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2008年06月01日(日) 三宮きんたろー



 歩いて十数分の所に、京都府立図書館があって、よく利用している。その目の前にある美術館には、絵描きの癖してここ数年行ったことがない。何故行かないか。眼が濁るから行かない。新鮮な物はほぼない。
この前、博物館で行われた、天才、「暁斎(きょうさい)」展などは、よくぞこの企画をしてくれたと独自の判断力と企画力を持つ館員に感謝したいくらいだった。
知らぬは日本人ばかりなりで、吉田松陰と同じ年に生まれた、この欧州には広く知られた絵師は、今まであんまり知られていなかった。人脈は広汎で、勝海舟とも知己があった。はっとするような企画は博物館の方に良いのがある。で、暁斎の話になるかと思うとならない。 それはさておいて、図書館の東の角、交番の裏に丁髷(ちょんまげ)を結い本を読む兄ちゃんの銅像がある。来るたびに横を通って中にはいるが、この兄ちゃんを見るたびに不愉快になる。ある年代以上の人々は、この銅像を見ると小学校の校門付近に置かれていた「二宮金治郎」像を思い出すと思う。
ところが、写真のように何かおかしい。
後ろに回ってよーく観察すると、背中に薪を背負っていない。ただ、本を読んでいる。


あれ?薪は?
 この像が二宮金治郎ではないとしたら、この兄ちゃんは誰であるか?なんで丁髷を結って着物着て本を読んでいるのか。結論から言えば、これは二宮金治郎像の変造?である。後からの価値観で、薪をとっぱらってしまった。図書館だから、本だけ読んでればよろしいと言うことなのか。




幸田露伴の「二宮尊徳翁」の本中に初めて薪を背負って歩く挿絵が出て以後、これが尊徳(金治郎)像の基本となり全国に広がっていた像が、ある年代以上の脳裏にある二宮金治郎像だ。が、やがて徐々に撤去され始める。
 理由は戦後、GHQが過去の日本人の価値観を否定せさるためという俗説もあったがそれはあたらない。占領下に流通していた一円紙幣は二宮尊徳の肖像画であった。
本当の理由は、笑えることに、「像のように実際に薪を背負って歩いていたか確認できない」??事と、また、児童が像を見て真似すると危険という交通安全上から?、1970年以降学校から消えていく。




そんなら何か、アングル描く、「アフロディーテ(ギリシア神話の女神、切り落とされたちんちんにまとわりついた泡から生まれたと言われている)の誕生」絵中の、アフロディーテ、寄り添う天使は、本当にいたかどうか確認できないという理由で加筆したり適当に部分を修正する事を許すのか?
こういう時だけ妙にリアリズムを持ち出す輩は抽象概念とか象徴と言う意味が理解できない、あほである。
 像を見て真似するから危険といっても、現実にあの大きなランドセル背負って、漫画読んでいる子供はいる。
何で、像を見ると「真似をする」という発想になるのか。「アフロディーテの誕生」を見て、男児は発情はするかも知れないが,まねして裸になろうとする女児はいないだろう。
 京都府立図書館はあの駄像すぐ撤去したほうがいい。







二宮尊徳は、報徳記で、「誠」をもって働く事を勤労と呼び、単なる労働ではないと言い、さらに実践を伴わない
単なる、「本読み」になってはいけないと言っているではないか。と友に言ったら、

「あれ、三宮きんたろーちゃうか」、

  誰や?それ。


ドミニク.アングル1780年生まれ
…フランスの画家。
ロマン主義絵画に対抗し、ダヴィッドから新古典主義を引き継ぎ、古典主義的な絵画の牙城を守った。



→2002年の今日のたん譚  あははは…!












