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無理強いはよせ...FDN

 

 

結婚式ラッシュも取り敢えず一段落か - 2003年06月08日(日)

本日の玉木結婚式を以って、取り敢えず私のサークル同期内の結婚式は一段落と言う感じのような気がする。と言っても、他にも近日中に結婚式を挙げる同期はいるが、それには出席しない。来月、会社の同期の結婚式に出るため名古屋に出向くが、まあ会社の方は幾つかあるだろうか。何しろ会社の同期は殆ど院卒なので、現在社会人4年目くらいで結婚を立て続けにする傾向にある。現場帰りで金が貯まっているという状況もあるだろう(現場赴任に行っていないのは私だけになってしまった=金は貯まっていない)。

もう結婚式にも慣れたと言う感じだが、本日の披露宴は主賓挨拶等はカタかったものの、芸(我々のも含めて)は中々勢いがあった。また、披露宴に付き物の湿っぽいシーンなどは今回は特に無く(新婦の両親への手紙とか、来賓の涙を誘うものは一切無かった)、玉木らしいカラリとした結婚式だった。今後、この夫婦はどんな時も平静に暮らしていくと言う印象を持ったが、これは全く負の意味ではなく、恐らく人生の終わりに際しては「やはりこいつと結婚して良かった」とお互いに思えるような関係になるだろう、と当てにならない私の予想をしてみたりした。あっさりしていたが、そんな意味では実はかなり良い結婚式だったと感じたが、他の列席者は果たしてどう感じたのだろうか。

あー、しかし明日朝から会社ってのは、やはりダルいな。やはり結婚式はなるべく土曜に。

>業務連絡<

町田と津川。見てるならたまには近況でも知らせるように(掲示板にWESAスレッドを立てていいぞ)。


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実話かどうかは調べていけば分かるだろう - 2003年06月07日(土)

沢井鯨と言う作家がいる。デビュー作(?)はPrisoner In Phnum Penh(略してP.I.P)と言う本で、第二作はDice of Die(略してD.O.D)と言う本である。前者は、自身がでっち上げでプノンペンで投獄された経験をもとに書いた本で、二作目はマニラで同様に嵌められた日本人達を取材して書き上げたミステリー小説だそうである。

で、本日の主役は沢井鯨ではなくて、二作目D.O.Dに登場する人物のモデル(になっているのかは分からないが)の人である。この人、昨日終電終わった後に桜木町から乗ったタクシーの運転手なのだが、彼は沢井鯨から取材を受けたことがあるらしい。

昨夜、飲んで終電を逸した私は、地下鉄のある交差点からタクシーに乗って家に帰った。

「すいません、江田方面」

と言うと、運ちゃんは江田がよく分からないと言う表情をして、

「港北方面でいいんですか?」

と言ってきた。第三京浜の港北ICを降りれば分かるので、それでお願いしますと言うと

「いやー、タクシーの運転手は久し振りに始めたんで、良く分からなくて。4年間休んでたんですけど、横浜も変わっちゃいましたね」

と言ってきた。そうですね、確かに港北の辺りはガラリと変わりましたね、などと話していたのだが、この人話好きらしく、結構話しかけてくる。酒は入っていたが意識のハッキリしていた私は話をし続けた。4年間は違う仕事してたんですか?と聞くと、マニラにいたと言う。経緯はこうだ。

タクシーの運転手稼業を続けてきたこの人は、4年前に10日間の予定でフィリピンに旅行に行ったらしい。予定通り帰るとき、出国審査で賄賂要求の難癖を付けられた。入国スタンプが押されていないと言う。入国スタンプはしっかり押されているので「押されてるだろうが」と突っ込むと、これは偽のスタンプだと始まったようだ。揉めているうちに別室に連れて行かれて、ホテルで待機するように言われたようだ。それでホテルに戻され、数日間音沙汰なしで過ごしたらしい。

数日後、再び出国を試みると、今度は滞在許可期間が過ぎていると言うことになり、これで逮捕。大使館に掛け合ったものの、マニラでは不法に日本からやってくる人間が多いからか、それらと同一視されて助けてくれず、禁固刑1年を食らったようだ。

