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2009年04月26日(日) 「NHK(何と偏向した局)は、何を言いたいのか」まとめ



その後のNHKの放送に対し簡潔なるまとめ。井上和彦さんのインタビュー



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井上和彦・台湾取材12のポイント[桜 H21/4/25]

本当に台湾が嫌日、反日なら、二度の旅行期間中、食品市場街でも、どこでも日本語で通しても親切に対応してくれた事実、かってフランス旅行し始めた80年代後半、英語では対応してくれなかったことと比べてもNHKの放送がいかにおかしいか解る。そんなに嫌ってるのなら、敵性語を使うわけはない。
かって日本人だった台湾人には、何か熱いものを感じて涙が出そうになる。









2009年04月22日(水) NHK(何と偏向した局)は、何を言いたいのか。



 先日、台湾を取り上げた番組、NHKスペシャル番組の第一回「アジアの“一等国”JAPANデビュー」の全編を通じて、よくもまあ、映像とナレーションが乖離した放送を鉄面皮にも流せたものだと思った。とにかく最初に結論ありき「日本悪し」「台湾人は中国人(漢民族)」。よく言われるが歴史の光と影の影の部分だけを強調した番組になっていて、清から割譲後、明らかに違う日本独自の新たな領土への取り組みは、かってのヨーロッパが行った世界各地の植民地政策とは違う側面などはまったく副題にもなっていない。

台湾人少数民族を「人間動物園」として英国などで見せ物にした?
 1895年に締結された下関条約(馬關條約)で日本になってから、日本政府は統治を1945年までしている。ここでよく頭に入れておかなければならない事は、この統治中に日本は世界に先駆けて、各国が植民地運営をよくして行こうと相談し合っている時代に、パリ講和会議(1919年)で「人種差別禁止案」を出している事。そしてそれは無視に近い状態で「却下」されている。この事実は消せない。

 以下のビデオの中で、柯(か)徳三さんが後にNHKディレクターに「あんたがた(朝日新聞とNHK)は中共に呼ばれてちやほやされて貢ぎ物を持って行ったんだろう」と本音を語っている。そういう言葉を頭においてみると、確実にNHKは何らかの意図を持ってこれを作っている。

「JAPANデビュー」というふざけた言葉、なぜデビューなのかという言葉にピンとくる人は「極東」、「東南」アジアという言葉にもピンと来る。ヨーロッパ各国は昔から存在していたわけではない。フランスを除き、統一国家としてのドイツ・イタリアなどは明治の三〜五年に出来た国である。これは日本暦「皇紀」の目で見ると、近代に台頭して来た「白人種」中心の洗脳である事が解る。

 親が子供を公園に連れて行き、同環境にあるご近所さんの集まりで紹介するのを公園デビューと言うそうだが、成熟した大人(国)が、新興の若造(国)の集まりにデビューするとはいわない。
以下、NHKに出演した人々をチャンネル桜放送ワイド中、「今日の自衛隊」のキャスター、自衛隊に関しての著書もある井上和彦さんがインタビューしている。北京日本支局NHKの実態が解る。




左は美術家 児玉麻衣比さん、中央 水島チャンネル桜社長 右 「世論の会」三輪和夫さん





NHKに出演し、不本意にも都合の良い所だけを継ぎはぎされた人達にチャンネル桜が直撃インタビュー



井上和彦さん直撃インタビュー↓


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2009年04月05日(日) 天才及び天災(2/2)



                ********
…続き。

 由緒ある大阪倶楽部三階の控えの間には、日本全国主要美術館に収蔵されている有名画家、鹿子木孟朗の風景画が掛かっていたが、このくすんだ繪からは何の感銘(天才)も受けなかった。

