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日本文化チャンネル桜ホームページより転載
「日本文化チャンネル桜二千人委員会」創設と委員会参加へのお願い
皆様へ
日本文化チャンネル桜は、創立五年目を迎えましたが、ここに至りまして、運営資金が致命的な不足に陥り、平成二十年九月以降の放送を続けることが困難になりました。 この五年間は、代表取締役社長である水島が、私費約七億円(衛星放送フィリピンチャンネル株売却や個人預貯金等)を投じ、チャンネル桜の運営資金に当てて来ました。 しかし、それも全て尽き果て、公共電波による放送続行が不可能になりました。 残念ながら、これまでの視聴者や個人スポンサーの皆様による支援だけでは、チャンネル桜の放送を続けていけないのが、厳しい現実であります。
いかなる外国や外国勢力、いかなる企業、政治、宗教団体からも自由と独立不羈の志を守って来た日本で唯一の公共放送局「チャンネル桜」が、今、消滅する危機を迎えております。 代表の水島は、自身が無一文になったことは後悔しておりませんが、日本で唯一の草莽テレビ局の消滅は、国家的危機を迎えたこの時代にあって、日本と日本人にとり、計り知れないマイナスになるだろうと深刻に憂慮しております。 是非、これからは全国草莽の皆さんによって、この細々ではありますが、切り開かれた道を後に続いていただき、何とか、日本国民の、日本国民自身による、日本国民のための公共放送の最後の砦を守り抜いていただきたいと、心より願っております。
チャンネル桜は、我が国の伝統文化の復興と保持を目指し、戦後日本を見直そうとする日本で最初の、そして唯一の草莽メディアとして創立されました。 繰り返しになりますが、私達のチャンネルは、国家権力やいかなる外国や外国勢力・政治団体・宗教団体・大企業等からも、自由と、独立を守ってきた草莽チャンネルでありました。 私達はそれを誇りに思います。
日本文化チャンネル桜の社是は、「草莽崛起」(吉田松陰)と「敬天愛人」(西郷南洲)であります。 その旗印を高く掲げ、これからも私達の「志」実現へ、全身全霊で邁進する所存であります。 その実現に向けて、現実的な道として、「チャンネル桜二千人委員会」創設があります。 今、世界の大転換期にあって、私たちは、この草莽崛起、独立不羈の「志」を実践、推進し、日本人としての「正論」を皆様に発信し続けるため、また、新たな、そして大きな出発を実現するために、「チャンネル桜二千人委員会」創設を提案させていただくことを決意しました。
この委員会は、二千人(以上)の委員の皆様が月に一口一万円以上のチャンネル桜を支える資金を提供していただき(形式的には贈与とか寄付にならぬよう広告スポンサー料となります)、NHKが国民の視聴料で運営されているように、二千人以上の日本人委員によって、あるいはそれ以上の数の草莽日本国民によって、自由で独立不羈のテレビ局を運営しようというものです。いわば、小さいながら新たな「新NHK(新日本放送協会)」を日本国民の手で創設しようというものです。 これはまた、本来の公共放送局の在り方を国民の手で実現しようとする草莽日本国民運動でもあります。
現実の問題として、例えば、衛星放送「ハッピー241チャンネル」放送開始当初のように、毎日約三時間から四時間の放送番組の製作と放送を続けるためには、毎月約二千万円が必要となります。 つまり、一時間あたりの番組製作と放送のために、約十六万円が必要だということになります。 この内訳には、全ての経費(衛星放送時間枠使用料・番組製作の出演者ギャラ・撮影費・ロケ取材費・美術費、スタジオ使用費、スタッフ人件費、光熱費、連絡費、事務所経費等)が含まれています。 また、この金額には、インターネット動画放送So-TVのサーバーと回線使用料と技術者人件費も含まれています。 地上波の深夜の三十分番組でも、製作費が数百万の予算であることを考えていただくと、いかに私たちが無駄のない超低予算で番組制作をしてきたかご理解いただけると思います。
もし、二千人委員会が目指す二千人を超え、四千人委員会になったなら、二十四時間の放送を新たに再開出来るようになります。
