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無理強いはよせ...FDN

 

 

聖飢魔IIがベスト盤を出した - 2003年06月29日(日)

1999年12月31日に地球征服の任務を終えた(らしい)聖飢魔IIだが、このほど"THE BEST OF THE WORST"と言うベスト盤を出した。「入門教典」と銘打っている通り、初心者でも入りやすい内容となっているのが特徴のようだが、ベスト盤はむしろ初心者向けのための、「誰でも分かる聖飢魔II」的なアルバムになるものであろう。

ベスト盤になると、比較的多くの曲がリミックスされるものである。今回も、何とbig time changesと言う曲が、曲自体と言うより歌詞そのものが全て英訳されていたりいる。しかも、その英訳が日本語の歌詞の全くの英訳と言うのが、何だか凄い。何がなんだかと言う感じでもあるが。どうもデーモンの歌い振りが若干疲れた感じがあるけど。

今回のアルバムは、既に解散しているもののそれぞれ同じ事務所(多分吉本興業)に所属して音楽活動を継続しているメンバーが集まって、選曲などを行ったようだ。その際に、当然どうリミックスするかとか、さらには殆どオリジナルで録り直すかの協議も為されたものと考えられる。そこで、引退直後に出したベスト盤において行われていたリミックスが、今回は行われずにオリジナルの曲が入っていたりする現象も見られた。それが最も特徴的に見られたのは2枚組1枚目の最後に収録されている"WINNER!"である。

WINNER!は聖飢魔II中興の曲として、この曲からファンになった層は比較的多いと思う(私もそうだ)。当時はバブル絶頂を極める直前で、第二次ベビーブーマーである我々は高校生から中学生くらいで、特にマセた中高生以外の普通の中高生は深夜ラジオなんかを聞いていたりして、その際に月曜深夜第一部の「デーモン小暮のオールナイトニッポン」を聞いていた人間は、多分殆どの人が当時発売されたThe outer missionを購入したと思われる。折りしもCDがレコードを物凄いスピードで駆逐したのはこの時代であった。デカイステレオセットでなくとも、何とCDラジカセと呼ばれる比較的小さいハードで、半永久的に音の劣化しないCDを聞けるようになり、居住空間大小に関わらずアルバムを購入して聞けるようになったあの時代、バブルで消費が大爆発してたあの時代、それまでレコードを聴くことが出来る機器が無かった我が家に、CDを聴くことが出来るハードが二つ揃ったのは、最早家庭に音楽が入ってくるのを2倍にも3倍にもするインパクトがあったはずである。

全然話が逸れているが、その時代に聖飢魔IIは「蝋人形の館」以来のメジャーヒットを飛ばしたのである。それがWINNER!であった。現在でも聖飢魔IIファンを続けている人間の中で、このWINNER!でファンになった人が多かった筈と言ったが、そんなこんなで、この曲はファンにとっては重要な曲である。

それがリミックスされると、若干調子狂うと言うことはあると思う。私も引退後に発売されたベスト盤を聴いていて、若干調子狂ってしまった。例えば、

輝く時の中で広がる果てしなきGlory land (Glory land)

と言う歌詞があるんだが、このときオリジナルは滑らかに歌うのだが、先のベスト盤では比較的ハッキリ単語を発音して歌うと言う感じになるのである。特にGlory landの発音はカタカナ発音っぽくなり、帰国子女で我が早稲田大学に入学してきたデーモン小暮らしくない。

とか、まあそんなことがあって、正直言ってリミックス版はあまり好きでは無かった。それが、今回の入門教典では元に戻った。正確に言うと、シングル版ではなくて、The outer missionに収録されたoverture~WINNER!とほぼ同じバージョンであると思う。第五大教典The outer mission一番目の楽曲として収録されたWINNER!には、最初にまさに序曲(overture)と言えるメロディーが挿入されている。これの(若干改良版?)WINNER!が、今回の1枚目最後の曲として収録されているわけである。まあ序曲とは言えないだろうが。

毎度のことながら、アルバム作成の際は当事者達の中では様々な思惑が込められた上で製作がなされるものと考えられるが、今回特に目立った動きは様々な曲のリミックスと言うより、原曲のまま収録された曲があるということであり、これが一体何故行われたのかと言う疑問が残った。