2008年05月24日(土) 一焚き十台 1/2



 とあるうららかな春日和昼近く、猫の額程の庭にたまった落ち葉と、夏に向けて切り落とした小枝を燃すために、雨水をためたポリタンク十リットルを二つ用意し、たき火をしていた。幾日か前の雨で葉が濡れていて、煙が少し多く、目に滲みて涙が出た。
やり始めて、十分くらいだろうか、遠くでウーウー・カンカンと消防車の音が聞こえる。寒くもないのに今時火事かと、ぼんやり聞いて居たら、なんだかずんずんその音が近づいてくる。暫く後、足下、奥の家(緩い傾斜地にあるため、我が家の庭の地面位置は大人が奥の家の庭に立てば、頭の位置)が喧しい。
塀のフェンス越しに隣を見たら、フル装備の消防士、何事かと聞いたら、この辺で家が燃えていると通報がありましたとの返事、狐につままれていると、お宅何か燃しているかと言うので、はい、落ち葉焚きしてますと言ったら、見せてくれと言う。いいですよと言い、火に水をかけ、玄関を開けようと表に出たら、玄関が既に全開になっていて、フル装備の全身銀衣装に、ボンベを背負い、粉の消化剤を粉霧する銃のようなものを構えて、火元はここかと言う。その顔真剣である。
 さっき中を見せてくれと言った消防士が来て、上がろうとしたが靴は耐火靴で容易に脱げないらしく、四つん這いで中に入り部屋を横切り、庭まで行進した。
庭に到着後、貧相な規模の焚き火に消防士絶句。何か言いたげだが、20リットルの水が焚き火の両脇を固めている。その焚き火も、玄関に出る時に消していたので、うっすら煙が漂って火のけなし。
で、消防士困って「ちゃんと消していいですか」。勿論、消防士だから消したきゃ消してくれといったら、ポリタンクの水を丁寧に焚き火にかけた。
 発端は、過去に、近所の訴へ好きの爺さんとのもめ事で、うちに相談しに来た事のあるノイローゼ気味のばあちゃんが、煙みて通報。二階から出火している、もし火が回ったら隣の爺さん(訴へ癖のある困った隣人)に何か言われると思ったらしく、よく確かめもせずに即座に通報したようだった。
これで一件落着と思ったが、甘かった。

 この後、家の居間は、大の男五六人にどかどかと陵辱され、三十分近く居て、この襖の向こうは何があるのかとか関係のない事を質問したりした。他人の家に興味津々であった。警察からも二名くらい来ていた。途中で引き返したらしいが最初消防車十台来こちらに向かっていると言っていた。
尋問?始まる。まるで犯罪者。自分ちで焚き火して犯罪者のように言われる世の中は変だ。
「そんなに火事は増えているのか?」
「いや減少している。ほとんどない。」
何だ、無いのか。

先の消防士が
「こんな町なかの家でたき火は危険です。」

え、町なか? 歩いて二分で山に行ける、ここを町中と認識しているのにびっくりした。

「焚き火して、もし軒に火が移ると大変ですから…」。

「その時は横にいるので事前に火を小さくするなり、消しますが。(軒に火が移りそうなのに、黙ってみてる馬鹿はいない)」

他の一人が、本部に連絡している言葉を聞いてあきれた。

「本人に悪気は無いようです」

悪気?悪気を持ってたき火する奴とはどういう輩か。
「たき火しません」誓約書を書けと言う、嫌だったから、とぼけて、最近コンピュータのし過ぎで、漢字忘れてしまって、書けないと言ったら、よっぽど暇なのか、人の良さそうな警察官、自分で書き始め、何しているのかと見てたら、この上をペンでなぞって下さいと言う。普通は後々のために書いたら駄目だが、大まじめな警察官のために三文判を押した。

もし…すれば」、そんな事を言い出すと、普通の家にある出刃包丁他、ライター、携帯ガスコンロ、全部「もし」の対象になる。
十年来やっていた,落ち葉を掃き集め焼くことで、初夏に向かって新緑の予感を、また秋が来た事を感じ、新年を迎える前の大晦日にはそれをすることで今年の縁切りをする。それが、「もし」という仮定で出来た法で全部断ち切られる。

もしも」には「備え」を考える事が真っ当だろう。この場合の正しい推理としては、消火用の水を用意することだ。それで事済むのに「危険なことはやらせないという法律(この場合、消防法)を作り住みにくくしてしまう。憲法九条じゃあるまいし?