月額一万円という金額は、草莽の日本人にとっては大変大きなお金です。 しかし、一億二千万人の日本人の中には、必ずやこの草莽チャンネルを自ら支えようとしてくれる二千人以上の「草莽」がいることを私たちは信じています。
世界最古の国の国民として、長い歴史と文化を築き受け継いできた祖先のため、そして、これから生まれてくる私たちの子孫のため、日本国民の日本国民による日本国民のための草莽テレビ局を皆様の志と力により、守り育てていただきたく「日本文化チャンネル桜二千人委員会」創設の告知とお願いをさせていただきました。
命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。此の仕抹に困る人ならでは、艱難を共にして 国家の大業は成し得られぬなり。 西郷南洲翁遺訓より
私達は、「仕抹に困る」メディアであり続けます。 私達は、日本を最も愛するメディアであり続けます。 私達は、日本と日本人を信じます。 私達は、日本と日本人の未来を信じます。
私達は、日本唯一の草莽メディア「日本文化チャンネル桜」です。
全国草莽の皆様におかれましては、何卒、委員の一人になっていただきたく、心よりお願い申し上げます。 また、皆様におかれましては、全国各地で二千人委員会の拡大と各地区支部創設のためのご支援、ご協力に立ち上がって(草莽崛起)いただきたく、お願い申し上げます。
平成二十年九月十一日
株式会社日本文化チャンネル桜 代表取締役社長 水島 総 「日本文化チャンネル桜二千人委員会」準備委員会事務局長 松浦芳子
「チャンネル桜二千人委員会」の詳細についてはこちら
この前、露助(別に蔑称ではない。アメリカンがメリケン、ホワイトシャツが、ワイシャツと聞こえるがごとく、ルスキー(ロシア人)はロスケ)幕内力士が、覚醒剤をやっていて逮捕され首になった。 続いて他の露助力士も首にされたと聞いて意外な感じがしなかったのは、過去に露助達が、京都の瀟洒なレストランでやったことを目撃していたからだった。
そのレストランは、古い洋館立て(元京都中央電話局庁舎、有形文化財指定・大正十二年建築)で、食堂の天井の高さが四メートル近くあり、広々とした食堂には、一台数百万円はする直径三四十cm位の銅製レコード板式のオルゴール(写真の物は銅ではないようだ)が数台置かれていた。最奥のホールにはグランドピアノが置かれ、時間制で静かな曲が生演奏されていた。今はザールランド(ドイツ)とニューヨークに住んでいる友人がコンビを組んで、ピアノとフルート演奏をしていた。
ある日、ここはコンク貝の刺身がうまかったので、それとそこそこの白ワインを注文し、二人の演奏を聴いていた。 演奏の合間を見て厠に立った。綺麗でひろびろとした厠に入ろうとしたら、でぶやらのっぽやら、屈強な感じのやら、ロシア語を喋る一団と入れ違いになった。観光客の一団と思われた。別にがらが悪いとも感じられない普通の人々で、黙っていれば米国人と間違へたかもしれない。 男用の朝顔の前に立ってびっくりした。
目の前にある棚、洗面台に、飲んだばかりのウオッカの瓶が散乱していた。 多分、露助は、度数の弱いワインやビールでは物足りなかったのだろう、 5、6人でトイレで飲んで、良い気持ちになってまたテーブルに付いたに違い ない。玄関ホール右横にはバーもあるが、そんなことは関係ないらしかった。 たとへ、オクラホマやアイダホから来た田舎者の米国人だとて、バーボンをレストランのトイレに持って入り、集団で飲むという発想はしないだろう。 この時の印象があまりに強烈で以後、露助の民度、指導者層や一般人の性癖をうたぐってかかっている。 相撲取り首事件のちょっと前には、オリンピック開催と同時に、南オセチア独立の肩を持つ露助のグルジア侵攻があった。南オセチアは元グルジアのレスラー上がりのマフィアのおっさんが牛耳っている自治区で、露助の傀儡のような奴らしい。ロシアに成りたがっている。独立支援とは名ばかりで、また露助の悪い癖がはじまった。国連は無力で只々、小沢(おさわ)がせの存在である。 最近は白い中国人(チャガン・マオ?)だと思っている。 ロシアの歴史も中国同様、愛国歴史家が捏造しているしよく似ている。世界はやったもん勝ち。ところで、露助と雲助なんか字が似てないか?