ファンからの反響がそうさせたのか、それは定かじゃない。一番最初に出したベスト盤"WORST!"には、全曲に対するデーモン小暮による解説が付されていたのだが、今回はそのような類のものは付いていない。どこかにこの辺の事情を書いたものないのだろうか。


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正答率3割は無いだろ - 2003年06月27日(金)

パキスタンにいる人から、

「最近(私の)母校が3面賑わしてますね」

と言うメールが送られてくるのだが、これは取りも直さず例のサークルの件がマスコミで熱く叩かれていることを示している。サークル代表の和田某は中大に入学して1年で退学して、1994年に早稲田大学に入学したそうだ。つまり、私と同級生で、しかも私と違って我が大学が誇る政治経済学部入学の彼は、言ってみれば早大Aグループ(入学式とか卒業式が午前中に行われる)に属するエリート階級で、我々Bグループ(午後に行われるから前日飲んでても全然平気)とは異なる人々だ。まあAグループとBグループは従って入学式でも顔を合わせないから、明らかに私とこの超有名人和田君は、全然会ってもいないと思う。しかも、比較的行動範囲の狭い私は、大学内の居場所は所属していたお堅い英語サークルか、所属していた硬いコンクリート研究室であったため、超有名サークル「す〜ふり」は、何と今まで全然知らなかった。恐らく、このサークルを知らなかった人は相当大学内でもモグリであるかもしれないが、ここまで「内外でも有名だった」と書かれると、私は本当にあの大学にいたのかと自問自答をしてしまうほど、そんな存在だったようである。つまり、俺はモグリだと。入学式の際、記念会堂から出てきてサークル勧誘の嵐に同じく身を投じていたと思うのだが、和田某はこの時点で「す〜ふり」に入っていたのだろうか?

本件に関しては、私としても出身大学(本当にその大学にいたのかを自問自答すること含む)のことが囃し立てられているため、記事など見つけると読んでしまう。また、会社の部内では何と早稲田出身は私だけなので、昼休みに誰かがインターネットを見ていて何か記事を見つけると、必ず私に声がかかる。とは言え、本件に関しては島が既に詳細な考察を記述しているため、特にこれ以上書くことは無い。いや、別に人が書いてるからって俺が書かない理由は無いんだけどさ、なんつうの、実際ここまで書いてきたのがこの数日で記事とか読んで把握した内容で、これ以上のことは知らんのだよ。

で、ようやく本題だが、今日の朝日新聞で目を引いたのは、す〜ふり解散を嘆く短大生の胸元カラー写真の左下にある、大阪府で学力不足により解職された高校の数学の先生の話である。

何でも父兄や生徒から「数学の授業が全く分からん」と言う苦情が寄せられていたため、府が矯正研修みたいのを科したらしいのだが、この一環でやらされた大阪府立高校入試問題で3割の正当しか得られなかったそうだ。センター試験も全国平均を下回る惨状で(そりゃ高校入試でそれなら大学入試はセンターと言えども無理があるだろう)、指導力不足以前に学力不足(おいおい)でクビになったようである。この先生は「準備も無く突然やらされたからこうだったんだ」と反論しているようだが、これが反論になっていないのは自明の理で、先生なら準備無くても出来るだろ。しかも8割とかならまだしも、3割ってどう言うことよ。

ここで再度登場するのは、私の高校の頃の日本史の先生、A先生だ。

彼は指導力こそ5点満点中0点、100点満点中0点、1億万点中0点と言う、一億万と言う謎な桁数を用いても0点にしかなりえないものを持っているが、学力に関してはそんなことは無かったと思う。要は、先生に問われるのは学力じゃなくて指導力で、自分の持った学力をいかに生徒に伝えるかが大事なのであり、従って頭脳的な仕事と言うよりむしろ気の遣い様が問題となる仕事と言えると思う。生徒がどうすれば自分の持っている知識なりを分かるのか、一体どう言えば理解してくれるのかと、気を遣いながら授業展開して行くもの、と思うのである。

