■日々コレ精進ナリ■

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ニュージーランド旅行記、合計180KB。
それを全部PCに打ちこんだおばかさんの戯れ言。
その一覧はトップページにあり。

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2003年08月17日(日) 盆休みだってのに

結局この一週間は半分仕事でした。大変でした。
なんか大雨やらでキャンセルが相次ぎ、儲けが減る減る。

このメチャクチャな盆休み、どこが一番儲かったんでしょうか。

俺が思うに、『パチンコ屋』ではないかと思いますが…。
世の大人たちは何をやっているんでしょうか。

最近俺はといえば友達付き合いが疎遠になってきてて
徐々に友達なくなってきてます。ワハハ(笑い事じゃない)。

こんな性格がイヤです。



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P.S.18きっぷ旅日記はもうしばらくお待ちを。
   こうして徐々に課題がたまっていく…。


2003年08月10日(日) 休みだけど休めてない

なんか休日をとっても心から休めない自分がいる。

そして
「なんで俺は生きてるんだろう」と思う。
何かしてないと落ち着かなくなっちゃったのだろうか。

あぁ、一番なりたくなかった大人の姿が今ここにある。
やってられないわ。

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2003年07月31日(木) いつのまにやら終了

さて、日記を更新していない間、
俺は27日から30日まで青春18きっぷ旅行を済ませてきました。
今週末には更新したいところだけど果たしてそんな余裕があるかどうか。

今回の旅のキーワード。

睡眠・風呂・女子高生・無人・タッチ。

更新をお楽しみに。(してる人はいるのだろうか)


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2003年07月30日(水) 津山線〜姫新線〜智頭急行〜大阪へ


     倉敷09:08−−09:22岡山09:39−−10:46誕生寺11:15−−
−−11:36津山12:28−−13:25佐用13:57−−14:28上 郡14:41−−
−−15:13姫路15:17−−16:14大阪


 昨日とは、うって変わっていい天気になった。朝風呂を浴びて、今度こそは送迎バスに乗せてもらって倉敷駅へ向かう。最終日の行動開始だ。今回は休みが日曜を含めて4日しか取れなかった。残りの1回分は盆休みの時にでも使うことにしよう。日帰りでも行きたい所は結構あるしな。

 倉敷からは通勤列車に乗るような感覚で岡山へ。岡山からの列車はオールロングシート車。しかも日差しが強くてカーテンを閉めずにはいられない。ああせっかくの風景が。乗っている人も多いし、この列車に乗っていると次の津山で1時間半もの待ちを強いられるのでどこかで途中下車を試みる。ここでは直感で誕生寺を選ぶ。あんまり関係ないけど、今この7月下旬というのは知り合いの誕生日が集中しておるもんで。

 誕生寺で下車。他に降りる人はいなかった。駅前にある小さな雑貨店でうずまきアイスを購入。こんな小さい店でもおばあちゃんはしっかり消費税を取ってきやがった。全然関係無いだろうアンタんとこじゃ!まあ募金するみたいな感覚でしっかり105円払ってきた。ついでにボストンバッグを一時的に預かってもらう。

 その誕生寺とやらに行こうと思ったのだが、標識に「0.7km」とある。残り時間を考える、次の車出発前の遅くとも5分前に到着しておかないとダメだとすると、20分しか猶予が無い。さすがに1.4kmを20分では無理だと思い、そこらへんをただボーッと歩き回ることにした。しかし人っ子一人いない。田んぼで働いてるオッチャンを眺めながら時間が過ぎていった。

 次の列車に乗り、津山には11:36到着。次の乗り継ぎまではあと50分近くある。そこで見つけた観光局の『レンタサイクル』の文字。「よし、津山をチャリンコで走ってやろう!」──冷静になって俺の行動を綴っているとホントただのバカである。ここは中国山地。坂道の多いような場所だってことは誰にだって想像できたであろうに。そしてたった50分で何が出来る?出来たことはといえば細い路地を進んでいくことのみで観光地にはほとんど行かず。せめてB'z稲葉浩志の生家くらい見ておけばよかった。

