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無理強いはよせ...FDN

 

 

世界史の勉強 - 2003年06月18日(水)

私は理工学部出身と言うこともあって理系の人間だが、国立第一志望だったので受験生時代は社会もやった。しかし、選択したのは私にとって当時趣味に近かった地理であり、一所懸命勉強している数学とかが地理の偏差値に勝てないくらいだった。と言っても未だにマニアックなほどに地理の知識が残っているかと言うとそうでもない。忘れてしまっていることのほうが多い。未だにタロイモの生産高世界5位がウガンダなのかも判然としないなど、地理は1年単位で色々変わるから、ついていけないと言うこともあると思う。

国立大学受験に失敗して、だったら社会なんてやらなくてもと言う私立大学に入学したわけだが、その時代に興味があった社会科はどちらかと言うと世界史で、会社に入ってからは山川出版社の世界史の教科書を買ったりして、つまみ読みなどをしている。しかし、世界史と言う非常に長期にわたる人間の歴史を僅か300ページくらいの冊子(しかも字が結構大きい)に詰め込んだ教科書と言う代物は、要点と言うか歴史上の重要な事件を単語を羅列して書いていると言う感じで、中々頭の中に残らない。

初心者はやはり基本的な参考書だろうと思って、例えばZ会の「はじめる世界史 50テーマ 入試への基礎」なども買ってみたのだが、これは更なる要点の要点と言う風情で、エピソードも減った暮れも無くてこれまた頭に入りにくい。例えば、

カノッサの屈辱(1077)…聖職叙任権闘争中の代表的事件。教皇グレゴリウス7世と神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が衝突、皇帝は破門され教皇に屈服。

これだけかよ!これだけじゃ何が何だかさっぱり分からん。

フジテレビの深夜番組「カノッサの屈辱」、それをパロディとして使ったUNの「加納さんの屈辱」を超えるインパクトをもたらす受験参考書募集中。


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プジョー - 2003年06月16日(月)

午前中、仕事をしていると電気部同期Aからメールが入ってきた。電気部同期Aは「23階南の横綱」と呼ばれているのだが、横綱とは「いつまで経っても彼女が出来ない奴」と言うことで、電気部内でも有名である。Aはかつて、クリスマス大寿司食い放題大会を主唱・主催したことで、私の先輩や後輩にも名が通っている。当時の模様はここに詳述している。

そのAが、こともあろうか「ご報告」と言う件名でメールを送りつけてきやがった。この「ご報告」と言うのは、同期が結婚する際にだけ原則用いる合言葉的な件名であり、23階南の正横綱を張る人間が送っていいメールではないのである。

その報告には、

トヨタのMR-Sを(中古ながら)購入しました。」

とあり、しかも

「さらに、助手席に乗る女性も出来ました」

と書いてある。

仕事中に下らねえメール送ってきやがって、士気阻喪も甚だしい。馬鹿野郎、ぶっ飛ばすぞ、と言うメールを即刻返してやった。

夕方、後輩とコンビニに買い物に行った時、at!にプジョーの車が展示されているのに気付いた。みなとみらいでは、理由は良く分からないのだが、毎年この季節にフランス映画祭をやっており、その一環でこの御フランスの大衆車が置かれているのだろう。大衆車と言っても、置いてあるのは500万くらいする。

後輩「いやー、次はプジョーなんてどうですか?」

と聞いてきた後輩に対し、

「今、財布に653円しかない俺が、どうやってこんなもん買うんだよ」

と答えた私。尚、23階北の正横綱は、遺憾ながら私と呼ばれている。それはそれで「オイシイ」と思っている私だったが、今日のAの電撃引退は、残された横綱武蔵丸のような感じであった。もう今年で29歳。


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書き過ぎに慣れること注意 - 2003年06月14日(土)