1年後、出獄したはいいものの、既に金も何も無い状態に陥り、大使館の相手のしてくれなさは更に磨きがかかり、日本人とさえ認定されなくなった(パスポートも無くなっていたらしい)。全く助けてくれる人間がいない状態に陥った。日本の家族と話をしようにも、家族と連絡が取れず、また1年も全く音信不通だったことから恐らくもう死んでいると思われたのか、向こうからのアプローチも無かったような状況のようでもある。そこから3年、物乞い生活で何とか死を免れて生活を続けたそうだ。

3年経ったある日、最初の出国のスタンプ関連で揉めた警官に物乞い生活が見つかり、これで馬鹿にされたのを機にぶち切れ。もともと空手をしていただけあって、10人いた相手の一人の目を潰すくらいの切れぶりだったようだが、多勢に無勢で結局ボコボコにされ、これで生死を彷徨う。幸い助けの手が出て医者にはかかったものの、このままでは死んでしまうと言う訳で再び大使館に行き、相手にされずとも門柱にへばりついて助けを求めたようだ。

外務官僚はこの際一切無視したようだが、公安関係でマニラ大使館に出向で来ていた日本の警察関係者がこの人に気付き、色々調べ始めてくれたようである。これで潔白がようやく証明され、日本の家族にも連絡が取れ、金を工面してパスポートと航空券を購入し、ようやく「強制送還」と言う名目で帰国を果たしたらしい。

帰国後、外務省の偉いさんから「すみませんした」の電話が一本入っただけでこの問題は片付けられてしまったようだが、本人は納得が行かない。しかし、今回金を貸してくれたりした義理のお兄さんがどっかの省庁の結構偉いさんで、ここで国を相手に訴訟を起こしたらその地位が一気に揺らぐことから起訴を諦め、結局タクシーの運転手をまた再開したようである。

「もうどうすることも出来ないんで、本でも書こうかと思っているんですよ。」

と言っていた。

マニラは日本から逃げてきた人たちが大勢いて、大使館もこのような人間達を殆ど「不可触日本人」的に扱っているようなので、本当に言われ無き罪で酷い目に遭っている人間を助けることは殆ど無いようである。また、このような人間に助けの手を差し伸べて、金を渡す人間も殆どいないようだ。理由は「こういう日本人は帰る気は全く無く、金貰ったらすぐに覚醒剤に使ってしまう」と言うことが定式化しており(実際そうらしい)、容易に助けの手が入らないのが現状のようだ。

「全く、今考えたらスタンプでいちゃもん付いたときに金を払えばよかった」

と言っていたが、それは確かにそうだろう。

役人の特に腐っている国に一人旅で行くのは、実はかなり危ない。


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久し振りにTOEIC受けてみた - 2003年06月05日(木)

TOEICで860点を超えたら報奨金を出す。

と言うイベントが会社で開始された。入社以来受けていなかったTOEICだが、車の修理で金が飛んだり今週玉木の結婚式で金が飛んだり、飲み会多過ぎで金が貯まらなかったりと言う惨状の私にとって、この恵みの雨のようなイベントに申し込まないわけが無い。という訳で早速申し込み、先週受けてみた。企業向け(IPテストと言う奴だ)のものは1週間で結果が返って来る。

で、結果。

部長が私の席の前に来て

「TOEICの結果、945点だぞ」

と言った。

945点?

きゅ、945点?

自己記録更新どころの問題じゃねえだろ。確かに手ごたえは結構あったが、「よーし、次回(8月下旬)は900点越えてやる」くらいの出来だったような気がしていた。先日捨てたTOEIC本を買い戻してやろうかと言うくらいの勢いで、何と文法問題集とか買ってしまったほどなのである。工業英検の前に取り敢えずTOEICかな、とか思って。

特筆すべきはリスニング490点と言うもの。リスニングって、満点495点らしいんだが、100問中1問くらいしか間違えてないのかな。いやね、確かに聞き取れない所とかはありませんでしたよ。でもさ、ちょっと迷う選択肢とかあるじゃない。特に私があまり得意じゃない2番目の問題、ってほらこういう奴、

1. 昨日どこ行ったの?