 そして次は佐用へ。西勝間田あたりで横を平行してゆく高速道路を見ると、遮音壁なんかがほとんどない。もっとも作る必要はそれほどないんだけど、なんというかこう、本当に高速道路ってひつようなのかな、って思う。他の所でも思ったんだけど、列車っていう技術がこれだけありながら全然使われていないっていうのは本当に勿体無いなと感じずにはいられない。自動車のほうが確かに機転が利くし便利なんだろうけど、一人一台っていうのは間違ってると思うなあ。俺が自動車購入に至れないのはそういうところに理由があるのかもしれない(ただのケチだろとか言うな)。

 美作土居から上月にかけての10分間、山の中にムリヤリ線路を引きましたよ、っていう感じの場所を通り過ぎていく。トンネル続きだし、伸びてきた草木は窓にカラカラ当たってくるし…個人的にはこういう所にもトロッコ列車を走らせて欲しいと思うが、どうなんだろうか?需要がないかな。

 佐用からは18きっぷ旅初、JR線以外での乗車だ。厳密に言えば高知(土佐くろしお鉄道)の若井−窪川間があるけどアレは通らざるを得ない形なので除外。今回は意図的にJR以外に行くのである。上郡行きの智頭急行線だ。しかしこの路線は特急とのすれ違いが結構あるらしく、普通列車はそれほど多くない。俺が乗った列車には、苔縄−上郡の何も無い駅間で10分停車を余儀なくされた。おい…ワレコラーワシは別料金払って時間遅くなるのも考えてこれに乗ったんやぞー、そやのになんじゃこの仕打ちはー!キシャー!!

 と、キレてしまいました(心の中で)。さあずいぶん遠回りをしたもんだ。岡山から上郡なんて50分あれば着いちゃうってのに、いろいろ行ってたら5時間もかかっちゃいました。

 あとは大阪に戻るのみ。それにしても姫路から大阪の間って速くなったなあ。尼崎のホームでぎっしりと時間が詰まった時刻表を見て、田舎のそれに思いを馳せてみた。よくこれだけの本数を計画出来るもんだな…と。

<終>


今回の反省点

 3年ぶりの18きっぷ旅、今までの自分の反省を生かすために行ったのかもしれませんね。遅くとも20時までには目的地にたどり着く。無理はしない。けど何が不満かといえばやっぱり『時間』!社会人になってしまって、余裕のある時間っていうのは本当になくなってしまったのは本当に悔しい。5日間出来なかったというのが一番の不満ですな、これは全然反省じゃないか。ま、大満足の旅だった、ということです。

 それにしても俺、車の中でじゃがりこ食い過ぎ。


2003年07月29日(火) 芸備線〜伯備線〜(&プラスアルファ)


     三次10:03−−11:15備後落合11:30−−12:14東城13:08−−
−−13:44新見14:06−−14:40備中高梁15:03−−15:36倉敷17:11−−
−−17:24岡山17:41−−18:10児島  (児島からバスで金浜まで約20分)


 朝起きると予報通り外は雨。7:00ごろ出発の便はやめにして、次の便で出ることにした。しかし次の便というのは10時台…コラ!朝のラッシュだとかそんなのはねーのかよ!うらやましい!そんなわけで9時くらいまでボーッとして、9時半に開いていたスーパーでおやつを買って、10:03発の列車で三次を離れた。

