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無理強いはよせ...FDN

 

 

ラマダン明け等 - 2003年11月26日(水)

イスラムでは一昨日から本日にかけて、断食月のラマダンが空けた。我がパキスタン(「我が」じゃねえが)はEidと言う休みに入り、水曜から日曜まで5連休となる。これは日本人にとって正月三が日レベルの「この日に働いているのはかなり寒い」と言う重要な休みで、従ってこの期間は仕事はこちらが代行する。と言うより、これを意識した仕事スケジュールを立てる。いつもは山のように来るパキスタンからのメールも、本日は皆無であった。向こうに駐在する日本人は今日も普通に出ていたらしく、仕事の電話が一本来たが、「誰もいない」と言っていた。

本日は午後に現場の下請け工事業者に電話をして、一体いつになったら俺は鉄骨工場視察にいけるのか確認したが、遅々として契約が進んでいない。来週と見ていたが、これは更にずれるであろう。ああ、サークル同期の忘年会は今年もお預けである。つうか、更に寒くなるじゃねえか!行先の予想気温調べたら、例えば来週の火曜(本来行こうと思っていた日)の最低気温はマイナス31度。おいおい、声も凍るぞ。しかも最高気温でもマイナス21度ってどういうことよ。

仕事は連休前にどっさりパキスタンから提出された図面やらがうず高く積もり、忙しい。が、11時前には精根尽き果てて会社を出る。帰りはこの前買って会社に置きっぱなしだったSWITCHを読みながら帰る。今号のSWITCHは沢木耕太郎特集で、かなり分厚く、そして重い。沢木特集だけで200ページ以上ある。沢木ファンの女性陣は買われたし。

日本も寒くなったな。


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読書の秋とか - 2003年11月19日(水)

秋である。いきなり寒くなって気付いたが、もう秋である。秋と言えば、様々な言い回しがある。

スポーツの秋
食欲の秋
読書の秋

秋は何をするにしても気候が穏やかで良いというもので、この季節が最も好きだという輩も多いだろう。休みも妙に多い。

会社に入って既に4年目だが、この秋と言うのは比較的「んもう猛烈に忙しいっスよ」と感じるのが通例である。秋に無茶苦茶忙しくなる仕事をしているのかと言うと、どちらかと言うと季節感に乏しい仕事をしているので、そのようなことは無い。つまり、いつも同じくらい忙しいのだが、秋は休みも多いしすぐに暗くなるし、気候も良いから穏やかだしと、全体的に時間の流れが緩慢になる雰囲気になるのに、季節関係無いペースで働いているから、他の季節より忙しいと感じるのかも知れない。例えば年末の冬場、先生も走ると言う師走は、友達の誰でも忙しいから、自分はあまり忙しいと感じない。いや、そりゃ忙しいよ。でも、秋ほど忙しさを感じない。

とか思っている人、結構多くないか?


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騙されるな - 2003年11月16日(日)

MSNのトップページから行ける紅葉情報がある。これによると、千葉の養老渓谷は紅葉が見頃だと書いてある。

ところが、全然紅葉じゃない。若干していたが、全然青々としている。

以前梅香と只見に行ったとき、MSNでは「見頃終わり」と言う記述がなされていた。

行ったらピークだった。

「見頃終わり」くらいに行くといいだろう。


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下巻だよ - 2003年11月15日(土)

梅香と只見に行ったタイミング以降、かなり忙しかったが、本日で片が付いた。と言っても、別にこれで仕事が終わるわけじゃないが。

ところで、この只見ツアー以来、私は河井継之助に興味を持って、司馬遼太郎の「峠」を読んでいる。幕末の怪傑だが、私はこの河井継之助のことは知らなかった。梅香が運転している時に助手席で見ていた只見川流域地図の流域に河井継之助記念館と言うのがあり(寄らなかったが)、何でこんな人里離れたところにこんな記念館があるんだろう、などと地図を見ながら思った。この辺出身なのだろうか、と思ったら、実際はこの辺で息絶えたらしい。もともとは長岡藩の家老だったが、北越戦争で官軍に敗退し、会津へ向かって会津藩と合流し、再起を図ろうと移動中に没したとのことだ。といっても小説はここまで読み進んでおらず、そろそろ下巻である。

という訳で、下巻を買いに行った。下巻は文庫コーナーにあった。打ってつけと言わんばかりに、下巻しか無かった。

上巻は700ページほどあるが、下巻は妙に薄い。何だ、随分プロポーションが悪いな、と思った。しかも帯には「読みやすくなりました」などと書いてあり、字が大きくなったと紹介がされている。ここでも私は気付かなかった。何だ、字が大きくなっても厚さは変わらない仕組になっているのか?と思ったりした。そんな訳ねえってのに。