久し振りに土曜出勤。今日は無茶苦茶暑い。

昼飯は事務所で食べるわけだが、大抵隣のビルにあるマックでセットを買って食う。食べるところなど周囲には五萬とあるが、結局これが一番簡単だ。

マックがサイドメニューをアレンジすることが出来るようになって久しいが、私の場合はいつもポテトのMとコーラのR、ってアールって言いにくいよな、である。サイドメニューをアレンジすると言っても、結局昔のバリューセットと同じラインナップにしてしまうのは、結局これが一番と思っているからだろうか。いえね、たまに試しますよ、ナゲットにするとかね。でも結局ポテトだよな。かつて小林が「サイドメニューを選べるようになったから勇んで行ったものの、『えーと、ポテトとコーラ』って今までと同じかよ、みたいな」とか日記に書いていたのを覚えているのだが、そんな感じ。

会社に着いたが、今日やる仕事は別に火急の仕事ではなく、今までパキスタン子会社にやってもらったある作業をまとめて、それをパキスタン子会社と部内に知らせるべく、部内データベースにアップロードする作業である。

暫く昨深夜に届いた結果を眺めて、若干修正しながら、その「まとめ」を書き始めた。色々気付く点(耐力計算でこれがgovernになるとか、この場合はこう補強してやればよいとか)を、ダラダラと書き連ねていった。随時関係ファイルを添付したり、スケッチを書いてそれをスキャンして保存したりしながらね。

普通に書いていって、ある場所で文字が打ち込めなくなってしまった。あれ、何だこりゃ、字数制限でもあるのか?と思って、今まで書いてきたものをスクロールしてざっと見てみた。

長過ぎる。

マジで長過ぎる。こんなの誰も読まねえよ。

私は普段から文章が長い。出張で何かを報告する時、とにかく長い文章で報告する。自分ではそれほど冗長だとは思っていない。しかし、説明がくどいと言うのは事実だと思う。

こうなったのも、日記を毎日書くなんていう習慣がついてしまったからに違いない。しかも、文体・字数に全く制限の無い、まるで自由な個人ホームページ。鉛筆握って書くスピードより明らかに早く書けるというキーボード利用では、必然的に文章も多く書けることから、長くなるのも当然である。

結局「鉄骨の何とかかんとかへったくれPart I」とか書いて取り敢えず二部構成にした。Part IIも殆ど書き終わったが、これは資料がまだパキスタンから届いていないため、まだアップロードはしていない。尚、二部構成でも済みそうに無い。

帰り道、いつものように桜木町からは帰らず、スリーエフでスーパードライ買って、飲みながら散歩がてら高島町まで行って、それで帰って来た。ビール飲んで、「くぅ〜、いかにもビールって味だなあ」とか、みなとみらいの高そうなレストランの横を歩きながら独り言を言ってみたりして。いかにもビールに決まってるだろうが。


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あっという間に金曜日 - 2003年06月13日(金)

日記書いてないなと思ってたら、あっという間に金曜になっている。日記を書かなかったのは飲み会が今週は二回あったことと、ネタが無かったことがその原因の主たるものだ。

別にその日全く何も無かったわけじゃないから、その日に起こったことを徒然に書けばいいじゃないか、と思う向きもあるかもしれない。しかし、徒然に書くのさえ辛いのが「別段何も無かった日」で、こういう日はこの日記を書く際の「題名」すら埋められない。一応ブラウザ上で編集モードには変えてみるのだが、数分考えて書くことが思い浮かばないと、そこでインターネット閉じてパソコンも閉じて、バガボンドでも見ながら眠ってしまうのが最近の傾向だ。BGMは聖飢魔IIの「赤い玉の伝説」である。

それで、本日は何か書くことがあるのかと言うと、これがまた別段特に無いという感じである。だが、ここで閉じずに今日はちょっと粘ってみようと思う。何しろ今週は更新が少ない。

先日、沢井鯨の著作がamazonから届いたことを受けて、早速沢井鯨第一作目である「プリズナー・イン・プノンペン」を読み始めた。文体はところどころホームページ日記サイトの管理人のような書き方で、世の中には色々な作家がいるもんだと思いながら読むと言う状況で、それが若干読む側の我慢を強いられるところのように感ずる。まあまだ30ページくらいしか読んでいないのだが、そうは言っても沢井鯨が描くプノンペンは、その昔学生時代に色々旅行した頃を思い出させるシーンが描かれている。