 三次−新見間は国道沿いを並行する。そしてそれ以外にもやたら目につくもの、それが『ポプラ』だ。中国地方に住む人には説明不要だが、一応言っておくとコンビニだ。ただ普通のコンビニとはワケが違う。当たり前のように弁当が売られているのだが、ごはん部分が空なのである。レジに炊飯器が置いてあって、そこで初めてごはんをよそってくれるのだ。俺はこのシステムに一発で惹かれた。ポプラを初めて見たのは、自動車免許を取るために鳥取へ合宿に行った時。未だに俺はポプラ=弁当屋なんだよなあ。弁当システムはどこの店でもやっているのかどうかは知らないし、もしかしたらもうそのサービスは止めてしまってるかもしれない。メシが欲しい時にポプラと出会ってないからその後を知らないんだよな。

 途中、備後庄原に停車する。庄原といえば俺が大学受験した広島県立大の最寄り駅だ。もっとも最寄りといったところでメチャ遠いのだが(そもそも列車使わないしね)。大学はかなりイイところらしいのだが物凄い田舎である。当時はちょっと騙された感があった。受験地は広島市内だったし。でも、俺がもしここの大学に受かっていたら人生だいぶ変わってたんじゃないかな…と思う。ずっと都心部にいたから「田舎に行きたい」と思うわけで、そうすると学生時代の、そして今日の18きっぷ旅行もしていなかったかも。人生って不思議だね(ってこんな所で語ってどうする)。

 備後庄原駅から高駅に向かう間は、かなりの徐行運転。そこでのどかな風景とはまったく似合わないものを発見。道路の橋脚だ。大きさからして、高速道路か何かだろうか。しかしまあこんな所に道路を延ばしてどうすんだよ、と本当に思う。道路を作って地域活性化だとかヌカすけど、道だけ作っても誰も来ねえよ。今までに作ってしまった分でも充分すぎるくらいあるってのに。足りないのは首都圏だけだろ?

 備後西城ではほとんどの人が下車。これから終点備後落合へと向かう。残っているのは4人、恐らく全員が鉄道オタクばかりなり、か。俺は鉄道オタクじゃない!乗車オタクなんだよう!車体ナンバーとか全然わかんないんだよう!キハとかそんなやつ…(要するに中途半端なオタク)。備後落合駅は芸備線と木次線の分岐点で、全ての列車がここ止まり。引き続き俺と同じコースをたどる人はいるのだろうか?人気なのは、ここから北上して木次・松江に行くトロッコ列車なんだけどな。俺は今回時間的にキツイし次回に回せると思って行かないことにしたけど。

 備後落合は何も無い駅。ただ「今となっては」という言葉がくっついてくる。路線跡がいくつかあり、プラットフォームにも削られたような跡がある。現在では無人駅となっているが待合室に窓口の形跡もある。その窓口跡に旅ノートなるものが置いてあったので俺も書き込みしておいた。

 とにかく、東へ東へ進んでゆく。山間の道を走るこのあたりは駅と駅との間がおよそ10分。ゆったり前進していく感覚がたまらなく心地良い。乗客は俺を含めて4〜5人といった感じ。もはやこの辺りの列車が繁栄を取り戻すことはないのだろうか…。

 途中に止まる東城で約50分の待ち合わせ。駅前を歩いてみても華々しいものは特になし。駅から少し離れたところに『今岡スポーツ』という店の看板が飾ってあった。阪神タイガースの用品主体に扱っているのだろうか。駅前でひときは目立っていた新しいめの建物(とはいっても10年くらい)は、老健施設だった。しかしその建物の奥にはものすごい数の墓が。建てる場所を間違えてるんじゃないですか?あ、そうか。後処理がそうすると楽なのか。って驚くほど不謹慎で失礼しました。それにしても税金で建ててる建造物には金に糸目をつけてませんよ感が痛いくらい伝わってくるのですごくイヤだ。

 備中神代からは伯備線と合流する。新見までに布原という駅があるが、米子行きの便はここを通過するらしい。なんで…だ?一駅くらいはいいと思うのにな。確か、三江線にも長谷という駅が一部の時間普通列車でも通過してたな。ただでさえ少ない列車なのにそれすらも通過される駅ってどんなのだろう、そういうところをじっくり見ておけばよかった。