 講演が終わって京都に帰ると、徳島の山岳会岳人クラブから、一昨年大晦日槍ヶ岳槍平で遭難死した後輩市川啓二君の追悼文の依頼の手紙が届いていた。

月刊誌「山と渓谷」先月号に、昨年正月にかけての山岳事故検証があり、同君達の遭難状況を分析していたのを読んでもなを、依然としてあの場所で雪崩が起きたと言う事実に釈然としなかったが、遡る二十数年前、もうとっくに記憶から消へ、記録だけにとどまっている京都大学山岳部22名(うち5人死亡)の同地での大人数雪崩遭難事故、小屋の雪崩直撃他、起こりえないと思われていた槍平の雪崩で、過去一度ならずあった事で再認識する事になった。ほぼ結論として出しているのは、*「泡(ホウ)状煙型雪崩」ではないかと言うものだったが、真相はやはり解らないと結んであった。

手紙を読みながら、同君が大晦日に山で亡くなったのに続き、翌年の一月初旬九日に西村さんの御長男が事故で亡くなった。去年三月、徳島でのお別れ会に出席した同じ日に、大阪での西村さんの新年互礼会に行ったなあと、不思議な縁を感じた。

 政治には妙に諦観の念があって関心が無かったが、ある時期を堺に?今まで二回だけ真剣に一票を入れたのが、西村さん(党ではなく、あくまで個人支持)だった。西村さんは学生時代に山岳部にも籍を置いたことがあって、大阪京都を、*八尾の朝吉で有名な八尾の、市議三宅博さんとさらっと歩いてしまう。演説などの時も気を付けてみれば、ビブラム底の登山靴?を履いている。
こんな政治家はいない。
かって、選挙時に自転車に乗っている「蛸」を大阪で見かけたことはあるが、選挙でもない*「ケ(褻)」の日に、大阪京都を歩いてしまうと言うのは、尋常の気力では出来ない。
 今年ある選挙。西村さんの選挙区(堺中区、西区、南区)は名前で、比例選挙区(大阪京都滋賀奈良兵庫和歌山)は、個人名は書けないので「改革クラブ」と書かなければ無効になる。
今回の選挙の次の次まで思いを馳せていて、明確に見通し、 眞に悟っている、またしてもこんな政治家はいない。落としたらあかん。
こんな事書くたん譚は
…お政治家。


*「泡(ホウ)状煙型雪崩」…新雪が固まらず降り積もり、空気と雪粒を多く含んだものが先端部分に爆風を生じさせながら、猛スピードで斜面を流れ落ちて行く。雪崩後に見られる、デブリ(フランス語「破片」痕跡)はなく、何の痕跡も残さず、被害が無ければ起こったかどうかも解らないという。

*八尾の朝吉…大映映画「悪名」シリーズが、勝 新太郎、田宮二郎のコンビで大ヒットした。原作は今東光(八尾の貧乏?寺の住職だった)実在の人物で、晩年の映像を見たことがある。朝吉の兄は市会議員だった。今でも八尾のレンタルビデオ屋には全巻揃っているという。

*「ケ(褻)」…「ハレとケ」、ハレ(晴れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、ケ(褻)はふだんの生活、「日常」









2009年03月29日(日) 天才及び天災(1/2)



 昨日、淀屋橋界隈にある大阪倶楽部に、衆議院議員の西村眞悟さんの話を聞きに行った。今年になって今引っ張りだこの航空自衛隊の田母神俊雄元大将、を大阪堺の眞悟の会が招聘したのにも出かけ(ものすごい人、開場入り口階段まで人があふれ、帰った人もいた)、年始めの新年会にも出かけたので、これはもう芸能人の「おっかけ」に似たものである。何でそうなったか。
「話がおもろい」
ただおもろいなら、ヨシモト漫才のおもろさもあるけれど、あれとは違うのである。
  優れて見事な絵画音楽建築や、文章、論に出会うと立ちすくんでしまうような戦慄が走って虜(とりこ)になってしまう性癖が昔からあって、絵画で言うと、1974年に発表された、 Franz Gertschの一枚の作品、「バーバラとギャビー」の絵葉書を見た時の衝撃がそうだった。かって見た、スペインプラド美術館のベラスケス、パリルーブルのダビンチ、オランダ近代美術館のレンブラント、ウイーン美術史美術館のフェルメール、どの作品よりもびっくりした。
 まだドイツが東西に分かれていた頃、それを西ベルリンのナショナルギャラリーに確かめに行った。どうやったらこんな写真としか思えない作画が出来るのかひと目本物を見たいと思ったからだ。当時西ベルリンは陸の孤島のようで、米英仏ソ4ヵ国のベルリン占領地と言う事になっていた。西ベルリンに向かう途中列車は、ある区間窓のブラインドを下ろせと言われた記憶がある。