→2003年の今日のたん譚 医者豹変す
オリンビックが終わったらしい。 実況はまったく見てないので、ニュースで知ることになる。開会式に口パク少女や、偽花火、多民族共生と言いながら、民族衣装を着てたのは漢民族であった、偽装があったと、英国マスコミも騒いでいた。英国と豪州(オーストラリア)が身内なのは豪州の国旗を見てもわかる。漢民族の茶番劇を言う前に身内がシドニー五輪開会式の時にした同じような事(先住民と白人仲良くしようと共に踊ったが、アボリジニの格好をして踊っていたのは黒塗りの白人だった)は、ちゃんと批判したんか。
漢人とアングロサクソンの異民族皆殺しの歴史はまったくよく似ていて、英国がチベットやウイグル問題を取り上げてニュースにしているのを見ると笑ってしまう。インディアン、アボリジニ、タスマニア人殲滅はあやまったのか?同じ穴の狢がよく言えるなぁ。厚顔無恥とはこの事だ。
なを、戦いの最中(北海道他 8月19日訂正 北方という意味で書きましたが、意味不明なので。北方の島々ではこの日以降のソ連による侵攻に再び戦闘が始まり好戦していたその戦いという意味)、天皇の詔勅により武士達が一斉に武器を投げ出し戦いの刃を鞘に収めた日(負けたと自覚して手を挙げたのではない)
この戦いを世界ではどう呼称したか。
日本
「大東亜戦争」
米国 日本に対して「太平洋(方面)戦争」 対独に対して「ヨーロッパ戦争」
欧州 「第二次ヨーロッパ戦争」 ソ連 対日、対独とも 「大祖国防衛戦争」
対ドイツなら分かるが、条約破って、日本に対して何を防衛??
また、人が引けた後日、護国神社のパールさんと顕彰碑の前で一杯やろうと思っている。 →2002年の今日のたん譚
2008年08月09日(土) |
オリンピックが始まったらしい? |
日本選手団だけ(訂正08/10:正確にはパキスタンとカタールと計三国らしい)、中国の小旗と日の丸の小旗をもって行進したらしい。中国の旗を持つ位なら、なんでオリンピックの旗を持たないのか。 昔から思っているが、スポーツ選手と言うのは、「それだけ!」の人間が多すぎる。なーんにも考えてない。というより考えられない頭になっている。 東トルキスタン独立派が、宣戦布告して中国は戦時に近い状態だと言うのに、よくもまぁ脳天気に中国の小旗をふれたものだ。中国様を支持しますの表明と世界は見るにちがいない。最後までオリンピック中継は見ないことにしているので、すべてネット上からの情報で書いている。 文武両道という言葉が好きだ。 なにも、今拳闘界で人気のある、ウクライナのクリチコ兄弟のように、世界ヘビー級チャンピオン(弟は、現在IBF・WBO世界ヘビー級チャンピオンで1996のアトランタオリンピック、スーパーヘビー級で金、兄は世界チャンピオンを経て後引退した)でなおかつ博士号を持つような人のことを言うつもりはない。スポーツをしていると年がら年中、西洋式身体反復練習運動するあまり、頭が回らなくなる。博士号とれとは言わんから、せめて、今、世界がどういう事に注目して何が問題となっているのか、その時自分はどういう立場をとるかぐらい大人なんだから考えるアタマを持って欲しいと思う。知っている限り、スポーツ界で、日本人ではっきり意思表明しているのは、登山家の野口健くらいだろう。 チョモランマ最高齢登山に固執する、同じ登山家の三浦雄一郎なんかは、中国問題をどう思ってるのか。確か政治に関心があって、北海道知事選や、参議院選挙にも立候補していたくらいだから政治に関心がないとは言わさんゾ。が何にも言わない。
皮肉な事に、最高齢の新記録達成かと思いきや、直前に意外なダークホースの出現で新記録成らず(一歳年上のネパール人が出現登頂した)、でどうするか見ていたら、次は八十歳でやるという。もうええやんか。一度チョモランマの天辺に立てただけでもサミッターとして登山家冥利に尽きるのにどうして最高齢にこだわるのだ。もう只のギネスねらいとしか思えない。