 さあ新見に到着だ。以前来たときには乗り換えの際に1時間くらい待たされたような記憶があるな。まあ今回は20分程度だからいいんだけど、昼飯を確保しようと思ったもののめぼしい店がなくて結局パン屋さんで食料を調達。新見からはいよいよ『電車』になりスピードもあがる。いつのまにか眠ってしまっていた。

 備中高梁で意味のない乗り換えをして倉敷へ。今日の宿はこのあたりにある健康ランドにしようと思うが、今はまだ16時前。無料送迎バスが17時ちょうどに来るまで待たないといけないので駅周辺をうろつく。本屋で岡山周辺の情報雑誌を見たり、『「へぇ」の本』を見たり(それをただの立ち読みという)。

 送迎バスが来る時間帯になり、駅前で待っているのだがバスが来ない…おかしい。時計を見ると17:05。ふと向こう側にある目をやるとそこを通り過ぎるバスの姿があった。なーんだ、遅れて来やがったなと思って待っているとバスはあさっての方向へ。・・・!?待ち場所間違えターン;y=ー( ゚д゚)・∵. などと2ちゃんねる用語まで使い出す始末。俺が立っていたのはビルの角で、待合場所はその90度隔てた場所にあったのだ。

 行ってしまったバスは叫んだって戻って来ないので、なんとかして行かなくては。確かに他にも健康ランドはあるらしいのだけど、情報不足だし確か岡山から結構離れてたように思う。どうも俺が行こうとしてたところは児島が最寄りの駅らしいのでそこへ行く。後から考えると、倉敷からバスに乗って行ったほうがバス代はかかるものの時間はかからなかったようだ。

 岡山を経由してマリンライナーで児島へ。予定外のバス乗車で20分ほどかけて最寄りのバス停へ。しかし今日は一日中大雨。目的地までのたかだか100mぐらいが一苦労、びしょ濡れで到着した。全く自分のミスとはいえ、バス代340円も払ってずぶ濡れになってアホじゃないかと。

 ここ、瀬戸大橋スパリゾートはかなりくつろげる場所で、フロアも広く風呂の数も多め、プールまで置かれていた。風呂からあがるとマンガがたくさん置かれている場所を発見し、んでふと目についたタッチ(byあだち充)が気になった。以前まんが喫茶で読んだものの最後までいけなかったので後半(19巻以降)をひたすら読んだ。そしてびっくらこいた。上杉和也が交通事故で死んだという日が7月29日だったという設定。んで今日は7月29日。ワーきしょくわる!!そんな偶然もありつつ最終話まで見て寝る。


2003年07月28日(月) 山陰本線〜三江線


     小倉06:22−−08:45長門市09:06−−10:55益田11:08−−
−−11:56浜田12:13−−12:37江 津12:57−−14:24粕淵16:10−−
−−17:33三次


 今年の旅、目的地としては山陰地方と中国山地。山陰本線を経由していくので下関で降りれば済む話なのだが、時間的な都合と始発駅を考えて、小倉まで行くことにした。小倉到着が午前6時。朝には牛乳が飲みたかったのだけれど、まだ売店が開いていない。仕方が無いのでコーヒー飲料(カフェオレ)で我慢。6:22に電車が発つ頃、ようやくシャッターが開くくらいだった。

 山陰本線を進んで行く。今回は使い捨てカメラを持ってきたのでいろいろと写真を撮ろうと思う。んで早速「吉見駅」で地元の中学生と思われる女の子2人が、駅で咲いているあじさいの花に水をやっているのが見えた。なんかすごく微笑ましくて、写真を撮ろうと思ったものの、まだカメラの封を切ってなかったのでシャッターチャンスを逃してしまった。無念。