 そこまで苦労して行ったナショナルギャラリーはスト祝日などが重なり開いていず、一週間近くただ待った。歴史的建造物に弾痕残る公園に居ても、どん詰まりの落書きだらけの「壁」近くに行っても、頭の中はその繪の事で一杯で観光する気にもなれなかった。

 ようやく開いたと聞き、勇んでその展示室に馳せ参じたらなんと!!、海外貸し出し中の張り紙…。全身の力が抜けて頭から血の気が引いてくらくらし、思わず天を仰いだ。
結局その日から現在に至るも、このオリジナルには縁がなく見る機会がないまま来ている。その後、年を経て此の天才画家の超具象は行き着くところまで行ってしまったのか、抽象画家に転じたと聞いた。此の画家の作品が無くても、今の自分の作風に向かった事は間違いないが、自分がやりたいと漫然と思っていた事をやっている具体的な先人が同時代にいるという嬉しさがあった。



Franz Gertsch  Barbara und Gaby 1974
NATIONALGALERIE・ BERLIN


 これと似た事が、政治家にあった。政治など、アメリカの属国の後は、中国の属国になるのだから、誰がなっても同じだと諦観していた。ところが幽霊作家の多い政治家の本の中で、日本の文明起源から説く政治家が居た。気に入ると文学でも全部読まないと気が治まらない。たちまち全部読んでしまい次は、ご本人の話を聞きたくなる。そうして講演などに足を運ぶようになる。

 大体一・二回聞くと、本に書いてある方が面白い、講演は本を越えるものではないと思った講演者は結構いた。産経新聞産経抄の石井英夫、ソウル支局の黒田勝弘、ワシントン支局の古森義久、文学者では加藤周一(この人などは知識の垂れ流しに近く、学生時代は読者だったが、講演を聴きに行き途中撤収、以後亡くなるまで興味対象外)他評論家など、結構たくさんの人々の話を聞きに行ったが徐々に行かなくなった.本を読んだ方が充実していると悟ったからだ。
 
 西村さんの報告会・講演はとにかくおもろいのだ(生きてきかた?も面白いが)。至極真っ当な事を言っているのに世間の一部ボンクラは極右だとか、右翼だとかで片付けるが、世界的視野に立つと、いっそバランスに翔んだ考え方をしていると感じる。その上に洞察に翔んで、毎回面白い.はっとする考えの道筋(日本と台湾の関係と英国とデンマークの関係の近似性など)がある。で、何を長々書いているかと言うと、政治の世界での「天才」だと思うからである。

続く…。










2009年03月25日(水) 撤収…。



 去年の暮れ、福田恆存原作の劇団四季「解ってたまるか」を観劇した。最初から強い違和感があり、前半を終へ休憩時間を待って京都劇場から撤収、あっさり帰(けえ)った。内容以前の事で、この原作が出来た時代に、既に憲法九条をチンケなものとして茶にしている福田恆存のすごさは伝わったが、それ以外は改めて西洋演劇の不思議を感じてしまった。
 例えば、取調室のシーンで、滑舌が、おばちゃん合唱団みたいに発声を妙にはっきり意識して喋るのがいるかと思えば、なぜかここに二十人近くもの刑事が出演し、その大半は無言で主要役者の後ろにおっ立っている。
さらに狭い舞台にあれやこれや舞台道具がしつらえてある。カウチや背景を使わなければ芝居が出来ないのだろうか。遠近感を出すためだろうか、壁が極端にデフォルメされ歪んでいるので、最初SF劇かと思ったくらいだった。