と言うより、思っていた。ある時点までは。でも、学力と言うのは先生も付けていかねばならないものだと言うのは、バイトで塾講師やってから分かってきた。

学力のある先生が指導力のある先生と言うことは必ずしも無いが、逆はほぼ100%の割合で成り立つように思う。つまり、指導力の優れた先生は、彼自身の学力(自分が教えるレベルの学力ね)も間違いなく相当優れている。そして、いくら中学校の数学だとか高校の数学だとか言っても、実際は先生でもかなり訓練しないと、その相当な学力と言うのは身につかない。つまり、指導力の優れた先生は、先生のくせに入試問題といたり問題集といたりしているのである。先生のくせにだ。

私がバイトしていた塾のとある教室は、指導力のある先生が揃っていて、指導力の優れていると言う先生は、全員(本当に全員)担当教科に関してかなりの学力を持っていた。彼らは確かに名門大学の学生でもあったりしたが、だからと言って彼らが昔から持っていた(?)卓越した(???)学力を引き摺っただけで食いつないでいたのかと言うと、実際は全くそうではない。何と、彼らはともすると自分で本屋で過去問題集とかを買って、それを家で解いたりしているのである。勿論、それは授業で使うプリントに載っけるために「授業準備」の一環としてやっていた面もあるが、単に自らの指導力向上のための学力を付けるための自主訓練と言う側面の方が大きかった。

中学生が解く問題といっても、大人でも難しい問題は少なくない(と言うより、かなりある)。だが、先生業に足を突っ込んで感じるのは、そういう難しい問題を教えるのが大変と言うより、むしろ全く簡単と思っていたのを教えるのが案外難しく、実際予習をやってみると、実は中学生レベルの簡単な事柄が、良く分かっていない(つまり学力が低下している)と言うことに気付くのである。だから、改めて学習が必要になってくる。これは衝撃的な事実だが、実際先生といっても新米は驚くほど学力が無いものである。

学力をつけるにはどうするか。それは勉強しなおすしかない。だから、結構みんな授業準備以外に、勉強しなおすのである。しかも、先生はいつも先生であることが必要であることから、普段から研鑽を積んでいる必要がある。つまり、いつでも準備が出来ている。電車の中で日能研の問題見ても、すぐに答えが出るように、常に学力を高度に一定以上保っていなければ、すぐに学力が低下する。繰り返すが、常に研鑽が必要だ。入試研究なんて当然やっているべきである。

先生としての指導力は、気の遣いようが最も重要。しかし、最も基本的な要求事項は、先生の学力である。学力が無ければ、そもそも問題が解けないから生徒を教えることは不可能だ。だから、学力が無い先生は、どうあがいても結局何も出来ず、従ってクビになってしまうのはしょうがねえんじゃねえの。


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横浜市道志区 - 2003年06月24日(火)

山梨県の道志村の村民が、横浜市への飛び地合併を希望しているらしい。横浜市と道志村との関わりは100年を超えるらしいが、それは道志村が横浜市への生活用水の水源地であることがその関わりとのことだ。確かに、道志村を流れる道志川は、神奈川県を二分する相模川の支流のひとつで、相模川は横浜市にとって重要な水源である。

そんなこと出来るのか。出来るのか?距離の問題も然ることながら、山梨県と神奈川県じゃないか。仮に道志村が横浜市道志区になるとしよう。すると、道志区に郵便を出す際、

山梨県横浜市道志区

になるのか?

道志村の人口は2200人らしい。横浜市は350万人くらいだから、人口は一気に350万2200人にジャンプアップすることになる。市町村人口二位の大阪以下をさらに引き離す膨張振りには呆気に取られざるを得ないが、道志村は合併したら横浜のクソ高い税金を払わねばならないのか?

疑問は尽きないな。どうでもいい、とか言ったら怒られるんだろうか。市営地下鉄道志区まで延長とか言ったら、俺は反対と言うか横浜市民をやめるね。ムダだろ。


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オールスター投票で川崎が投手部門で得票1位に一言 - 2003年06月23日(月)

80万分の一になると、川崎がどう思おうと投票した人間は痛くも痒くも無いだろうな。


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キャンプ行ってきた - 2003年06月22日(日)

昨日朝から丹沢にキャンプに出かけ、今日の昼に帰って来た。

キャンプと言ってもコテージを借りたのであまりキャンプらしくは無いが、取り敢えず私が車を持ったことを機に、会社の現在のチームの人々+構成員の彼女たちで行くことを企画。