 今年はどうやらJR全体が手を組んで「山陰デスティネーション」という、観光に重点を置いたキャンペーンを行っているようで、心なしか同じような行程を辿っている人が多いような…そんな気がする。多いとはいっても、座席が全部埋まるほど人がいるわけではない。海沿いを進んでいったり山間を進んでいったり。変わっていく景色はなかなか面白い。それが目的で電車旅をしているようなもんだけど。

 実は未だに行くコースを決めていない。下関から北上することは決めていたけれど、そこから先の2つの選択肢を決めかねているのだ。一つは松江までひたすら山陰本線を乗り継ぎ、翌日トロッコ列車で中国山地を駆ける。もう一つは途中の江津から中国山地に向かって三次(広島県)まで行く、このどちらか。明日の宿を倉敷(岡山県)だと考えたらどちらでもよいのだが。

 長門市駅には8:45到着。駅弁でも買おうかと思ったがそれらしいものは売っていない。ごはんが食べられないのは残念だ。ここから次の列車を待つが、駅に設置されている時刻表を見ると次の列車が「トイレなしワンマンカー」という説明がある。駅のトイレで済ませてから電車が来るのを待つ。…オールロングシート車だ。まあいいや、こういう列車も普段は乗ることが出来ないし。

 今年は3年ぶりの電車旅行。昨年はニュージーランドを5ヶ月かけてバスで一周したのもあって、どうもそれと見比べてしまう傾向がある今年。日本では田舎だ田舎だと言われるような場所でも、たいてい民家はそれなりの数が建っている。もっとも列車が運行されている時点で人が住む環境はあるんだろうけど、やはり日本は人が住みすぎなのだろうか。それとも逆にニュージーランドに人が少なすぎるのか?

 長門市発益田行きの列車は、15人くらいの人数で減ったり増えたりの繰り返し。途中の三見駅で萩市の中学生と思われる野球部の男の子たちがぞろぞろと入ってきて、一気に座席がいっぱいになった。野球部の試合みたいだけど、こういう場合はワゴン車なんかを何台か乗合していくもんだろうと思っていたのでちょっと意外だった。

 益田−浜田(なんかどこかのお笑いコンビみたいだな)間は少し新しめの木目調の内装で、ワンマン形態だけど2両編成。こういう場合、いつも先頭車両(1両目)がいいか後部車両(2両目)がいいか迷ってしまう。通常ワンマンカーというのは後乗り前降りという形をとる。一般的なバスと同じ感覚ですな。それが2両編成になると、1両目の後部扉から乗ることになり、2両目は大きい駅以外ではどの扉も開かない。すなわち。2両目は扉が開かない分、人の変化が少ないのでのんびり落ち着くことが出来る。その反面、地元の人たちの会話を聞くことが出来ない。今回この区間の1時間はゆっくり休もうと思ったので後ろ側に陣取った。けれどどうもこの作戦は失敗だったらしい。前の車両にはたーくさんの女子高生がぁぁぁーーウギャーーー(お前8年も9年も年が離れてること自覚しろよ)

 浜田では昼飯とおやつ(じゃがりこ)を調達。江津行きの車内で、ずっと同じ車に乗っていた女の人に声をかけてみる。向こうも気になってはいたらしい。彼女はここから米子方面へ向かい、そのまま京都方面まで帰るそうだ。ちょっと弾んだ話の一つに、他にも同じように列車を乗り継いでいた人、ということで不思議な服装をした30代くらいの人…股下でカットしてあるいわゆる「半ズボン」を履いていたのだ。なんでその人は半ズボンだったんだろうと勝手にゲラゲラ笑ってた。「お前はなんでそんな恰好なんだ?」と問い質してみたかったな。