別に私は女を買いまくったとかマリファナ吸いまくったとかしていないのだが、こう言うのを武勇伝的に自慢する輩と言うのがかなり多く、これが嫌で旅行中は日本人旅行者となるべく目を合わせないように歩いていたのを思い出した。

これだけならいざ知らず、学生の日本人貧乏旅行者と自称する人たちは、何故か私が彼と同じものを持っていると「これいくらで買いました?」と聞いてきて、例えば「250バーツです」とか言うと、喜びを隠し切れない表情で、

「僕これ180バーツで買ったんですよ。」

とか言ってくる。顔は笑みを隠しきれない笑みが広がっている。それに対し、私は必ず、

「へぇーっ!どこで買ったんですか!!?」

と聞いてあげなければならない。すると彼は、

「いやー、適当にブラブラ歩いていたらあったんですよ。」

とか言ってくる。顔は笑みを隠しきれない笑みが広がっている。それに対し、私は必ず、

「へぇーっ!そんなところにあったんですかぁ。失敗したなあ」

と言ってあげなければならない。

この小さな自尊心をくすぐる会話を、何故こんなところに来てまでせにゃならんのだ、と思いながら旅行をしていたものである。次第に日本人を見ると伏目がちに歩くようになった。

と言うのを、本を読みながら思い出した。

このように、どうにも落ち着けようの無い感じになってしまう。大体「このように、どうにも落ち着けようの無い感じになってしまう」と言う文を用いて、冒頭部分とリンクさせて日記を終えようとしている時点でいっぱいいっぱい感を拭い切れないだろう。

今週はこんな感じで、あまり書くことも無かったんですね。


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明日は新入社員歓迎会 - 2003年06月09日(月)

明日、部の新入社員歓迎会があるんだけど、もう新入社員歓迎会も入社してから4回目である。今は配属が我々の頃より1ヶ月遅く、じゃあその1ヶ月間何をしているかと言うと、英会話学校で研修をしているらしい。うーん、流石に1ヶ月研修積めば、結構なレベルに達するような気がするけど、大学1年の時の私を思い出すと、あれだけ頑張って英語サークル(かなり厳しいサークル)の夏合宿やった割に、1年の夏合宿が終わった時点の英語力はそれ程でも無かったな。やはり短期集中後ちょっとずつでも研鑽を積まないと、英語は全然上手くならねえな。

話が逸れた。そうだ、新入社員のときの話だ。私が配属になったのは5月中旬で、いきなりマレーシアのプロジェクトに入った。入社以来1ヵ月半、新入社員研修と称して研修に参加していたのだが、何つうの、生温いと言うかそんな感じで、社会人なのにこんなに楽勝でいいのかよ、と思う日々だった。つまらない講義は居眠りしちゃうしね。

それが、配属されて暫くしたらいきなり忙しくなった。最初に振られた仕事で覚えているのは、三次元CADのマニュアル英訳で、これを上司と3人で英訳し続けた。上司が脇で「うー、もう指が動かねえよ」と言いながらそれでも英訳していた姿を思い出す。私にしても、いつ終わるとも知れぬこの英訳をし続けていたのは、何だか妙に覚えている。

その後は色々仕事がやって来たが、実際に設計させてもらったり出張行かせて貰ったりしながら、1年目が過ぎた。あっという間でなくて、1年目は妙に長くて、それでいて厳しいものだった。何しろ分からないことが多くて、充実感と言うか、そういうものを感じることが少なかったからだ。仕事が楽しいとはまだ思えなかったが、周りの先輩がキツイと言いながら楽しく仕事をしている姿を見て、「俺だって、慣れればこの仕事が面白いと思えるようになるはずだ」と信じてやっていた。んだけども、こんなだから1年目に自らが満足するレベルに達したとは言えないと思う。

仕事がようやく面白くなってきたのは、2年目の後半くらいからだろうか。今ではこの会社以外で仕事をしている自分を全く想像できないほど、今の仕事は好きだけど、一朝一夕に楽しくなるなんて言うのはあり得ず、1年目はそんな意味でも変にストレスの溜まる日々だったような気がする。

と言うのを、明日新入社員に話すかどうかは酒の入り具合によると思うが、まあ自分でそのうち分かってくることだろうな。


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