あー、俺も日本のバンドで一番上手いと思うのは聖飢魔IIだよ。」とか言っていたのも覚えている。まあ日本一かどうかは個々の判断の割れるところだと思うものの、彼は聖飢魔IIのファンであることを笑わなかった数少ない人々の一人だった。 とりあえずamazon.co.jpで「聖飢魔II」で検索をかけると、彼らのアルバムに当然ヒットするわけだが、そこで出されている評価(星数)を見れば、この意外感をあなたも体験できるはずだ。個人的に私が最も印象に残った評者のコメントは次のものだが、二つの短文で見事に彼らの巷での評価と聞いてみた評価の違いを言い表している: 「悪魔だからとバカにできないよ。最高のアルバムです。 」 これは"THE END OF THE CENTURY"と言う、有名な「蝋人形の館」を収録している初期のアルバムに対する評価である。まあ私自身、このTHE END OF THE CENTURYが聖飢魔II最高のアルバムだとは思っていないし、ましてや今まで聴いた全てのアーティストのCD中で最強だとも思わないが、要は「聖飢魔IIは音楽をやるグループだよ」と言うのを表現しているコメントだと思う。 全然話が逸れたものの、THE OUTER MISSIONも満点(星5つ)の評価を受けているのは何となくとても嬉しいが、それを注文すると共に、関係アルバムを何だか合わせて5枚も買ってしまい、総計1万6千円も聖飢魔IIを買ってしまったことになった。5枚のうち3枚はベスト盤で、当然重複している曲もあるものの、私が聖飢魔IIを聴かなくなってからの曲も当然収録されており、後期の聖飢魔IIを今更ながら学習するにはいい機会かと思い、重複など気にせずに買ってしまったわけである。 さらに、CANTAと言うバンドのCDも買ってしまったのだが、これは聖飢魔II解散後の今、元構成員が音楽活動を継続している証と言うバンドであり、CANTAの構成員3名のうち、リーダーは聖飢魔IIのギタリストで、私が構成員で一番好きだったルーク篁(たかむら)、ドラムは聖飢魔IIでドラムを勤めたライデン湯沢(現在は漢字表記で雷電湯澤)である。ライデンはその前にRXと言うユニットで音楽活動を行っていたが、このユニットの片方は聖飢魔IIのベーシストであるゼノン石川で(RXはRaidenとXenonのイニシャルをくっつけたものだ)、こうして見ると、彼らは解散後も同じグループでユニットを組んだりして、音楽活動を継続していることが分かる。尚、各構成員は、デーモン小暮以外は既にあのメークをやめており、今は素顔の彼らを見ることが出来る。 まあ100の質問に聖飢魔IIが無ければ、ひょっとしたら二度と興味の向くことは無かったであろう聖飢魔IIだが、中高生時代に聴いた曲の歌詞を未だに殆ど覚えているという点では、このバンドは私の中に影響を及ぼしたのだろうか。聖飢魔IIの曲は、彼らのルックスからも分かるとおり、愛だの恋だのを歌い上げることは稀で、悪魔系の血塗られた歌詞(「処女の生き血を貪り飲む」だの「豚の胃で作られた子宮の中に」だの)から、次への転換は宇宙的な歌詞になったりと、歌で愛を語ることが殆ど無い。これが未だに恋愛下手と言う私を形成したのかも知れない。違うかな。そりゃ違うな。 とりあえず、来年30と言うこのタイミングになって、今までの人生の半分前くらいにハマった聖飢魔IIに触れるのは、中々いいかもしれない。久し振りにアルバムを聞いて、いやー、懐かしいなと、昔を思い出してしまった。今度のドライブにはゴルフ備え付けの6連CDオートチェンジャーに全部聖飢魔IIのCD詰めて、全て車の中で歌ってやろうか、などとも思っている。だって歌詞全部覚えているんだもん。 - 温泉へ行こう - 2003年05月10日(土) 今日、本屋で「つげ義春の温泉」と言う本が置いてあるのに気付いた。手に取ると、つげ義春が撮った温泉の写真と、つげ義春の温泉に関するマンガ、さらにエッセイが載っている。中々ゴツイ本である割に1800円と安かったので、買うことにした。奥付けを見ると今年の2月10日に発売されたらしいが、既に2月25日には二刷目が出ている。とは言え、今日は5月10日だけに、この本屋ではだいぶ前に入荷して以来、今まで売れないでここにあったのだろう。現在第何刷まで行っているのかは不明だ。 つげ義春は漫画家だが、当然私はつげ義春と同時代人ではなく、恐らくつげ義春が描いたり書いたりしているエッセイやマンガで出てくる、彼の息子と同じくらいの年齢だと思われる。従って、つげ義春が活躍した頃を知る由も無いし、第一売れた頃はまだ私は生まれてもいなかった筈だ。 つげ義春と言う漫画家を知ったのは恐らく高校時代だと思う。私が高校生だったのは世の中バブルの真っ盛りと言う、1990年代初頭である。その頃、漫画しか読まなかった私は、本屋に行ってもマンガコーナー程度しか行かなかったのだが、その頃つげ義春の漫画が復刻版かなんかで書棚に並び始めていたのである。良く分からないが、つげ義春の再評価がなされた時代であったと思う。とは言え、別にその頃はつげ義春の漫画は買わず(何しろ結構豪華版で高価だった)、手にしたのは文庫版が出始めた頃である。