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蹴りたいピアス - 2004年02月27日(金)

そう言えば先週、文芸春秋を買った。目当ては芥川賞の二作。

清純なイメージで可愛らしく、今時黒髪?と言う綿矢りさの方が一般的に人気があるようで、本も「蹴りたい背中」の方が売れているようだ。しかし、内容は普通の人から見たら明らかに激しい金原ひとみの「蛇にピアス」の方が、一気に読めた。全く滞りなく、止まることなく、読み返すことなく、とにかく一気であった。つうことで、小説は金原ひとみの方が良かった、と思うのは二作比べた人間なら思う、と思う。

金原作品の展開される世界は、正に「あなたの知らない世界」と言った感じで、舌ピアス・入墨・厳しいセックスがキーワード、と言うか、とにかく私は知らない世界である。舌にピアスを刺す瞬間のシーン、舌がムズムズした。

スケールは違うが、同種の衝撃は「トレインスポッティング」を読んだ時に感じた。トレインスポッティングの方が衝撃が大きかったが、これは読んだのが大学時代で感受性がもうちょっと敏感だったことと、世界を知らなかったことを差し引くべきか。まあそれでも、蛇にピアスよりは衝撃的だった。

内容はそんなこんなで私にはグロテスクな感じだったのに、全く苦も無く一気に読んだのは、金原ひとみの徹底的といえる文章の癖の無さである。と言うと個性が無いような感じであるが、そうじゃなくて、徹底的に読みやすい文章だったわけだ。丁寧!

一方の綿矢りさ。ルックスやインタビューからは醒めた感じであるが、実際にもマイペースを貫く女子大生と言う感じなのではないだろうか。とは言え、同じく教育学部国語国文学科にいた広末を見に行かなかった私がもし未だに在学していたら、通称本キャンと言われている西早稲田キャンパスの端にある教育学部の建物に、多分綿矢りさを見に行ったであろう。

綿矢作品の舞台は、金原作品と逆に理解が容易な世界だった。高校入学後の微妙な人間関係の中で、取り残される、と言うか迎合していくのが嫌な女子高生を描いているわけであるが、無気力な高校時代を過ごした私にとって、この主人公ハツの考えは、ちょっとは理解できた。なんちゅう協調性の無い奴じゃ、とも思ったが。もう一人の主人公、にな川(作中のハツの表札を見た感じ、『蜷川』の筈である)にしても、まあオタク振りは理解できるものの、静かなアウトロー振りは、やや苦笑しながら読んでしまった。

さて、そんなソフトタッチな本作「蹴りたい背中」だったのだが、これが比較的読みづらい。選者によっては「文体が稚拙」と切り捨てられたこの作品だったが、恐らくこれが原因なのか、このソフトな作品で実際に読み返してしまう箇所が比較的あった(「蛇にピアス」では皆無)。従って、内容はソフトかつ「ああ、確かにこう思うことあるよな」と言う感じであるのに、読むのが疲れるという状況にもなってしまった。あんまり丁寧じゃないかも!

さて、二つを読んだ後に私が感じた感想は、ズバリ次の通り:

「作者の10代生活総まとめ」

彼女達がどんな10代を過ごしてきたのかなど知ったことではないが、明らかに自分達の今までの生い立ちを振り返りながら小説化していったと感じられる。派手だろうが地味だろうが、彼女達の生活は、芥川賞に値するネタを持ったものだった。筆力の問題でもあるが。

この二人の十代総まとめを読んで、気付いたことがある。

俺今年で30歳だ。


つうことは、20代を総まとめして、来年の芥川賞を窺ってみることにしてみるか。

以上


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厳しい - 2004年02月26日(木)

何でこんなに疲れてるんだ!?


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道について - 2004年02月22日(日)

生きる道。

とかの道じゃなくて、本当に普通の道路の道について。

昨日は先輩の新居祝いと言うことで、鴨鍋と焼肉パーティーを若手連中、と言っても上は35歳から下は27歳と言う人々だが、取り敢えずそのメンバーでやった。学生みたいだが。

私は酒に酔って眠ってしまったが、12時くらいに起こされて、先輩(引っ越した人じゃなく)に家の近くまで送ってもらった。

新居は東戸塚ゆえ、私の家に行くには「環状二号」と言う県道17号線で新横浜近くまで行って、左に折れて小机方面、さらに右に折れて横浜国際競技場を横目に第三京浜港北インターを目指し、そしてさらに左に折れて国道246号に達するのが分かりやすいルートだ。ここでクローズアップされるのが「環状二号」である。

環状二号線は起点が磯子、終点が鶴見区の上末吉、って私もここは全然知らんのだが、強いて最寄駅を言えば南武線の尻手とか矢向と言う、おいおいそれは川崎市だろ、と言う場所である。起点と終点はともかく、この環状二号は横浜市道路局がやった中で最も評価の高い地方幹線道路で、横浜市民が圧倒的に多い(と言うか横浜市民ばかり)の我が社でも評価が高い。環状二号が通る道で最もキーとなるのは、終点にも近付いた新横浜駅前であるが、それ以外は横浜の住宅街を走っている。