中国政府が、登山路の変更を行ってきても、黙って従い、中国情勢の中のオリンピックに関しても、知っている限りでは何も言っていない。多くの人々にとって、たった一度のチャンスという意味で、オリンピック出場も、チョモランマ登頂も同じ位困難な事だが、三浦雄一郎は恵まれた環境、スポンサーがつき、行くと言えば何度でも行ける。が、最高齢と言ったって、*他の隊員達が支えてるのだ。たった一人で挑戦しているわけではない。見てるものにとってここに感動はない。 それよりも、野口健のように、中国に関して何か言えば、明日にでもスポンサーに捨てられる(実際に一社から企画中止スポンサーの辞退があった)、自分のこれからの行動を制約される降ろされると承知していても言わずにいられない登山家に、心から共感できる。
以上のような事どもを、昔は、前者をスポーツ馬鹿、後者を年寄りの冷や水と言った。
*最高齢ネパール人登頂者を陰で支え、随伴したRaiさんは凍傷のため両手の指と右足の指を切断した。その原因となったのはシェルチャンさん(76歳 最高齢登頂記録保持者)の着替えや靴や靴下を履くのを手伝うため、厳寒の中、何度も手袋を外さなければならなかったことからだという。入院して、保険も出ない、給料の支払いもちゃんとされていないという。登山隊の助手として十七年間働いてきたが、もう二度と仕事に戻ることはできないと病院で語った。自分で自分のことが出来ない登山家ってなんや??
昔、全盲で登ったと喜んで気勢をあげていた人がいたが、その陰でこれに似たことが事がきっと起こっている。それでも登りたいという、こういう人の気持ちが分からない。一遍ちかくのぽんぽこ山(700 m位の)にでも、本当にたった一人で登ってみたらいい、その時自分が何者かを思い知るだろう。
一週間前の今日、「北朝鮮拉致被害者の全員奪還、西日本緊急集会の後デモ行進、大阪西長堀→難波高島屋前までデモ行進に参加した。
もうだいぶ前から、心の中では一つの結論が出ている。北王朝が滅びるか、こちらが取り返しに特殊部隊をやるしかないとおもっている。声を限りに街頭で叫んでも空しい思いがするばかりだ。 ようやく、シオンの丘を手に入れ、建国したイスラエルは、前からいたパレスチナ人他、まわりは敵ばかりの四面楚歌、孤立した中、短期間で一撃を与えるにはどうしたらよいかどうやれば勝てるかを考え,二度三度日本を訪ねた当時のダヤン国防相は大東亜戦争の指導者たちに会い、いろいろの教訓を掴んで帰りそしてわずか四日間でアラブの軍事力を殲滅してしまった。それぐらい精強な軍事ノウハウが日本にはあった。 今の日本はどうだろうか。戦う前に、攻めてきたら無防備都市宣言して明け渡してもいいという運動のようなものがある。イスラエルは、他の国はこれを見てどう思うだろうか。明け渡したとして其れからのことを考えてないところが末期症状で、戦うのが怖い、死ぬのが怖い、だから明け渡す、のだろう。生存至上主義者達に一つ教えてやろう。死より怖い物があるんだゾ。
漢の高祖劉邦の妻が、高祖亡き後寵愛していた戚婦人をやっかんで、行われた処刑の仕方にこんなのがある。その人間の四肢(両手足)を関節途中から死なないように切り落とす。そうしておいて、ぽったん式の便所の便槽に放り込んでおく。そして、毎日便所に行くたびに、上から唾を吐きかけ、クソをする。四肢を切り落とされたその人間は、糞の海でのたうつ。ざまぁみたかとこれをやる。生きている限りやる、死なせない。 それでも、何が何でも生きたいか?(死刑反対論者はこの事が分かっていない。死刑は極刑ではない。極刑とはこの事を言う。) 人間が動物と違うのはここなのだ。ペルシャとスパルタ、マサダの闘い、大東亜戦争、みんなそのために死を賭して戦った。
