近くの親戚筋のお婆さんが、お亡くなりになり、ほろよいは、お葬式のお手伝いに行ってきました。
脳内出血で長期間入院しておられ、高齢でもあり、次第に衰弱されての大往生でしたので、御家族もすでに覚悟しておられ、一家の主が突然事故死してしまうような悲しみに満ち満ちたものではなく、淡々と葬儀は進行しました。
正座の苦手はほろよいは、長いお経には閉口ですが、お経が終わった後で朗読される、蓮如上人のお説教「白骨の御文(はっこつのおふみ)」には、いつも惚れ惚れいたします.
これをボイストレーニングしたお坊さんが朗読されますと、その文章のうまさ、節回しのうまさに(もちろんそのお教えの内容にも)恍惚といたします。まさに「声を出して読みたい日本の名文」といっていいでしょう。
少し長くなりますが、以下全文を御紹介いたします(ちょっとお線香臭いのは御寛容のほど)。
それ、人間の浮生(ふしょう)なる相(すがた)をつらつら観ずるに、凡(おおよ)そはかなきものは、この世の始中終(しちゅうじゅう)、幻の如くなる一期なり。 されば未だ万歳(まんざい)の人身(じんしん)を受けたりという事を聞かず。一生過ぎ易し。今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫(もとのしずく)・末の露(すえのつゆ)よりも繁しといえり。 されば、朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて、夕(ゆうべ)には白骨(はっこつ)となれる身なり。既に無常の風来りぬれば、すなわち二(ふたつ)の眼たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、六親・眷属(ろくしん・けんぞく)集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。 さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あわれというも中々おろかなり。されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、はやく後生(ごしょう)の一大事を心にかけて、阿弥陀仏(あみだぶつ)を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。
以前より出荷が少なくなりましたが、まだ「竹生嶋」の総売上の約30%を占める「金紋・本醸造」のビン詰でした。
2月、3月というと売上が落ち込む月で、1.8リットルびん1000本位詰めればいいやと思ったのですが、ろ過済みの原酒が、ちょうど最盛期のビン詰1回分あって中途半端に残すわけにもいかず、思い切って1200本詰めました(9,800リットルはいるタンクに、350リットルだけ原酒を残すわけにもいけいしねえ。いかにも酸化がすすみそうで)。
空っぽになった、ろ過済み原酒の貯蔵タンクには、洗浄後、さっそく仕込蔵からろ過済みの古酒が移動してきました。仕込蔵には、いま新酒があちこちのタンクに入っているので、西尾杜氏は1つでも空にして、新酒の調合や貯蔵に使いたい御様子です)。
そうこうしていると、すぐに3月となり、大吟醸のしぼりが、どんどん近づいてきます。香りのしっかり出た大吟醸ができればいいのですが。
2004年02月18日(水) |
壬生(みぶ)をうろうろ |
ちょっと訳ありで五条御前通の京都市立病院へ
府立医大病院や京大病院にくらべるとこじんまりとしていて、スタッフがそんなに威張っていないのがいいですね。
ちょっと耳の遠い、マダラボケっぽいお年寄りのグチにも丁寧に対応されていたドクターがいて好感がもてました。
病院の食堂で650円なりのトンカツ定食をとって、予約時間の1時15分まで小1時間あったので、病院のまわりを散歩です。
快晴で、気持ちのよい風も吹いていましたので、のんびりと碁盤の目を北へ西へと「平安京エイリアン」のようにあてもなくぶらぶら。地番表示をみると「壬生○○町」とあります。はてさて「新選組!」のみなさんが百数十年前に闊歩していたのはこのへんであるかと変に感動いたしました。
予備校時代京都に住み、予備校と下宿の間を自転車で往復しておりましたので、町並みが懐かしく感じます。
昔にくらべると、新建材の住宅や妙にひねこびたデザインの住宅が増えましたが、さすが京都、昔からの町屋も健在です。瓦の葺き方や、格子のデザインなど、よく見ると古都の趣を感じます。
厄除けの「鍾馗(しょうき)」さんの鬼瓦が屋根にかかげてある町屋も、散歩している1時間ほどの間に3軒見つけました。
他にも、「電気温泉」(いかにも感電しそうで、肩こりにはききそうなネーミング)なるネオン看板をかかげた銭湯や、「ドロボー屋」と名乗る服屋さん、生湯葉カレーなるものを供する食堂(夜は居酒屋になるらしい)などなど、ちょっぴり怪しく朗らかな昼休みの散歩でした。