 これから先の方向を決めないまま、結局江津までたどり着いてしまった。…トロッコ列車のほう(木次線)はまた特急乗り継ぎででも行けると思ったので今回はキャンセル。江津から南へ向かうことに決定する。江津−三次間を走るこの路線は三江(さんこう)線というらしい。時刻表では読みまで載っていなかったので三江(みえ)線だと思い込んでいた。ここから中国山地へ向けて一直線!…とはいかず、かなりいろいろ回り道をして3時間ほど乗り継いで向かうのだ。いつも通りワンマン1両編成で、乗っている人は常に一定という感じがする。山陰本線を乗り継いできてた他の人たちはどうやら米子方面へ向かったようで、知らない顔ぶればかりだった。

 途中(駅はわからんけど)乗り込んで来た女子高生5人くらいが、俺の座った真ん前で話をしていた。なんかその様子がとてもおもしろかったので、写真を撮らせてもらった(もちろん許可済)。そのうち一人が「こりゃ掘り出しモンじゃねえか?」と思えるようなかわいい子がいたので写真を撮ったのは言うまでもない。

 12時台に江津を出発したこの列車は途中の浜原まで。なんとこの江津−三次の区間を一本の列車で通るのは、江津を14:49に出る便が始発(!)。そして江津16:25発が最終便(!!)。後から来る“始発便”で三次まで向かう必要があるので、どこかで時間つぶしのため2時間くらい待つことになる。途中下車の場所でかなり迷ってしまった。ある程度栄えている国道沿いにある駅のほうがいいのか、それとも全く何もないであろうと思えるような駅で降りたほうがいいのか…。何もないような駅だったら30分〜1時間もあれば一通り満足できると思うので、国道沿いの駅で降りる。終着駅浜原の手前、粕淵(かすぶち)というところだ。

 粕淵駅を降りると何やら事務所があって(観光局とかそんなのではない)、そこで重いボストンバッグを預かってもらった。決して預かり場所とかそういう所ではなかったけど、イヤな顔もせず預かってくれたので本当にありがとうございます。この「粕淵」下車、選択として正しかったのかどうか…それは自分でもよくわからない。でも自分では満足している。特別見るような場所はなかったけど、ちょっと高台にある神社でのんびりしたり、道端で遊ぶ子供たちを見たりして、もし自分がこういう場所で生活したらどんなふうになるんだろう、と想像しながら歩いているのが楽しかった。『観光地』は極力避けたかったんでね。2時間ほど歩いて、駅を出る前に事務所に預けてあったボストンバッグを返してもらうとき、別の従業員の人が親切にも島根県の色々な観光パンフレットをくれた。…しかし、作成日付が平成10年。って5年前の資料かよ!しかもこれから島根県を離れるっていうのに…。古くてもよかったから、もっと早くもらいたかった。

 粕淵から列車を乗り継ぐと、歩き続けたせいか疲れてすぐに眠ってしまった。目覚めると宇都井駅に止まっているところだった。うっかりしていた。この宇都井駅、地上からビルの5階相当の高さにプラットフォームがあるような場所なのだ。確かにかなり高い場所にあるというのは確認できたけど、べらぼうに高いという階段は見られなかった。外は雨が降り始めている。よく考えたら、俺の計画した行程というのは基本的に雨が降らない前提のもの。雨の中歩くのは避けたいものだ。よく粕淵で天気がもってくれたもんだ。もし雨だったら…まあ考えるのはよそう。

 そういえば、この利用者の非常に少ない三江線に廃止の動きはないのだろうか。もちろん廃止してほしくはないけど、特急・急行も走ってないし、普通列車ですら日に4本だ。以前訪れたことのある四国の予土(よど)線では存続運動が至るところで見られたけど、ここではそういう掲示が見当たらない。今の所は安泰なのだろうか?赤字路線なのは疑いの余地無しだが。

 ひたすら江の川(江川)沿いを走る。川べりを飛ぶ鳥たちが多く見られる。中にはワシのような大きなものもいる。それらが滑空(というのか?羽ばたかずに水平に飛んでいる)状態になって、列車と並行して飛んでいる姿を見るとなんともいえない気分になれる。人間誰しも「鳥になれたら」と思ったことがあると思う。そして横を飛んでいる鳥…、本当に翼があったら…。──凶悪犯罪続出だろうか、今ならば。