 日頃、狂言を見慣れている目から見ると、もう情報過多で疲れてしまうのである。狂言には机椅子小道具は全然と言っていい程無い。わずかな職域を象徴する衣装、小道具は手に持つ如意錫杖刀などごくわずかで、酒席などでは扇がとっくりになったり盃になったりする。落語のあれと同じで、こちらで想像する。京の都も想像し歩く。「何かと言ううちに、はや五条でござる」、てなもんで舞台は京の五条となる。家並みも、武者の立派な屋敷も具体的には無いが、ある。
 喋りはもう狂言師の鍛えた腹から出る声を聞いている見物としては、劇団四季のあの発声は聞くに堪えない.ここに伝統と言うもののすごさがある。狂言師、歌舞伎役者は現代劇を演じる事が出来るが、現代劇の俳優に狂言歌舞伎は演じられない、は、肌で感じた。無理である。
 してみるに、あの異常なまでの人員動員は何か?狂言で十数人を動員する曲は、「唐相撲」(幸運にも過去二回見られた)しか思いつかない。
見ていて、はたと気が付いた。その他大勢無能役者は小道具大工他兼務しているのだろう、舞台を作る専属大工を雇うのは大変だ。しかし、木偶の坊(でくのぼう)を「役者」にしておけば彼らはプライドが保てる。喜んで舞台を作る下働きをする事もいとわないのに違いない。

 とはいえ、役者は舞台に立たなきゃ役者ではない。木偶と言えどもとにかく立たさなければならない。かくて、木偶達はずらっと主要役者の後ろに「出演」する(ヨシモトなら絵で描いて済ます)。何人かの有能な役者がこの木偶の坊達の生活費を稼いでいる。S席や SS席が何万円もするのはそういう事情からではないか。
かくて現代劇からさらに足が遠のく。

劇団四季的活路
劇団近死演技不可也延命策有只只黙可踊。
                  司馬ィ遷

(劇団の終焉は近いぞよ、演技は駄目だ。生き残る道は…、ただ黙って踊っとけ!)


→2003年の今日のたん譚









2009年03月18日(水) 悪貨は良貨を駆逐するを、身を以て知る。



 ある日突然…、空気のように使っていたTESLA日本語キーボードが壊れた。打っても頓珍漢な語がモニタに現れる。「あ」は「あ」で、「 a」、「ちゃ」は「ち」「ゃ」で「 cha」「 tya」ではないと思っているので、「かな」で打っている。これに慣れてしまうと、何でみんなローマ字で打っているのか分からなくなる。与えられたキーボード、外国様仕様のまま大人しく飼い慣らされているとしか思えない。 

そうむきにならんでもと、大半の人は思いその不便さを感じなくなるまで習得して、後は惰性で使い続けている人がほとんどだろう。
じゃあ、キーに表示されている日本文字で打てばいいではないかと思っても、今のキーボードに表示されている「かな」は四段に渡ってあり、とても指がついていかないし、覚えられるか!と、思わず口にしてしまう代物で、実用向きではない。おまけに間違いを消すのにデリートキーまでの距離は遠い。小指を右上にひゅーっと移動して消さなければならない。小さなぼっちの着いた人差し指のホームポジションから、人差し指を置いたままデリートキーを打つのは無理がある。

所が、このTESLAのニコラ配列にすると、両人差し指は、所定の位置、左 F、右 Jの位置に置いたまま、デリートキーだって、Lの右二つ横なので、小指をちょっと伸ばせば、十分届く。常に人差し指はFとJから離れることはない。表記は三段に全てある。
濁点(が・ざ など)、半濁点(ぱ・ぺ など)はキーの同時押しで一回で済む。俗に言う親指シフトを習得してしまうと、ローマ字打ち込みに戻った時、そのまどろっこしさに絶望する。
そこで、壊れた専用キーボードのメーカーに問い合わせたら、技術者勉強のため、もう五年近く経っているのに、無償で見てみたいとメールをくれたので、甘える事にした。
 ところが、以前の付属キーボードを引っ張り出してローマ字で入力を始めて呆然となった。初心者に完全に返ってしまって、全然打てない。JIS表示の日本文字は、表記位置が全然違うので使えない。
で、思案投げ首の末、キーボードを改造して、ニコラシフトを使えるようにした。