消防士たまに燃えなきゃ即失業 

→2/2に続く。









2008年04月29日(火) 善光寺前インタビュー



 インタビューに答える、支那人の言葉「オリンピックと政治的な物をいっしょにしてはいけません」だから、大きな赤旗でチベットの旗を覆い隠します。
その顔に悪気無し。「周りに一人の知り合いも居ません」という。個々はバラバラ。こういう国の兵隊は弱い。劣勢に転じると、蜘蛛の子散らすように逃げる。 違う放送番組で、前夜一人の支那人学生にインタビューすると「大使館が募集したので来た。二千名位」語るに落ちてしまった。












2008年04月26日(土) 信濃(CHINA NO)聖火の成果






これらの人々は、沿道遠く公園に追いやられたにもかかわらず、なぜか中国人の殆どは最前列に赤旗を持って集まっていた。民放の報道番組を見ると異様な数の赤旗が振られていることに気づくだろう。リレー開始直前、チベット人殉難者のために善光寺で法要が行われた事を日本の報道局は報道するのだろうか。
世界中に居て、一声かければ、五万と集まってくる国とその国民性に注意すべし。









2008年04月24日(木) 信濃(CHINA NO)



もう知っている人もいると思うが、身障者からトーチを奪おうと妨害したのは、中国人で、チベット人ではなかった。










2008年04月10日(木) 映画「靖国 YASUKUNI」の本当のほんと



 また、靖国憎しの勢力が、このインチキ映画擁護をしている。なぜ、インチキだといえるのかというと、協力者(トム岸田さん)および、出演者(靖国刀刀匠、刈谷さん)をだまし利用した事、表現の自由などの問題以前の話である。おまけに、監督、支援団体共に中国人だという事実。それに間接的に協力している文化庁、映画の審査員の中に、憲法九条を守る会の人々や、ゆとり教育や、広島の教育をぼろぼろにした寺脇研の手下達が多い事などがある、何かおかしい。

 映画審査の条件中に、「日本人が作ったもの」という項があり、あきらかに反則である。にもかかわらずなぜ通ったか。
トム岸田さんは、この映画の協力者としての名前を外してくれといい、高知の靖国刀刀匠、刈谷さんも、日本の刀の伝統工芸を描くと言うことで出演したが、靖国神社の協力してくれた方々に申し訳ない、自分の出ているところを全面カットしてくれと言っている。

百聞は一見にしかず。

一、



↑↓チャンネル桜、桜プロジェクトより


二、





こんなものに、文化庁から金が出て、お墨付きを与えられ、世界に紹介される事を杞憂する。アメリカの兵士の国立墓地は(訂正→8)カ所あるという、一度に大統領が行って顕彰出来ない。ドイツの軍人は、国のために戦った兵士の魂が一堂に集まり、大将も一兵士も同じように顕彰されているこの施設は素晴らしいと絶賛している事や,台湾人のグループが毎年訪れ、軍歌を歌って慰霊している事など、十年もかけて撮ったと言うこの映画、そういう話題,映像が全くないようだ、どこがドキュメンタリーか。



李監督へ。建国60年足らずのわずかな間に立て続けに起こる、御国の「天安門事件」や、チベット屠殺をテーマにしたらどうだ。出来ねえだろう。
そんなもん制作したら帰ることが出来なくなってしまう。
で何者か?工作員である。ね,罹患督。

追記: この監督、少し前にあった、百人切り訴訟裁判後の集まりでの事。弁護士会館での集会は定員一杯で、急遽議員会館での会合に、なぜか忍び込み(一般の人は入れない)、勝手にビデオを回していたところを水間政憲(ジャーナリスト)氏がとっつかまえ、名刺を出させ、その場で、ビデオ削除を言ったがやろうとせず、詳しい人の手で消去した。怪しい奴の証拠は一杯掴まれている。
これはもうはっきりした工作員である。 この時期から推測するに「南京」に関しての工作宣伝のための活動をしていたのだろう。
朝日の太鼓持ち田原総一朗ともども両者を逆に訴えればいい。
呆れたことに、朝日新聞片面一杯に映画「靖国」のコマーシャルしていた。
片面と言えば、数千万の金がかかる。さて、出所はどこでしょう。









2008年04月07日(月) 護摩化さず法螺も吹かず



日光修験道もチベットに関して声明を出している


チベット弾圧に対する憤りと抗議



 私たち日光修験道は、中華人民共和国の暴虐行為、殺人行為、民族と文化の抹殺行為、宗教破壊行為等に対して、甚深なる憤りをおぼえ、ここに強く抗議するものである。
中国政府は、この度のチベット弾圧事件で、その歴史的傲慢さを露呈した。自ら共和国建国前に受けた中国人民の苦しみを忘れてしまっている。現中国政府が他民族を虐待することは、まさに独裁、拝金、覇権主義国家であることを示している。その主張と行為は、厚顔無恥以外の何ものでもない。