3月上旬に予定している大吟醸の「首吊り絞り」に使う「斗瓶」が到着しました。
昔は、出品酒の絞りくらいしか「吊るし」は行なわなかったのですが、今では(数は限定されますが)通常の商品として市民権を得てしまいましたので、精米歩合50%の純米大吟醸でも「斗瓶取り」を取るようになりました。
今年は、特に「花嵐」の斗瓶取りに人気があり、すでに予約がはいっていますので、斗瓶を買い足さねばならなくなりました(先の日記にも書いたように、滅法脆弱な容器なので、洗浄作業のさいに少しコツンとやると簡単に割れてしまい、欠減も、たまにありますので)。
到着した「斗瓶」は何故か“made in Taiwan”製でした。業者に聞くと、現在「斗瓶」用としてでまわっているのは、台湾製とスペイン製のものらしく、今年はスペイン製のものがあまりよくなくて、台湾製しかないとのことでした。
別に台湾に偏見はありませんが、当方の購入価格ウン千円に対し、輸入業者は現地でいくらで仕入れて、儲かっていないのにお人よしで鷹揚な「造り酒屋」に売りつけているのか、また、現地では何に使っているのか興味のあるところです。
台湾については、(経済学部くずれの)ほろよいが愛読しているこのHPを通読すると愛着がますこと間違いありません(台湾日記のコーナーは特に秀逸)。
台湾がノートパソコンやパソコンのいくつかの周辺機器で、世界1位の出荷額を誇っているのを御存知でしたか?まこと日本のマスコミというのはグローバルな視野が欠けているようです。
2004年02月15日(日) |
ブルーな季節がやってくる |
きのう「にごり酒」の四合ビン1本を豪快にあけたほろよいですが、朝起きたら奥様のご機嫌がナナメ、大酔いして、奥様に何やら放言を浴びせかけた様なのですが記憶がありません。
最近酔っ払うと記憶が欠落することがあって、困ってしまいます。肝臓もお疲れ気味なのかもしれません。
もうすぐ「スギ花粉」が飛ぶようになると、ほろよいはクシャミと鼻水に悩まされ、目は充血し、けだるくやる気が失せてしまい、仕事の効率が50%ほど低下してしまいます(それでなくても仕事をしないくせに)。
そろそろアルコール漬けの生活から足を洗い、本格的に体の体質改善をしなくてはいけないようです。

大吟醸の仕込みが終わり、早くも今日から絞る準備がはじまりました。倉庫から斗瓶を持ち出し、洗浄のために水をはりました。
ごらんのように、18リットル(一升瓶10本分=一斗)はいることから、斗瓶といっています。
大吟醸の出品酒は、モロミを酒袋に入れて何十本も吊して絞ることから、俗称「首吊り」といい、酒袋からポタポタ落ちたしずくを斗瓶に集めます。
しぼりたてのお酒は、うっすらと滓がからんでいますから、斗瓶に満量入れて、冷暗所に静置しておくと1週間程度で滓が底に沈んでしまいます。これをサイフォンで滓と清酒に分離するのですが、このときに混ざらないように観察するためにガラス製でなければならないのです。
かく言うほろよいは、10年ほど前、本命の大吟醸出品酒をふとした衝撃で割ってしまって以来、斗瓶に対してトラウマを抱いています。
そもそも、肉厚が場所によっては3ミリ程度しかない脆弱な容器に虎の子の出品酒を入れることが間違っているのです(中に入っている大吟醸斗瓶取りは、末端小売価格10万円以上もするのに)。
ほかの業界で18リットル入る丈夫で安いガラス容器を使っているのを知っていたら、そっと、ほろよいまでメールでお知らせください。
2004年02月08日(日) |
浮島現象〜ほろよい淡路島へ行く |

甑倒しが終わった最初の日曜。午前8時からの蒸し取りもなく、すこしゆっくりできるかなと思ったら、マキノ町内の酒屋さんの懇親日帰り旅行がはいりました。
午前7時半にマキノを出発し、明石海峡大橋を経由して洲本温泉で温泉につかったあとで昼食会というスケジュールです。
6時起きで琵琶湖を見ると、急激な冷え込みで、琵琶湖の対岸の山々が浮いて見えます。冷えた日にはよく見られる現象ですが、今日の浮島現象はけっこうハッキリと浮いていて、早起きしてちょっと得した気分でした。
予定通りの時間にお迎えのバスがやってきて、今日参加する8名の酒販店さんを全部ひろって、一路淡路島に。会長さんのあいさつが終わるいなや、もう乾杯です。
郡内の造り酒屋さんや、酒問屋さんからいただいた、カップ酒やらビールを朝8時すぎから呑んでいるのですから、ほろよいを含めまったく始末に終えない面々です。
もうかっていた昔はもっともっとハデで、山代温泉や山中温泉に繰り出して夜通しドンチャンやっていたのですが、DSの出現や、スーパーの台頭でお酒の販売が低迷するようになってからは先細りの一途です。
郡内の他の町村の酒屋さんの会にくらべると、組織力は強く、まだまだこうした組合の行事への出席率はよいほうなのですが。
人間って奴は、忙しいから仕事に都合をつけて遊ぶ時間を作るようで、商売がヒマだと、時間に余裕はあっても遊びにはいけないもののようです。
参加しておられる酒販店さんにしても、ほろよいより年配の方ばかり。これからもお酒を中心に商売していこうと決めている後継者をお持ちの方は、誰一人おられません。
店舗をコンビニ化された方、大学を卒業した息子さんは会社勤めの方、夫婦共稼ぎの空き時間にお酒を近所に販売されている方、そんな酒販店さんばかりです。
楽しい一日でしたが、酒販業界の行く末を案じて、少し悪酔いしたほろよいです。
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