要は今まで上下巻だったものが、新装版で上中下の三巻立てになったのである。

って迷惑だよ。おい、俺はかつてのバージョンの上巻を買ってしまったんだ。何か?中巻と下巻を買えというのか?冗談じゃないぜ。

と思って、当然買わなかった。代わりに、最近出始めた沢木耕太郎の全集の一冊を買った。買わなくてもいいというのに。

私は沢木耕太郎に傾倒しているというわけじゃないのだが、学生時代は結構好きで読んでいた。彼はいくつかのテーマでノンフィクションを書いている(小説も書いている)が、その中で私が好きなのは沢木耕太郎が若い時に良く書いていた社会モノで、最も好きなのが地の漂流者たちである、と言うのはここで何度も述べている気がする。今日買ったのは社会モノ短編を収録したものである。ハッキリ言ってここに収められている短編は殆ど持っている本に入っているのだが、まあ改めて読もうかなと思って買った。「峠」下巻も買えなかったことだし。まあ買おうと思えば買えたが(三巻立ての下巻)。

峠の下巻を買えるまで、この沢木耕太郎の短編集で繋ぐとしよう。


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選挙だぜ - 2003年11月09日(日)

本日は日付が月曜になっても会社にいた私だが、おかげさまで選挙には行かなかった。選挙に行かないのは意外と珍しく、恐らく選挙権を持ってから選挙に行かなかったのは2回目くらいかも知れない。そうは言っても、今回の選挙は別に興味が無いわけではなかった。

話題性として、大局である「自民党が勝った」だのと言うのは何となく興味はあるものの、私の興味はやはり地元の勝敗である。ウチは神奈川8区であるが、今回の選挙において、神奈川8区は4人の候補者が立った。しかし、事実上2人のガチンコ勝負と言う感じで、私は案外注目していた。

神奈川8区は横浜市青葉区と緑区からなる選挙区で、青葉区とか緑区などと言う大味な区名から分かるとおり、昔は山ばかりで現在は新興住宅街と言う、典型的なベッドタウンである。選挙区内には古くからの地主の人々も当然いるが、人数的にはその後大挙して入ってきた新住民の方が圧倒的に多いため、いわゆる保守色が非常に乏しく、革新と言うよりむしろ流行に流されて選挙の結果が決まると言う風情である。中選挙区時代は確かに自民党だのが2位とか3位くらいで勝っていたが、小選挙区になると自民党が流行にならない限り、勝てない選挙区である。

これを如実に顕した選挙結果は、自民党が久し振りに政権から滑り落ちたときの総選挙である。時は細川護煕率いる日本新党をスターダムに押し上げた日本新党ブーム。我が選挙区で20代と非常に若くしてトップ当選を果たした人も、日本新党だった。しかも、ダントツトップだった。それまで選挙区の有権者達が名前も顔も知らなかった若造が、ブームに乗ってトップ当選を果たした。ああ、このブームが終われば、この人も再選は無いだろう、それがこの選挙区だよな、などと若かった私は冷ややかに思ったものである。

がしかし、この人はその後、衆院選3選連続圧勝と言う金字塔(?)を我が選挙区で打ち立てた。既成政党がいくら頑張っても、全然この人に勝てない。この人は日本新党が解体した際、さっさと無所属としてゼロからスタートしたものの、別段強力な後ろ盾も無く、移ろいやすい有権者で占められたこの選挙区で勝ち続けた。

この人は現在横浜市長を勤める中田宏である。中田宏の選挙区内での活動は地道だった。何しろ、毎週中田宏を駅で見かける。この人は、代議士になってから毎朝区内を走る田園都市線沿線の駅で辻立ち演説をかましているのである。毎朝である。何しろ覚えているのが、日本新党推薦で勝利した20代の中田宏が、選挙の翌日たまプラーザ駅の前で一人(本当に一人で)、拡声器を持ってお礼の挨拶と意気込みを語っているのである。この時からこの人の辻立ち人生が始まったと言う感じである。

とにかく毎日毎日(国会会期中はちょっとみかけなくなるものの)、会社に向かう人々はこの中田宏を見かける。有権者で中田宏を知らない人はいないと言う状況になる。さらに、中田宏は自らの活動、そして政治資金の使途を1円単位で刻んだ会計報告を毎年駅前で配っている。その中に「こんなことをしました」と言う活動報告も盛り込み、選挙前だけでなく、常に有権者に対してアピールしている。