このような思考の指導者集団である中国共産党政府に、次の四か条をもって、断固抗議し、懺悔の機会を与えるものである。

1.直ちに理性をもって、自制的行為を執るべきである。
2.外国のジャーナリズムによる公正な報道を受け入れるべきである。
3.強制的に連行、捕縛した全ての人々を、すみやかに解放すべきである。
4.直ちに侵略を認め、チベット人民に謝罪し、速やかにその独立を認める   べきである。

人民と天命、因果は常に権力が恐れるべきものである。中国政府は恥を知り、その愚昧な政策を改めよ。

2008年3月20日
日光修験道  法頭正大先達 伊矢野慈峰


日光修験道ホームページ









2008年04月06日(日) 日本の坊主の面目躍如



以下の放送を見よ。

以下の放送映像は、民放側からのクレームで見られなくなりました。
(四月中頃より)

一。音頭をとっている青山某は日本人を拉致したとはっきり認めた金正日を金正日さんと「さん」づけで呼んでおりどこか怪しいがこの映像に関しては賛同する。



二。天台宗 別格本山 書写山 圓教寺の大樹玄承 執事長と、金子峻執事






→2002年の今日のたん譚 雪舟bon? 










2008年03月30日(日) 悲しみと希望と



 本日、一日の間に、この正月に北アルプス槍平にて遭難した市川啓二氏(昭和三十一年生)西井健(昭和五十一年生)氏のお別れ会(徳島)に出席、途中退席して、大阪堺で開かれる、西村眞悟議員を応援する春の集いの会に向かった。




一昔前は、片道六時間はかかったが、今は、橋が出来てわずか三時間で四国大阪移動が可能になった。雨模様で少々気が滅入ったがどちらも外せない。
 岳人クラブの主催で徳島市公民館七階で行われた両君のお別れ会で、遭難時の状況分析が詳細に行われた。槍平という場所を知っている人ほど、その場所に雪崩など起こるはずのないと思ってしまう位置なのであるにもかかわらず、起こってしまったその事に関しての分析で、その雪崩がどこから来たか釈然としないという事で未だ調査途中ということであった。
 壇上に大きく掲げられた両君の遺影と遺品、ピッケル、ダウンのジヤケット他、五十一年生まれの西井氏については何も知らないので、ここでは書かない。
市川君とは先輩後輩の関係ではあったが、とても親しくしていた。
青春期に親しくした友は何十年音沙汰無しでも心の底でどこか気にかけているところがある。
 
 一見、全然趣を異にする会のように見えるが、主人公に共通することがある。青春時代を「山」で過ごした経験を持っていることである。西村さんも大学時代一時(足の怪我で退部)山岳部にいた。冬の北アルプスで吹雪きの中、ビヴァークを経験をしている。山の話をすると本当に懐かしくその時を思い出すようだ。
お別れの会は高速バスの時間の都合で「献花」までいられず、会場を後にした。これとは別に、ここ、たん譚に、市川啓二君追悼を書こうとおもっている。



 信じられないくらい、分刻みの乗り換えがうまくいき、大阪堺リーガロイヤルホテルに二十分くらい遅れでたどり着けた。
応援に駆けつけた、衆議院議員、平沼赳夫さんの言葉は聞けなかったが、間に合った。大盛況で、会場の外まで人があふれていた。













←写真は前の方で少人数に見えるが、広い大ホールに数百人が集っていた。





政治家として人望が厚いというのは、個人として支持しているたん譚のようなのもいるが、その後援会の多さでも分かる。いろいろな人達がいろいろな集まりを作り、支持して独自の会を作っている。今回それを知って改めて、こんな政治家は他に例がないのではないかと思った。著書でも、日本を論じるのに、日本とは何か、日本人とは、から興す。政治家の本で、この根っこから論じた本があったら教えて欲しい。政治家はその時その時の点を論じ、解決しようとする人は数多みかける。が、カントリーとしての日本、ネイションとしての日本を意識しての発言は見かけない。
 
 映画やVシネマなどで人気を取っている、「難波金融伝 ミナミの帝王」に出ている、地場のやくざの親分役の元チャンバラトリオの人(名前忘れた)、登場人物そのまんまの衣装と雰囲気で来ていたので、思わず親分が来ていると錯覚してしまった。


TVで、お笑いタレントに受験勉強の家庭教師を務めて、話題になり、浪曲師に華麗なる転職をしてまた話題になった「けいこ先生」も居て、司会をしていた。
拉致被害者のご家族、有本さんご夫婦、東条英機御令孫、東条由布子さん、実に多方面にわたって来られていた。