環状二号の優れている点は、まずは高速道路のような自動車専用道路の区間が多いと言う点。主要道とクロスする時は、かならず立体交差になっているため、渋滞が起き難い。

次に優れている点は、横浜市内を通る高速道とのリンクが素晴らしい。南から横浜横須賀道路、保土ヶ谷バイパス、横浜新道、第三京浜と言った具合で、第三京浜などはトップスピードで乗り入れが可能な構造になっている。

私の同期がかつて港南中央に住んでいたとき、彼の家の近くから日野立体交差点が見えるのだが「あれは横横か?」と尋ねたほど、高速道路にしか見えない。勿論、通行料は無料である。保土ヶ谷バイパス並にスペックが一級高速道で、制限速度も80km/h(普通車は100km/h)と言う程ではないが、多分首都高レベルのスペックはあると思われる道路だ。

「いやー、この環状二号だけは素晴らしいね」

と送ってくれている先輩も言う。環状二号は平成13年に全通した。

この先輩に帰り道を聞くと「うーん、中原街道でもいいんだけど」と言う。

中原街道…。

中原街道は歴史も古く、かつて徳川家康が江戸に入った際、この中原街道を使ったらしい。江戸に入った時と言えばまだ秀吉が存命中の頃である。中原街道は平塚から虎ノ門に至る道で、東海道が整備されるまでは江戸への主要道であったものの、東海道が整備されてからは裏往還と言う地味な地位に落ち着いて、今に至っている。東海道が国道1号線であるのに、中原街道は県道で、しかも道も狭く制限速度が30km/hだったりする箇所もある、ロースペックな道である。それでも比較的幹線道としての地位を持っていて、交通量も狭いくせに結構多い。

上記の理由から、「中原街道より、246使ったほうがいいんじゃないですか?」と提案してみる。

246はかつては大山街道と呼ばれた、信仰の道である。大山街道は基点が青山で、神奈川県中部に聳える標高1200m強の大山付近を越えて、足柄の方まで行く道である。現在の246は起点が三宅坂で、終点は恐らく沼津である。渋谷までは青山通りと言う、日本でも有数のハイソな通りだが、渋谷からニコタマまでは玉川通りと言う、首都高の下を通る陰気な道路になり、多摩川を越すと大山街道、もしくは厚木街道とかつての名前を冠することになる。神奈川県を串刺しにするように走るが、途中の主要都市は海老名や厚木で、足柄の当たりからはJR御殿場線沿いに走って、御殿場線の終点の沼津まで行くという感じである。尚、246は東名高速に並走しており、東名高速の側道と言う意味合いも持っている。国内最大の幹線高速道路の側道と言う地位であるため、スペックもかなり高い。

大山は阿夫利神社と言うものがあり、古くから信仰の対象だった。東海道と甲州街道の間を通る「脇往還」だが、特に西側への幹線道路と言う色合いは濃くは無く、やはり大山詣へ向かうための道である。私の住む荏田は大山街道の宿場町で、かつて私の家から歩いて2分のところにあった「泉マート」は、江戸時代は「いづみ屋」と言う旅籠であった。しかし、幼稚園の頃の私がそんな背景を知る由も無い。現在、泉マートがあったところは、年寄りの多いこの街で場違いと言わざるを得ない、エロビデオ屋になっている。閉店セール閉店セール言う割に、全然閉店にならない。

大山街道は小学校3年だか4年だかで小学校で散々研究させられた。単なる新興住宅街である我が家周辺において、これしか寄る辺が無いと言うほどの歴史的アイテムであるからである。周辺にある歴史的なスポットは、殆ど大山街道の歴史に付随したものになる。

とか言う話を、先輩に送ってもらいながら思い出し、先輩にも話してみた。意外なことに、先輩は結構興味深く聞いていた。

まあ、この三つの中で私が最も使うのは、歴史が全く無い環状二号である。彼女を送った後で使うのだが、非常に便利。やっぱり、道も時代によって栄枯盛衰があるんだろうなあ。


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手に職 - 2004年02月20日(金)

私の大学時代のサークルで一緒だった連中で、横浜に実家のある人間が2人いる。これに海老名に住んでいる白石を足して4人で神奈川会と言うのをたまにやっているのだが、最近やっていないことから梅香(実家は金沢区)が久し振りにやらないか、と提案してきた。玉木(実家は泉区で、今は社宅のある南区)はヒマらしくて参加OKだったが、白石が参加不可と言って来た。

彼は現在、小学校の教員になるべく勉強中で、3月は色々勝負の月らしく、参加見合わせと言うことになったらしい。受験生は家で大人しく勉強しているのが一番、という訳だ。

さて、その白石から先日メールがあった。メールによると最近勉強の一環で塾講師を始めたらしい。だが、まだ授業運営に慣れないので、何かアドバイスあるかと言って来た。私は大学4年から大学院を卒業するまで、ずっと塾講師のバイトをしてきた。従って色々分かっているのだが、何しろ既に現場を離れて4年が経つため、即座にアドバイスなどは出来なくなっている。そのバイト先で事務やってた女子大生が教育実習行っている時には、問われたら即アドバイスをしたものだがね。と言う訳で、言葉をかけようにも埒が明かないので、昔書いた塾時代の文章を送った。