って、私の車は出動して無い。だって参加者6名でそんなに車いらないんで…。

朝、会社の寮に出向き、そこで上司Tさん、ならびに先輩Sさんの車で発進。メンバーはTさん・Sさん・後輩Y・Sさんの彼女Tちゃん・Yの彼女I・そして私だ。って、イニシャル連発で訳が分からん。行き先は丹沢のキャンプ場だ。

途中、開成町(と言う神奈川県西の町)のヤオハンで買い込みを済ませ、酒匂川上流の三保ダムを超え、ウェルキャンプ西丹沢と言う、酒匂川のかなり上流にあるくせに結構大規模なキャンプ場に到着。受付を済ませてコテージに向った。

コテージは驚愕の代物で、無茶苦茶清潔で布団もあり(湿っている布団じゃない)、洋式トイレと冷蔵庫まであると言うログハウスだった。これで一棟16,000円は安いと思う。

取り敢えず荷物を置いて、釣り班とハイキング班に分かれて行動開始した。尚、私は最初

「(金曜に社内バレーボール大会の練習があったお陰で筋肉痛の私にとって)ハイキングなんて冗談じゃねえぜ。」

と言う姿勢を示していたのだが、コースを見ているとハイキングの方に参加したくなり、私は上司Tさん率いるハイキング班に入ることになった。尚、釣り班は夕飯に花を添える魚を6尾釣り上げなければならない。

ハイキングは滝のあるところまでの道だが、途中で砂防ダムなどがあったりして非常に涼しげだ。川の水も極めてきれいで、Yの彼女Iまでもが川の水を飲んでいた。だが、途中で全く道を間違え、ハイキングと言うより沢登りのような様相を呈して、頂上にあるちょろちょろ流れる滝で行き止まりになった。この滝も雨が降った後は結構豪快に流れるんだろうな、などと思うがなあ。

仕方なく沢をまた下り、下ったところにある私の背丈くらいの滝のところで靴を脱ぎ、私は滝つぼに入った。川で泳いでいる子供を見たとき、「しまった、水着を持って来ればよかった」と思ったが、冷たすぎて若干厳しいと言う感じ。膝まで浸かっても、結構すぐ陸に上がらないと冷たくて痛くなってくるほどだった。だが、水しぶきが漂い、非常に爽快な気分。

夕方、釣り班と合流し、飯の準備。釣り班は時間ギリギリで6匹目を釣り上げたらしく、ちょうど人数分の魚を確保することに無事成功。

「釣堀だから楽勝やろう、と舐めてたら結構上手く行かなかった」

と言うのは先輩Sさんの談話。

飯はバーベキューだが、平塚出身のTさんは「俺は高校時代から大学時代に、大磯青少年何とかセンターでバイトで飯盒炊爨とか指導していた」と言う経歴を持っているので、こういうのは詳しいらしい。また、SさんもTちゃんとバーベキューに行くようだ。という訳で、私は火を熾したりの端役を演じ、殆ど飲食のみに参加と言う感じだった。

魚は美味くて、頭以外は全て食べられた。その他、買い込んで行った食材も美味く、酒も気がついたら無くなっていると言う状況だった。

風呂(風呂がある)は露天風呂で、これがどうやら温泉を引いているのか、中々風流である。「いやー、最高ですね」とTさんとSさんに言う。

風呂から上がったら蛍を見に行く。蛍は釣堀近くの茂みに生息しており、人間が入れないように柵でめぐらされている。乱舞、と言うほどはいなかったが、結構光りながら飛んだりして、蛍を生まれてはじめて見たYは感動していた。一匹が私の手に止まり、全員で蛍を間近で鑑賞したが、かつて見た昆虫図鑑にあったような赤い頭で、尻が青白く光っている。中々明るいが、蛍の光り窓の雪よろしく、この光を頼りに勉強は出来んだろう、などと思う。

消灯は10時なのだが、我々は結局1時くらいまで飲んでいた。しかも、結構大声で笑って。迷惑だっての。一応窓は閉めていたが…

翌朝の本日、Tさんが朝一番で起きて外に出てみると、ドアの鍵がかかってなくて、しかもドアの鍵が外の鍵穴にささっていると言う不用心振りだったようだ。浮かれすぎだろ。

以上、箇条書き風に色々書いたが、驚くほどの最高な土日だった。梅雨シーズンなのに鮮やかに晴れたのが良かった。いやー、リラックスしたぜ。


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