デモ行進が終わってからの、ねぎらいの会で、かって鎌倉武士が蒙古襲来を撃退した時の武勇を歌った、「元寇」という唄を有志達で大合唱となった。歌詞中の鎌倉男児(だんじ)の所を、西村眞悟(拉致議連幹事長)に置き換えての大合唱。聞きながら、今すぐにでも助けにいけないことをもどかしく思った。引き裂かれた家族達はもう今さら言うまでもないが、ご高齢で時間がない。日本という国も内(中国移民一千万人と外国人参政権、国内少数民族が問題化)と外(領有権の曖昧態度で)から、潰れてしまうまで、時間が余り無いように感じる。 次回の選挙の立候補者の一人でもいいから、日本国、日本国民奪還のためには、戦争も辞さないという強い決意を言う議員候補が出てくる事を、そしてそれを理解する国民が出てくる事を心から願う。
「元寇」 作詞・作曲 永井建子 肆佰餘州(しひやくよしう)を擧(こぞ)る 拾萬餘騎(よき)の敵 國難(こくなん)此處(ここ)に見る 弘安(こうあん)肆年夏の頃 なんぞ怖れ(おそれ)ん我(われ)に 鎌倉男児(だんじ)あり 正義武斷(ぶだん)の名 壹喝(いっかつ)して世に示す(しめす)
多多良濱邊(たたらはまべ)の戎夷(えみし) 其(そ)はなに蒙古勢(もうこぜい) 傲慢無禮者(がうまんぶれいもの) 倶(とも)に天を戴(いただ)かず いでや進みて忠義に鍛(きたえ)し我が腕(かいな) 茲(ここ)ぞ國のため 日本刀(にっぼんたう)を試(ため)し見ん
心筑紫(つくし)の海に 浪押し分けてゆく 益荒(ますら)猛夫(たけお)の身 仇(あだ)を討(う)ち歸(かえら)ずば 死して護国(ごこく)の鬼と誓(ちか)いし箱崎(はこざき)の 神ぞ知ろし召す(しろしめす) 大和魂(やまとだま)潔(いさぎよ)し 天は怒り(いかり)て海は 逆巻く大浪(さかまくおおなみ)に 國に仇(あだ)を為(な)す拾餘萬(じふよまん)の蒙古勢は 底の藻屑(もくず)と消えて 残るは唯參人(みたり) いつしか雲はれて 玄界灘(げんかいなだ)月清し
一昨日、明け方まで床の中で本を読んでいた。四時過ぎ、今年初めて蝉の声を聞いた。次の日はからっと晴れ上がり、夏らしくなった。障子を開け放すと、庭のちょっと伸びすぎた木々の隙間から木漏れ日が畳に差し込み、幾何模様を描いてゆれている。 軒下の風鈴がちりりんと思い出したように木のざわめきに呼応して静かな午後に響き渡る。それを聞きながら、二月堂をだし、冷やしそうめんをすする。ああ、日本の夏だぁ。お隣やそのまた隣に生まれなくてよかった、日本に生まれて本当に良かった。
→2002年の今日のたん譚
イタリアの遺物に日本人他落書きしていると、今更ながら、ニュースとも言えないニュースになっている。朝日新聞なんかどう書いているのか。昔、記者が珊瑚に「K・Y(狡猾な世論操作?消えろ読売?)」と落書きして、一般人のモラルを嘆くと言う茶番を書いた過去がある。 それはさておき、住んでいるところから図書館まで、東の端から冷泉通りを岡崎道までまっすぐ歩く。途中、中学校があり、運動場の南の端の下を通る。下と書いたのは、京都市は北から南に、普段は意識しないが鴨川の流れを見ると分るように、かなりな傾斜地になっている。 この中学校の運動場の南端の地面は道から二メートル上になり、コンクリートで基礎が固められている。さらにその上に倍ほどの高さのブロック塀、又その上に3メートルくらいのネットが張り巡らされていて、下を通ると刑務所の運動場を連想(入ったことはない)してしまう。これが、百メートルくらい東西にくねくねと続く。 以前から、ここのコンクリートの壁部分に、かなりな落書きがあった。もう心は鈍感になっていて部屋の柱時計のカチコチ音と同じで、目に入っても反応しなくなっていた。ところが先日通りかかると、目の端に映る塀の色に違和感があった。 改めて塀をまじまじと見ると、なんと全部の落書きが、雑な消し方ではあったがかき消えていた!何か粗いサンドペーパー状のものでごしごしと消した後があり、殆ど完璧に消えていた。中学校で話題に取り上げて、全校あげて消さなければこれは出来ない。反応の速さにちょっとあっけにとられた。 よかれと思いした事なんだろうが、消す際に生じた跡が意図せぬ絵柄となって、あらたな落書き出現と化していることに誰も気がついていないと思える事に笑えた。消し跡抽象絵画大壁画。これはいいんか?