学生時代に何をやりましたか?と言う就職活動で学生が尋ねられるような質問に対し、私の回答としては

1. サークル
2. 海外旅行
3. 一応勉強
4. 塾バイト

と言う具合になる。これ以外は殆どやっていない。塾バイトもこれで食っていけると言う程やったと思うし、従って色々語れるはずなのだが、やはり4年の歳月は長い。忘れたわけではないが、鮮やかに語れると言う感じではない。

思い出は残っているが、身になっているようなものはやはり使わないと風化するもんだ、と思った。


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戦慄のドナドナ - 2004年02月15日(日)

昨日はバレンタインデー。当然デートをした訳であるが、昨日も車であった。とは言え、昨日は関内の足つぼ屋に行ったり中華街でメシ食ったりしたため、関内での移動はみなとみらい線を使った。因みに関内とは現在の横浜市役所付近のみではなく、本来は

横浜に開港場をつくるにあたって、幕府はその周囲を川と堀割りで区切りました。出入りする橋のたもとに関門を設け、内側は「関内」、外側は「関外」と呼ぶようになりました。

と言う訳で、この辺は全体的に関内である。

それは良しとして、彼女を家まで送るわけであるが、その時車の中を流れる曲は、バレンタインにはこれ以外に無いと言う風情である、聖飢魔IIの「戦慄のドナドナ」であったりする。

まあ、私がかつてから聖飢魔IIのファンであることは彼女は既に知っているが、特に私が車の中で聖飢魔IIのCDを流すことを嫌がらないので、よくかけている。最近車の中でいつも聞いているのは、聖飢魔IIの最終大教典(ラストアルバム)である、LIVING LEGENDである。LIVING LEGENDは聖飢魔IIが地球征服完了となる1999年末の直前に出たアルバムだ。現在、私の車のCD6連オートチェンジャーには洋楽含めて6枚のCDが入っているが、LIVING LEGENDが終わるや否や、またLIVING LEGENDに戻して最初から聞き直すほどである。

私は高校2年くらいから徐々に聖飢魔IIを聴かなくなっていったが、私が聴かなくなってから、聖飢魔IIはベスト盤を除くと6枚の大教典(アルバム)を出している。これを徐々に買っていこうと思っているが、取り敢えずLIVING LEGENDに飽きるまでは次のは買わない。

聖飢魔IIはツインギター(エース清水とSgtルーク篁)を擁することで名高いが、ギターより私の彼女が驚嘆するのはデーモン小暮のボーカルである。特に高音は凄まじく、「ねえ、これ声なの?」と彼女が聞くほど人間の声とは思えない。特に凄まじいのが「伝説の赤い玉」の最後の歌詞である

さらば〜、伝説のあか〜い〜たまーーーーーーーーーー

の赤字のところなど、いつも彼女が「ひょっとして、これ声?」と言う程の人並み外れ加減である。まあ、人じゃなくて悪魔なんだが。

デーモン小暮は早稲田出身であるが、入学当時「物凄い音階を持った新入生が入ってきた」と早大バンドサークル界で話題になったらしい。これが新入生である小暮君のメジャーへの第一歩、だったかは分からんのだが、とにかく1982年には聖飢魔IIを結成している。当時のリーダーはダミアン浜田で、しかも聖飢魔IIじゃなくて「は、は、は、浜田さんバンド」だったらしいが。

メジャーデビューは大学卒業後(?)の1985年で、「悪魔が来たりてへヴィメタる」でレコートデビューを果たす。聖飢魔IIが一斉に知られるようになったのは、第一小教典(シングル)である「蝋人形の館」で、この曲が彼等のオリコン最高位となった曲である。その後は「ステンレスナイト」や「WINNER!」などが若干一般に受け入れられたが、それ以外は殆ど知られること無く過ぎて行ったようだ。しかし、別に凋落したと言うわけではなく、音楽活動は強力な固定ファンを掴み、しかも順調にファンが増えていったこともあり、堅調と言わざるを得ない活動を解散まで続けたようだ。デーモンのメディアでの露出度は高かったものの、活動自体は何もデーモンのキャラクターだけで食っていたわけではなく、構成員の個々の能力によって保たれていたのは論を待たないだろう。

そんな中でのデーモンの歌唱力を改めて考えると、ファンが「構成員全員が実力派」と言う中でやはり実力派で、その音階は素人のカラオケでの歌唱を妨げることこの上ない(声が出ないもの)。車内でも歌おうと努力はするものの、やはりサビの部分などは厳しい曲が多い。思わず口ずさめない、と言うのが本音である。まあ、仕事中口ずさめない歌詞だったりするのだが。例えば

♪殺せ殺せ殺せ邪魔者は 火を放て 街も国中 戦争は人殺し♪

と言う、LIVING LEGENDの一曲目で、しかも最も評価の高い"Heavy metal is dead"にある歌詞を口ずさむとなると、かなり危ないだろう。

ま、取り敢えず今後も車内は聖飢魔IIが流れることになるのだが、彼女には我慢してもらうことにしよう。


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