こんな事に時間をかけたくなかったが、仕方ない、何時修理出来てくるか分からないし、果たして修理できるものかどうかも分からないキーボードを待っていられない。必ずしも、最良のものが生き残るとは限らないことは、ビデオデッキの方式、コンピュータのOSなどを見ても分かるように、この日本文字打ち込み方式もほとんど拡がらなかった。
修理に出した機種は近々再発売されるようだが、今時の相場にしては数万円という設定で高い。
で、Mac用の以前のキーボード二つからキーを取り、スペースバーを外し、そこに短い右親指用のキーを,英数キーのところにコントロールキーを左親指用に加工してキー配列を変え、取り付けた。
だから、意味もなく長いスペースキーはなくなった。
日本人用専用キーボードとちがって、これは外人様用にできているため、各キーの間の距離が微妙に違うので慣れるまでしばしの時間がかかりそうだが、とても快適に打てている。こんな感じのキーボードになった。日記がしばらくかけなかったわけはこんな訳でした。


        ↑    ↑
スペースキーは無くなり、代用左右親指キーに変えた。キーボードのかなの印字とTESLAでの位置は全然違うが、ブラインドタッチが出来るので、大丈夫。このキーボードを前にしたら、配列が出鱈目なので、他人はまず使用不可。


→2002年の今日のたん譚 −韓国での心得(W杯によせて)−









2009年02月18日(水) 何様なんだ



 ヒラリー(第67代米国務長官)が来た。BSニュースを 見ていたら、皇后陛下と抱き合って(ヒラリーが抱き寄せているように見える)キスまで交わしていた。見た瞬間、何て無礼な物を知らない馬鹿だと腹が立ったというより唖然としてしまった。一辺、その行為をローマ法王にして見ろ!
 世界の当たり前の常識として、神の子孫である御皇室はローマ法王の葬式には出なくて良い。神の代理人である法王には,天皇の代理人でいいからである。
我が国の天皇は、我が国の神々の子孫である。神の子孫が代理人の葬式には出かけない。位と格がそもそも違う。米国の世俗選挙で選ばれた大統領のそのまた代理人がする行為か。世界の常識と恥を知れ。
マスコミもなぜあのシーンを流したのか、例へばNHKの新入社員が、「あら、いやだぁ」と上役の肩をポンとたたいて何とも思わないそのアホ社員でも、社長には同じ事は出来ないだろう、わかりやすくいうとそう言うことだ。
信じられない光景だった。









2009年01月29日(木) 書く核・鹿鹿



 近くの動物園に、友人の子供が勤めている。二年前くらいに結構な競争率で難関を突破して入園した。お祝いを言いに動物園を訪れた時に、担当している鹿についておもしろい話を聞いた。
 当時担当していたのは朝鮮鹿で、これが動物園の中でも特に発する臭いが強く、一端暴れ出すと飼育員でも手に負えなく、人工的に設えた藪の中に自ら身を沈め、興奮が収まるまで待つしか無いくらいに気性が荒いと言うのを聞いて、何だ、朝鮮人と同じだなぁと大笑いしてしまった。
これは差別でもなんでもなく、朝鮮の特有の病気に「*火病」と言うのがあって、まさにこの鹿が持っている性質と同じである。ちゃんと認定されている「風土病」なのである。
 天才と言われている騎手の赳浴衣(たけ・ゆかた 仮名)の豪邸が、この鹿の檻の煉瓦塀一枚隔てた道路を挟んだ向かいにあって(臭いのせいかどうかつい最近引っ越したと言う話をいつも贔屓にしているタクシーの運ちゃんからきいた–3月–)、あんまりの臭さにそこから園に苦情が来ていると言っていた。
後から動物園の真横に引っ越してきて、臭いは無いだろうとまた笑って後、画学生時分、写生に来て以来の動物園見学をした。すでに三十数年動物園に来ていないことになる。小さい子供でもいれば家族で来ることもあると思うが、縁がなければ誰でもそんなものだろう。
 風の強い明け方、ゾウや何かの獣の遠吠えが我が家まで聞こえてくる。だから動物園の存在はいつも意識にはある。もし、神戸阪神クラスの地震があったら、煉瓦積みの長い塀は簡単に崩れるだろう。
その時は、猛獣どもは間違いなく我が家のある、山の方に向かってやってくる…。