この地道そのものの活動を通じて、中田宏はブームに流される横浜北のベッドタウンにおいて、まるで地域に似合わない「地盤」と言うものを築き上げてしまった。しかも、かなり確固たる地盤である。手綱を緩めないのもこの人の特徴で、3選してもまだ辻立ちをしている。

以来、この辻立ちは、政治家にとってこの選挙区における当たり前の手法になった。それまでは頻繁には見なかった人々が、朝の駅前で演説を打っているのを良く見る。市会議員とか県会議員とか、常に駅前でアピールしている。こうしないと選挙に勝てないからであろう。実際、中田宏出現以来の傾向を見ると、明らかに駅前で演説していて目立つ人が、どのレベルでも当選している。

中田宏は衆議院議員を辞し、4選を目指す大物市長・高秀秀信に挑むべく、横浜市長選挙に急遽立つことになった。首長の多選を弊害と見る中田の哲学から出た行動だった。高秀秀信の4選はほぼ確実と見られていた中で、中田宏の猛追は凄まじく、あまり知名度の無い横浜南部でも現職に善戦し、北部では圧倒的に勝利(青葉区では7割ほど得票していた)して、中田宏は横浜市長に就任した。

さて、中田宏が抜けた穴は、当然補欠選挙と言うのが行われる。全く中田宏に敵わなかった候補者達は、中田宏が横浜市長転進と言う天からの恵みのようなものを受けた。中田宏しか知らなかった有権者が補欠に選んだのは、自民党の江田憲司であった。この自民党の江田憲司、中田宏がいたらどう考えても次点と言う存在だったが、中田宏の次に目立っていたのがこの江田憲司だった。江田憲司はその前の衆院選で中田宏に完敗しているが、それでも中々諦めずに露出してきた。あまり自民党らしくない泥臭さだが、そうしないとここでは勝てないというのは、前の選挙で身に沁みて分かっていたのだろう。

中田宏が横浜市長に転進した後、この選挙区での「現職」は、この江田憲司だった。そして、本日の選挙でも、だいぶ上で上げた「事実上二人の戦い」の一角は、この江田憲司である。

江田憲司は、今回は無所属で立候補していた。何と自民党から離れていたのである。とにかく、自民党にいるということはこの選挙区では殆どアドバンテージにはならない。確かに緑区は佐江戸町と言う工業地帯を抱えているため、既存政党の力がある程度働くところだが、この選挙区では「毎朝見るか」「名前と顔を知っているか」が重要である。つまり個人のアピール具合が重要である。江田憲司は寄り合い所帯の政党から離れて活動を継続していた。尚、自民党候補は江田憲司ではない、若手が擁立されていた。が、この人はこの選挙区で江田憲司の相手にはならなかった。相手になっていたのは、今をときめく民主党の候補である。

江田憲司と真っ向から争うことになったのは、民主党副代表の岩国哲人である。え、あの前の出雲市長の?と言う感じであるが、何とこの人、最近新石川(と言うタマプラとあざみ野の間に広がる住宅街)に引っ越してきたらしい。岩国は現職の衆議院議員であった。つまり、神奈川8区は現職2人が一つの席を争うという激戦区になったのである。

岩国哲人の知名度は高い。私は辻立ちで岩国を見たことが無いが、名前も顔も知っている。更に重要なのは、マニフェストマニフェストとうるさい民主党の、しかも副代表と言うポストである。

地元での露出度が比較的高い江田が勝つのか、それともブームの波と知名度で売る岩国が勝つのか、今までの潮流だった「地元で目立つもの勝ち」か、この選挙区がかつて持っていた「ブーム勝ち」かと言う、ここ10年では中々面白い選挙になった。

結果は、

岩國 哲人 80,752票
江田 憲司 78,782票

と言う、かなりの僅差で岩国の勝利となった。尚、ルー大柴に似ている自民党候補は39,434票だった。これを見ても、2人の一騎打ちだったのは自明である。

岩国はこの選挙区においてもう一つの強みを持っていた。それは中田宏現横浜市長の結構強力な推薦である。中田宏は岩国のシンパで、岩国の哲学にかなり影響されていると推薦文で述べていた。各地の革新自治体首長が民主党応援に回る中のブームの一つと言ってよい行動かもしれないが、とにかく岩国は「この選挙区において勝つ」ための要素をかなり持っていた。従って、それだけに江田憲司の健闘が目立った。これだけの武器を持った岩国にあと2,000票と言うのを見て思うのは、やはりこの選挙区の人は「間近で良く見る人」に一票を投じることが多いと言うことである。

この選挙区は、やはり中田宏出現以来変わったかもしれない。


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