この二つの会には、それぞれ象徴的な歌が思い浮かぶ。
西村さんの集いには、

「海ゆかば」
      大伴家持

海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 草生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ
(長閑(のど)には死なじ)


市川君始めとする岳人達は必ず多少の感傷を持って歌った

「いつかある日」
       ロジェ.ジェプラ

いつかある日 山で死んだら
古い山の友よ 伝えてくれ

母親には 安らかだったと
男らしく死んだと 父親には

伝えてくれ 愛しい妻に
俺がかえらなくても 生きてゆけ

息子たちに 俺の踏み跡が
故郷の岩山に 残っていると

友よ山に 小さなケルンを
積んで墓にしてくれ ピッケルたてて

友に贈る 俺のハンマー
ピトンの歌声を きかせてくれ

 この詩が、実感として胸を打つ事は今までなかった。今は山行く人の共通の遺書だと思うようになった。

学生時代、念仏のように唱へ覚えた、エベレスト K2 カンチェンジュンガローツェ マカルー ダウラギリ …。 その中のダウラギリに隊長として遠征し、その深い雪に、地場のシェルパに、行ったら100%死ぬと言われて、忠告にはやる心を抑え、撤退し生還、日本に帰国し、同年の正月登山に、冬山初心者を連れて、あと一時間で新年を迎える十一時頃、就寝中雪崩にテントを潰され不帰の人となった。






















 


       徳島岳人クラブ提供→


 慰めは市川君が誘った人は生還したことである。難しいダウラで逝かず生還したのに、テントの張り位置からもその用心深さが伺われる、北アルプス槍平においてまさにそこに雪崩が来た。 冬山で絶対安全はないが、長年の山屋の感は働く。その感を持ってしてもその場所は安全に思えた。

 世の常として、不条理は働く。そして仲間と逝ってしまった。さらに遭難後すぐ後、世界最高峰のチョモランマ(エベレスト)を初登頂したサー・エドモンド・ヒラリー(Sir Edmund Hillary)も後を追うように他界した。きっと天上界で会っている。残念なことに西村さんのご子息も、市川啓二君遭難後の今年一月病気のため他界した。

悲しみと希望この二つの相反する感情はきってもきれない間柄である。だから、この二つの会の主人公は「山」という関係を置いても、無関係ではない。









2008年03月28日(金) 土伯特のために、君よくちびるに風をもて



唇に風を持て
ほがらかな調子で
日々の苦労に
よし心配が絶えなくても
唇に風を持て
さうすりゃ奴らが来ようと平気じゃないか
どんな寂しい日だって
それが元気にしてくれる

土伯特のためにも言葉を持て
なやみ、苦しんでいる他人のためにも
さうして何でこんなに朗らかで
いられるのか
それをかう話してやるのだ
唇に風を持て
勇気を失ふな
沿道 に、聖火に、みなの風よ吹け
さうすりゃ聖火だって
ふっ飛んでしまふ
          –山本有三(やぁまぁもっと言ふぞう)–


↑オリンビックをからめ中国のジャーナリストと活動家の釈放を訴えるボスター




チベット問題に対する国境無き記者団中国への抗議ポスター


長野県を聖火が走る。テロはだめだ。卑怯すぎて性に合わない。
そこで聖火リレー沿道に共に出かけ、近くに来たら、みんなそろって一斉に聖火を口で吹き消そう。消えなくても良い。とにかく吹き消す行為をするのだ。それは騒ぐより効果があるだろう。必ず、ニュース報道の背景として写り、流れる。Youtubeにも。


チベットは西蔵と呼ばれている。どこからみて西の蔵?
東南アジアは何処にある?日本から方位を正確に見て、東南にアジアはない。往時の力を持った国から見て東南にあった。西蔵も同じこと。わが国では戦前戦中、チベットは土伯特と書き、東南アジアは南洋と呼んだ。少なくとも日本の目で見ていた。

★本日、沖縄集団自決訴訟に判決が出た。
判決→元守備隊長らの請求棄却。「沖縄ノート」記述の訴訟で大阪地裁。「集団自決に軍深く関与」と指摘。←
すでに明白な当事者の証言を踏みにじるものは何か。常識的に見てほんとうにおかしい。詳細はまだ知らないが、「関与」と言っても「良い」関与もある。










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