A. 私の人生の目標は叶姉妹です
B. え、別にどこにも行ってないよ
C. 夜霧の終着駅です

何つうの、明らかに違う受け答え(A)と、一瞬戸惑うけど正解は(B)で、(C)は正解のように感じるけど、夜霧の終着駅は石原裕次郎の歌だから不正解、みたいな。まあこんな微妙な問題は出ねえけどさ、やはり今回も2番目では「あれ、どっちだ?」と言うのがいくつかあったからな。

まあ何だかんだ言ったところで、取れば取ったで嬉しいものですね。特に最近悪いことばかりだったし。

尚、報奨金は明日の飲み(若干豪快に奢る)と玉木への祝儀で足が出る予定。おいおい、結局蓄えが減るのかよ。


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都立高校で授業の評価を生徒がすることになるようだ - 2003年06月03日(火)

朝日新聞夕刊を眺めていたら、そんな記事が載っていた。板書の構成や授業準備の質などを生徒が評価するらしい。チョークの色のレイアウトまで評価対象になっていたりと、中々細かい。この記事を見ていて、私の脳裏を走ったのは高校時代の日本史のA先生の授業である。結論から言うと、A先生の授業は私が覚えている中で、最もダメな授業だった。

(1)授業準備

彼は果たして授業準備をして来ているのだろか。山川出版社のあの赤い教科書を読んでいって、たまに自分が知っている蘊蓄を傾けているだけのような気がする。

(2)板書

この先生は、何故か黒板の中央部しか使わない。端から書いたら教室の端に座っている生徒に見にくくなってしまうと言う、絶大なる配慮から為される行為なのではないか、などと一瞬たりとも思ったことは無く、教壇を単に右に左に動きたくないだけのような気がしてならない。板書も無茶苦茶汚い字で、自分の喋ったことをまるで自分自身の備忘メモのように書くだけで、体系と言うものが全く感じられない。しかもあの板書、教科書読んでるだけでもいいんじゃないの?

(3)喋り

どこが重要なのかさっぱり分からない。何かいつもと同じような適当な喋りっぷり。彼は果たして教育に情熱を持っているのだろうか。

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いやさ、一体何でなんだろう。歴史だぜ。歴史なんて、多分一定以上面白い科目の筈だよな。別に入試に出る「覚えなければならないこと」をひたすら覚えさせるようような授業でも無かったと思う(大体この先生は入試問題研究とかしたことあるんだろうか)。そもそも、歴史はかなりのストーリー性とエピソードを持っていると思うのだが、何かそれだけで興味深いモノに出来そうな気がしないでもないのだが...

物理とか化学に比べれば、絶対万人受けする授業を展開できそうなものだが、そうでもないのかな。とにかく、今日新聞を見てこの先生の授業を真っ先に思い出すほど、彼の授業は酷かった。まああっしは大学・大学院時代に進学塾でバイトしてたけどさ、科目は数学と理科だったけど、日本史にコンバートしろと言われて、いきなりやっても多分彼の授業の5億倍マシな授業を出来ると思う。質ゼロに5億かけてもゼロはゼロだがなあ。

と言うくらいの授業だった。何か思い出したら腹立ってきたな。


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ダニー - 2003年06月02日(月)

昨晩は殆ど一睡も出来なかった。いや、痒くて。どうも一昨日くらいから私の部屋のカーペットにダニらしきモノが大繁殖したようで、とにかく体の隅々まで痒かった。

つうことで、本日は帰りにダニアースとスキンガードのダニ用の奴を買うことにしたのであるが、財布に1200円しか入っていなくて敢え無くダニアースの方を諦めた。ダニアースは絨毯は使えるだろうが、布団には使えないような気がしたのだ(恐らくダニーズは布団でも繁殖を繰り返しているだろう)。

俺の布団で繁殖を繰り返すなんて、何て破廉恥な奴らなんだ...。


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