イタリアに消しに行きますと言って断られた理由が、日本のボランティアかなんだかは多分分かっていない。わかりやすく言えば、ダヴィンチの絵画に落書きしたとして、消せばそれで済むと言う訳にはいかない。そこから始まるのだ。元に戻すのは至難の業である。
もともと意地悪な性格なので、この後、再落書き第一号はどのくらい後に現れるか通行途中の新たな楽しみになった。日本人はニュースには敏感だが、まー、すぐ忘れる。人の噂も七十五日というから再落書きは二ヶ月後と見ている。
2008年06月27日(金) |
CO2ヒス(テリー)パニック |
なんだか世界中CO2増加を憂いて、ついに東京都知事まで宣言してしまった。 アメリカ前副大統領ゴアの世界行脚と、「不都合な真実」の成果かCO2は人類にとって危険きわまりないという、何の科学的根拠もない主張に世界の政治が乗っかった。今の政策や対処を実行し成功しても、時系列で見ると対策を完遂しても六年ほどしか先送りできない。 「京都議定書でCO2の排出を何割か削減するために五兆ドル使うのなら、それを発展途上国の上下水道設備や教育のために使うほうが効果的だ」と*ロンボルグは言っている。
温室効果とは、温暖化を生む?CO2が、地球を毛布でくるむように温め、結果海水の温度が上がり、目出度く温暖化が進み、海面は六メートル上昇し、温度は五、六度上がるそうである。
ここでちょっと考えてみる。大気が水温をあげる?? 鍋一杯入れた水に、バーナーで水面に火炎を放射してみてもそう簡単に水の温度は上がらない。水には対流があり、下から熱せられると暖かい水は上に行き冷たい水は下に行く。冬の風呂の沸き具合を手先だけで見て、沸いていると勘違いするあれと同じで、上面から熱くなる。バーナーでやると上面を温めるわけだから、下まで温めるにはものすごい時間がかかるだろう。
趣味でビールを造っているが、その過程で分かることがある。ビールの泡はCO2である。この泡は、酵母が糖分を食う時の排泄物である。もう一つの排泄物がアルコールで、これで晴れて酒となる。エジプトが興隆している時のビール造りはルーブル美術館に小さなジオラマで展示されているが、この時代のビールは一次発酵だけだから、発酵中にCO2は飛散し、現在のような清涼感あふれる泡立ちはない。ワインや酒と同じだと思えばいい。
現在のビール(泡入り)を造るには二次発酵が必要で、中瓶のビール瓶に、三グラム位の砂糖を新たな餌として入れ、発酵済みのビールを入れて打栓しておくとまた発酵が始まり、泡とアルコールを作り出す。一次発酵と違って、打栓されているから発生した泡(CO2)は逃げ場がない。瓶の口のわずかな空間にCO2は充満する。逃げ場が無くなったCO2は何処に行くか?元のビール液に戻る(理科でならった)。吸収される。シャンペンの泡も同じ。そこでこれを地球に置き換えてみる。要するに、地球上の7割をしめる海に吸収される。
温暖化と言っても全地球的に同じ条件で温度を測っているとは限らないし、都市だけのヒートアイランド現象かもしれない。太陽の黒点活動のせいかもしれない。 CO2が増えると言うことは植物にとって食料が増えると言うことだから、爆発的に今以上に草木が繁茂し、酸素が増えるという事も考えられる。ということは農作物も豊かになり,今以上の繁栄が見込まれるということになるという考え方も出来る。大体大気中には、CO2、だけではなく、酸素、ヘリウム、メタン、笑気ガス、窒素などが主に含まれている。 まちがいなく温暖化の原因がCO2か?あやしい。 気象観測衛星で三日をかけ、地球上くまなく温度観測し統計を取ると0.5度の温度上昇下降の幅しかないという観測結果もある。 今、使っているパソコンの出現各個人が所有するという事をどこの科学者が予言したかという話と同様に、これから先の温度上昇の有無なんて、過去のデーターを参照に三、四十のシナリオをもとにいっているにすぎない。当たるも八卦当たらぬも八卦である。 んな事は誰にもわからんのだ。