これは多分大学時代だろう。 そもそも、つげ義春関係のもので一番最初に触れたのは、竹中直人が監督・主演をした「無能の人」である。竹中直人が好きな私は、よく竹中直人が出ている映画を借りて見ていたのだが、その中で第一回監督作品として、比較的評価された「無能の人」を見たわけである。 そのときの印象は、竹中直人の芸風の中でも、「真剣に暗い」と言うイメージであり、何だか別人を見るようだった。「無能の人」を見てつげ義春に好感を持ったと言う記憶は全く無く、はっきり言って当時高校生だった(と思う)私には、この「陰鬱さ」の面白さが全く分からなかったと思う。ズバリ言って、映画「無能の人」は、私にとって面白い映画ではなかった。 大学に入る前からマンガ以外の本を読むようになった私だが、そんな折に文庫コーナーにつげ義春の文庫漫画が並ぶようになった。漫画の文庫化の初期であり、今のようにマンガコーナーに文庫漫画が並んでいたわけでなく、普通の文庫のコーナーに漫画が並んでいたわけである。映画でイマイチな感想を持った私だが、マンガしか読まなかった私にとって、既に古典化して豪華な装丁をされた高価なつげ義春は若干「憧れ」のマンガだったようで、廉価になった文庫漫画はすぐに買ってみた。結局、これが本当のつげマンガとの出会いとなった。 つげ義春のマンガは、それまで読んだことも無かったようなマンガだった。ハラハラするシーンは殆ど無く、擬態語と言うかそんなもので表現すると、「淡々」と言うのが最も良く合っている、しかも侘しいマンガだった。何となく破滅的と言うか、気力が抜けるマンガで、だからと言って肩に力が入らずにリラックスして見られるものでもなく、読んだ後はとてもだるくなる、そんなマンガだった。 だが、私はつげ義春のマンガが気に入った。そのときは何故かよく分からなかったが、最近「貧困旅行記」と言うつげ義春のエッセイ集を読んでいて、この暗さ加減が私に共通するものがあると感じたからだと思う。そのときは意識しなかったものの、何となく無意識に彼の「暗さ」に、自分と何か共通したものを感じ取ったのかも知れない。 つげ義春のマンガで最も印象的なのは、自身の厳しかった少年時代を描いたもの(母親と再婚した継父に苛められながら町のメッキ工場で働かされる日常)と、貸本マンガで生計を立てている際、売れなくて非常に厳しい生活を送る日々であるを描いた私小説的マンガである。恐らく、このような時期を経て人生観が確立したと思われる彼の作品は、従って全体的にかなり陰鬱な雰囲気を醸し出している。浅野忠信が主演してまあまあ話題になった「ねじ式」も、原作は妙な異空間の様相を呈する、気味が悪いといえば気味の悪いマンガだ。 陰鬱な雰囲気を出す中でも、比較的つげ義春の感情が楽しげに出ているのは、彼自身が好きな鄙びた温泉地を旅するものである。「ゲンゼンカン主人」と言う、これまた陰鬱なマンガもあるものの、彼自身が訪れて彼自身と思われる主人公が出てくるマンガ(殆ど創作らしいが)は、中々生き生きとした風情が描かれている。喜怒哀楽が出ているのもマンガで、マナーのなっていない客の行状を非難めいて表現するマンガなどもある。 彼は鄙びた温泉地が好きであると言うのは、貧困旅行記などにも記されている。その中で、温泉マンガや温泉エッセイを収めたのが、今日買った「つげ義春の温泉」である。見ていて思うのだが、やはりマンガの方はつげ作品では珍しい、生き生きとした情景で描かれている。だが一方で、エッセイの方は案外そうでもなく、意外と暗かったりもする。印象的な文として引用すると、 何もつけぬパンを三人でちぎって食べて、だんだん侘しい気持ちになった。大平台以外は、やはり貧乏人の来るところではないようで、箱根の印象は、一部を見たに過ぎないが、東北地方の鄙びた温泉地に馴染んできた私には、どうして人気があるのか解らなかった。 等と書いてある。彼は東京出身だが、あまりメジャーなところは好まずに、旅行先は不便な田舎にある、本当に寂れた温泉街ばかりに行っている。特に好んで行っているのが会津の山奥にある温泉地であり、たぶん普通の人からすると、別段娯楽も少ない冴えない湯治場のようなところで、一体何が楽しんだろうと思うような感じである。 この嗜好は私とかなり合致しており、まあ結局私の場合に過ぎないのだが、旅行に行ってあまりガヤガヤする所に行くのは好まず、一人で何となく物思いに沈めるようなものを求めている。また、これはつげのエッセイにも良く出るのだが、その風景の風情とか雰囲気を愉しむと言うのが良いのであるようだ。だからと言って中々高級な旅館に泊まるのは嫌がる訳ではなく、案外安くていい旅館に泊まると、それはそれで嬉しそうに文を書いている。 何か一人で喜怒哀楽を静かに表現していて、本当に暗い奴だと言う感じがするのだが、こう言うところが私の中にも確かにあって、これがつげ作品を気に入った理由のような気がしないでもない。 何か書いているうちに温泉に行きたくなってきたな。 -
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