 そうして17:33、三次に到着。中国地方の内陸部としては比較的栄えているように思う。バスがかなりの量走っている。ここで今日は宿をとることにする。このまま広島まで突っ走ってしまってもよかったのだけれど、20時過ぎの到着だし、粕淵での歩きでかなり疲れたのでやはりここで終了。近くのビジネスホテルのシングルルームを確保する。テレビで天気予報を見ると、しっかり三次の地名が載っている。そんな場所なのかここは!明日は一日中雨、か…。どうしようかなこれからの予定。

 とりあえず近くのスーパーマーケットで食事を買う。お、寿司が閉店前で半額になってる、いただきー。小松菜の和え物も半額だー。ってただの「かしこい主婦」になってるな俺。ホテルに戻って風呂と食事を済ませると、猛烈な眠気に襲われ、20:30ごろには眠りにおちてしまった。旅の疲れだけでなく仕事の疲れが重なってエライことになってたみたいだ。


2003年07月27日(日) 1日目 大阪から九州へ

  木津11:33−−12:13大阪−−尼崎

  尼崎21:35−−21:42大阪22:08−(ムーンライト九州)−翌06:10小倉


 2003年夏、3年ぶりに電車旅が出来るとあって、6月初頭くらいから計画を始めた。まあ久々といっても間の2年はニュージーランドへのワーキングホリデーを計画して行動していたから、ただ単にやる余裕が無かっただけ、とも言えるけど。ここ最近は毎年7・8月には何かと旅の計画に携わってるな。

 過去3回(98年・99年・2000年)、ひたすら普通電車のみで旅をしたけど手付かずの場所があった。「島根県」である。今回はそこを制覇してしまおうという魂胆だ。細かいことを言うとまだまだ行ってない場所は多いけど、一番わかりやすいのが島根県だったということ。当初は関東方面へ行く計画もあったけれど結果的に3日(日曜を含めて4日)しか休みが取れなかったので西日本を選んだ次第。

 さて、今回は1日目とはいってもまずは大阪から離れて2日目早朝から行動するための布石。ムーンライト九州という夜行快速列車で行くので、寝不足になってしまうのは必至。それゆえ、早い時間から仮眠をとっておきたかった。そういうことが出来る場所…そう、健康ランドである。

 近場で一番適当だったのが尼崎駅前のあま湯ハウス。環状線の新今宮駅前にあるスパワールドも捨てがたかったけれど、先週の3連休で異例の入場制限がかかってたということなので、混雑の嫌いな俺はこれを避けることに。まあ値引きセールやってるらしいから人が増えるのも無理ないか。

 んで、そのあま湯ハウス。景色などは全くないけれど、くつろぐには充分だった。昼間から仮眠をとろうと思った割にはそれほど寝ることは出来なかった。14時から入場して21:30頃出るまで、3回も風呂に入ってしまった。

 大阪発の夜行列車は22:08出発予定。だいたい15分前に着いておければ充分なので出発前にじゃがりこや朝の弁当、飲み物をコンビニで調達。そしていよいよ電車がホームに到着。こ、これは…前回99年に乗ったものとはだいぶ型が古いハズレ車両ではないか!何よりリクライニングの角度がイマイチなのである。これで8時間乗車か…キツイな。同じ金払ってコレかよ!と思ってしまった。しかも、乗り込むと隣の席には既に京都駅(新大阪かも)から座っているオバチャンがいた。かなりキュウクツな夜行生活を強いられそうだ。

 ほとんど寝付けぬまま、2時間後岡山駅へ到着。ここを過ぎればあとは朝まで厚狭まで(?)5時間ノンストップである。後の座席がずっと空席だったので、これは、と思い席を移動。やはり2つ分の座席を使うとかなり余裕がある。ということで岡山より先はだいたい寝られた。


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