ゴアの*「不都合な真実」は二度見た。牽強付会で、無知の鑑賞者を引き込んでいく。何処の統計を元にどういう解釈で行ったか分からない統計で、巧みに論点をすり替える。(映画中で分かることは、日本は関係ない蚊帳の外だということ。日本は問題になってないし、世界に例がないほど貢献しているのだ。) 温暖化が起こっていないと考える専門家はいないのに、そう唱える人がいるとゴアはいう。が、そうではなくて、人的営みでCO2が増えた事で、それが温暖化を引き起しているのかどうかは疑問だと言っている学者達がいるのであって、温暖化していないとはだれもいっていない。雪山の氷の溶け方だって、「昇華(大気中に飛散)」と「融解(溶けて流れる)」の二通りの溶け方を無視して、危機を煽る。 最悪、全部的中しても人類は絶滅しても他の動物昆虫、最後にはゴキブリが生き残るといわれている。現に*チェルノブイリでは予想に反して自然の回復力によって見違える状態になっているという。 ひょっとしたら、中国人は生き残る…か? 生き残るに五千点!
*ビョルン ロンボルグ…デンマークの統計学者、世に出ている統計を元に綿密詳細無比の検証を行い、環境問題の常識に?を提示する。
*不都合な真実…アメリカ元副大統領アル・ゴアのドキュメンタリー映画。アカデミー賞受賞
*チェルノブイリ(植物のニガヨモギの意味、原子力発電事故の場合こう呼び、町としての呼称はチョルノブイリ)…ソビエト連邦(現:ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉が起こした原子力事故。放射能の値は相変わらず高いのだが、「放射能が、人間を追いはらったことで鳥に寄与している」「セシウムやストロンチウムやプルトニウムが一羽一羽のサギにどんな影響を与えようとも、放射能はサギ全体にとって人間の活動ほど悪いものではないらしい」「人の住まなくなった町や村は、科学技術のつまづきがもたらした惨状を物語る悲劇の証人だ。ところが、ニガヨモギの森の生物は生きながらえているぱかりでなく、繁栄していたのだ」駆除のために放逐した鹿も大量に繁殖し、ひまわりも繁茂している。 ここの一部のゴキブリは予想に反して、放射能に弱いらしい。
参考文献
『環境危機を煽ってはいけない』 ビョルン ロンボルグ 文藝春秋 『暴走する温暖化論』 武田邦彦 池田清彦 薬師院仁志他共著 文藝春秋 『チェルノブイリの森事故後20年の自然誌』 メアリー・マイシオ NHK出版
→2003年の今日のたん譚 花と王様
一人の消防が小さい声で言った。 「焚き火するようでしたら、電話なり、事前にお知らせください。」警察には誓約書かされたが、誓いは立てても、実行するかどうかは別だから、これからは消防署に連絡してからにする。今度は、たき火ではなく薫製すると言うことで。薫製は煙でする物だから煙は出る。燃す材料は木の葉。 この一言でずいぶん気が楽になった。まともな人も居る事が解ったからだ。
ところで、切った木の枝、葉などは以後どうするのかと聞いたら、ゴミ袋に入れてゴミとして出せという。葉っぱを袋に入れるとものすごい量になる。中でぶわっとふくらむからだ。 今、京都中の寺や神社がこれをやっている筈だ。わざわざゴミ袋に入れて、大の男が集めて、トラック使って焼却炉に運ぶ。その度トラックからはCO2が空中に飛散し、おっさんらの吐いた労働中のCO2二酸化炭素も飛散する。 家で燃すとダイオキシンが出るという。近年の研究で、ダイオキシン(ダイオキシンは種類だけでも80種位ある)は無害ではないが、人体に影響を与えるほどの物ではないと結論が出ている。 京都は昔から寺社だらけだから、枯葉や小枝の灰に害があったとしたら、とっくに古都京都は滅んでいる。大文字の送り火はどうや?。農地にも撒いてたし、外国では、焼き畑農法がある。ここで奇病発生引きも切らず何て言うニュース聞いたこと無い。(ベトナムの奇形は枯れ葉剤によるというよりも当地域に多く見られる風土病で昔から出現している) このたき火禁止で困惑している寺社の気持ちがよく分かる。