 それはさておき、見て回っていて気が付いたことがあった。ここの動物達(他の動物園も)は、人間と同じか、かなりそれに近い環境で過ごした結果、自然界では見られない事が起こっている。
動物界に老人?がいるのである。普通、自然界の動物は、例えば、チーターは時速六十キロで走る縞馬を捕捉するのに、それ以上の速度で走らないと捕捉出来ない。

高い木ノ上から狙いをつけて飛びかかるにしても、老齢で歯が欠けたりしていると、致命傷を与えられず、結果餓死に至る。だから自然界に長老は存在しない(亀などの例外は除)。自然の動物には病気がないと言うが、なに、ほどよい内に死んでしまうのでかかる暇がない。
 こうして、その群れは常に野生本能に満ちた強いオスが統治する。ところが平和ぼけした動物園では戦う事、食料調達することなく過ごせてしまう結果、長寿の動物たちが存在する。
 今の日本は世界に冠たる長寿の国である。動物園の動物を見て思ったことは、長寿者が多く存在する国は、それだけ野生本能が失せているのではないか(平均寿命、日本1位、177カ国中、米国・韓国29位、中国68位 UNOP.人間開発報告書2007/2008)。

野生とは「戦い」である。
 多分、世界一の長寿国は、世界一戦闘(精神面でも)能力に欠けた国になり果ててしまっているのではないかと言う思いがしている。一般人が徴兵にて戦地に行った時、白兵戦なんかは端から駄目だろう。子供が少なく爺婆が元気な国を若い兵隊が守る。婆さんは化粧をし、胸元の開いた服を着て、動物界ではあり得ない年取っても色気を振りまく行動をしている。
こういう事が日常茶飯の我が国を守るのは出来るだけ兵を動かさずに守る「核」しかないのではないか。

*火病…朝鮮特有の精神疾患の一つ。朝鮮では鬱火病ともいう。鬱火病の鬱は鬱病とは関係ない。若者の火病の初期症状として、強い怒りと共に八つ当たりの行動を伴う。アメリカ合衆国の精神科協会において、1996年に文化結合症候群の一つとして登録された。




→2007年の今日のたん譚










2009年01月01日(木) 謹賀新年








丑(うし)の声 臘(ろう= 晦日、12月)を送り、嘉辰(良き日)に入る
比叡山に祥雲、暁色新たなり
まづ、屠蘇を哺(飲みほ)し、旭日を迎へ
君に献ず多幸一陽の春を。


ささ、一献。

健康に悪い高コレステロールの
数の子醤油漬け
鯛の子はぜ煮
屠蘇 [酒 真澄 純米吟醸(信州)+屠蘇散]










→2008年の今日のたん譚
→2007年の今日のたん譚
→2005年の今日のたん譚
→2004年の今日のたん譚
→2003年の今日のたん譚
→2002年の今日のたん譚










2008年12月31日(水) 大晦日(市川啓二君追悼)−−



 例年のごとく蕎麦を打つ。ことしの蕎麦粉は、蕎麦屋の主人より分けてもらった蕎麦粉で打った。去年のこの日、午前零時近く高校時代の山岳部後輩が槍ヶ岳槍平にて雪崩遭難、亡くなった。除夜の鐘を聞きつつ、手を合わせた。酒は、弔いの意味も込めて、インドのシャンペン、SURA Brut Methode Champenoise (Nashilk Vintners)で。

市川啓二君の思ひ出

・未稿(書いている途中です。丁寧に書きたいと思うので遅れます。)




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