考えてみれば、リサイクルなど殆ど個人でやれる事を公でやって、返って環境を悪化させている。以前スーパーで買ったものは白いビニール袋に入れてもらって家に帰っていた。ところが、環境を考えてかどうか、自前の袋を持って買いにこいという運動がはじまった。暫く、よかれと思い実行していたが、はたとゴミを出す時の袋が無い事に気がついた。 それまではスーパーの袋に入れて捨てて事足りて居た。ところが申し合わせたように、これに入れて捨てなさいというゴミ専用の袋が売りに出され、あっという間に条例で指定の袋を使えと決まった。 捨てるだけのために作られたゴミ袋を買い、それにいれてゴミを捨てる。おまけに、経済面から言っているのか、環境面から言っているのか、再利用のため分別せいという。
もし分別しなかったら、無分別ゴミ→燃えるゴミ・燃えないゴミ分別→埋め立て地・焼却炉で済むところ、分別したら、ゴミ→リサイクル用ゴミ集荷場・燃えないゴミ・焼却ゴミ→埋め立て地・焼却炉・保管所と三方向へ向かう。 さらに保管所から再利用加工場、其処から出たゴミ→燃えるゴミ・燃えないゴミ分別→埋め立て地・焼却炉と繰り返す事になる。 リサイクルには運搬トラック、その運転手、燃料がいる。倉庫の管理費はどうする。リサイクルのための工場施設の費用は。 多大な運搬のための燃料代、倉庫代、光熱費で、エネルギーを使い、あげく全部がリサイクルされるわけではない(ビールの空き缶、蓋部分と胴体を分けなければ使えない。組成が違うため)から、一部を除いて、リサイクル工場からは、本来家庭から出たゴミなのだが、名称が変り産業廃棄物として、新たなゴミがでる。これは名こそ違へ、同じ家庭からのゴミである。 何十にも手間ひまかけて遠回りして結局は燃す。だが、リサイクルプラスチックなどは、回収してみたものの、最利用不可能だから、細かいチップにして、製鉄所で石炭の代わりに燃している。石炭を使えば、炭素キログラムあたり約五円ですむ製鉄に、平均キログラムあたり二五〇円をかけて使うような事をやっている。人間は、良い事していると思っている時程明き盲になる。 先進国と言われている、ヨーロッパのリサイクル率は数パーセント、リサイクルに五月蠅いのは世界中でドイツと日本だけ。日本の場合、危険な*循環型リサイクルである。
環境もしくは、経済面においても、*庭の枯れ葉は、自分で燃すのが、一番環境にいいのだ。焼却は、燃すまでの距離が短いほど、環境にいい。
*庭の枯れ葉…木はもともと生態系の一員で、燃やしてもCO2は炭酸同化(光合成)で元に戻るから、環境にさほどの問題はない。
*循環型リサイクル…ペットボトルをリサイクルしたらどうなるか。みんなが必ず正しく使って戻すとは限らない。中にはガソリンを入れたり、農家では溶かした農薬を入れたりしていたかも知れない。これらの未知のものが分別ゴミとしてあつめられ、リサイクルで又、ペットボトルに整形されて、出回るとする。固形のボトルに染みこんだそれら有害物質の有無を検査で見いだすのは、まだ液体なら検査できるが、固形は不可能である。簡単な洗浄は可能だが、毒物特定洗浄は不可能。 かくて、そのまま、成形再製品化される。それがまたリサイクルで集められ、例えば最初10本に一本の率で有害物質が入っていたボトルは、そのまままた新たに有害物質を含んだボトルと混ぜ合わされ、より有毒なペットボトルが誕生する。循環型リサイクルで行くとこれが無限に繰り返され、気がつくと猛毒のボトルに入った天然水を飲む羽目になるおそれがある。原因不明の病気が出てくる可能性がある。リサイクルは環境の悪化を促進する。
参考文献
「ダイオキシン情報の虚構」林俊郎 健友館 「リサイクル汚染列島」武田邦彦 青春出版 「分離の仕組み」武田邦彦 共立出版
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