海津ほろよい日記
湖畔の酒蔵 ほろよい社長の日常

2009年06月12日(金) 困ってしまう

金紋酒カップ180ml詰、バラ5本のみ

竹生嶋 純米酒 720ml詰、 バラ3本のみ

竹生嶋 純米吟醸 1.8リットル詰、 バラ2本のみ

消費者さんからの注文と間違えてしまいそうな注文が、パラリパラリとさみだれのように、高島市外の酒販店さんから問屋さんを通じて入ってきます。

コンビニタイプの酒販店が増えているため、在庫は棚に乗るだけでいいとお考えのようですが、これはもうビジネスではありません。

これだけの注文のために、ファックスや電話を使って注文を伝達し、大のおとなが体を動かすのです。まさに不経済の極み、エコ推進の時代にあっては反社会的といえましょう。

問屋さんとの関係で「好意で」これまでは対応してきましたが、相手さんはそれが当たり前だと思っている節があるようです。

他の業界であれば、相手先に無理をさせたときは、別のビジネスシーンで相手先をもうけさせるような気の使い方をするものですが、そんな仁義など持ち合わせておられないようです。

バラでいいから、何種類かまとめてケース単位の注文にするくらいの気配りはできないものでしょうか。

これからこんな注文が来たときは、一般の消費者さんと同じ価格でお売りいたしましょうか(笑)。





 



2009年06月11日(木) 海津そぞろ歩き(6)〜スキー汽船2

先日のエントリーで載せきれなかった分をご紹介。

昭和の10年ごろ、海津桟橋から出航しようとする汽船です。なかなか立派なフォルムですね。私の祖父はこんな船に乗って浜大津まで出かけたようです。



旧三羊館フォトコレクションより
撮影者:石井田勘二 写真提供:高島市教育委員会




現在の海津桟橋のようす。「昔の光いまいずこ」とはよく言ったものです。
使われなくなって50年近くたっているのですからね。しかたないのかもしれません。

スキー汽船のポスターです。先日紹介したものとはテイストが違いますが、なかなかインパクトがありますね。




これは芸術的というより、大衆的な楽しいデザインです。いずれもマキノ高原温泉のレストランに飾っています。




スキー汽船については、こんなホームページでも解説されています。館長の曽我誉旨生さんのご了解を得てリンクを張らせていただきました。

レジャーがあんまりなかった当時の、楽しい様子をうかがい知ることができます(該当する部分はココ)。

しかしなんですな、大阪の天満橋を22時に出発、京阪電車で浜大津まできて24時に出航、海津港着が早朝5時でマキノスキー場着がなんと5時30分とは!冬ならまだ真っ暗ですがな。

スキー場で15時までたっぷり滑って、16時に海津港を出航、天満橋着が21時前とはなんとも強行軍。日本人て奴は昔も今も遊びとなるとたっしゃなものです。






2009年06月10日(水) サラダパンと地酒

最近いくつかのTV番組で話題になった、つるやのサラダパンが大ブレイク、通販は4週間待ちの状態なのだそうです。

スイーツやラーメン屋さん、こだわりのお米なんかは、テレビに取り上げられるとすぐに大行列なんてえことがよくあるようですが、地酒ではあまり聞いたことがありません。

桜の名所、海津大崎のすぐそばの蔵元ということで、旅番組によくチョイ役で出してもらったり、TV番組「カンブリア宮殿」の中で滋賀県知事が「わたしの愛飲しているのは竹生嶋」とポロリと発言されたことがあったのですが、翌日から電話がジャンジャン鳴って、店の前は大行列なんてことは一度もありません(笑)。

今日も毎日放送の「ちちんプイプイ」という番組で、吉本の漫才コンビ「千鳥」が海津のまち歩きをしていったのですが、来週金曜の放送後の反応はどんなものでしょうか?

消費者さんのこの反応の差は、たぶん地酒が「気軽さに欠け」、「敷居が高い」ことによるものが大きいように思います。

ちょっとノドが渇いたから「お茶代わりにビール」をといった飲み方が日本酒ではできなくなっています。

業界人や文化人がよく主張される「日本酒は文化だ」という高尚なお題目も、なるほど正しいのでしょうが、消費者さんにとってみれば「だから何?」、日本酒を積極的に買う動機づけには到底なりえないでしょう。

巷ではあいかわらず「純米酒原理主義者」とか「日本酒うんちくオタク」、「スペックおたく」「こだわり居酒屋」が跳梁跋扈し、「日本酒を飲んでみたい、注文してみたいのだけれど何か言われそうで怖い」という、初心者にとって居心地の悪い空気が漂ってはいないでしょうか。

「はじめての人が気軽にお酒が頼める敷居の低さ」を、商品開発や売り場、消費の現場で、もっともっと工夫していかなければ、まだまだ日本酒の復権など無理な気がしてなりません。



2009年06月08日(月) 海津そぞろ歩き(5)〜スキー汽船

海津の湖岸の中ほどに残る桟橋あと。今では朽ち果てた棒杭が残るばかりですが、昭和30年代初めまでは浜大津からの定期船が行き来し、ここに接岸しておりました。

冬には京阪神のスキー客を乗せて土曜の夜に浜大津を出て、翌朝はやく海津桟橋に到着、バスでマキノスキー場に向かう「スキー汽船」が運行されておりました。

スキー汽船について調べてみると、「20世紀時刻表歴史館」というHPで詳しく紹介されておりました。館長の曽我誉旨生さんのご了解を得て、該当するページ(ココ)へリンクを張らせていただきます。

レジャーといってもあんまりなかった当時、スキーは若い方の人気を集めていたのでしょう。弊社の大切なお得意さま、浜大津の小川酒店さんによると、スキー汽船のお客さんが何本も瓶ビールをお買い上げになり、紐でくくりつけて乗船されていかれたそうです(当時は缶ビールなんぞという便利なものも販売されておりませんでした)。

最盛期は何千人ものお客さんがおいでになったらしく、マキノスキー場を運営する北牧野の住民にとって農閑期の大切な収入源だったそうです。




このようなポスター(昭和6年のもので、マキノ高原温泉“さらさ”のレストランに飾ってあります)も残っており、当時を彷彿とさせます。それにしても昭和モダニズムあふれる、いいポスタ−ですね。





2009年06月05日(金) 湖西蔵元めぐり

高島市の地酒を詰め合わせたギフト、『湖西蔵元めぐり』のセットアップ作業に行ってきました。




小売組合の役員さんと、各蔵元から1名を派遣して300セットを2時間半でセットアップ。呉越同舟状態ですが、もう何回もやっていますので手馴れたものです。

この企画は、高島市内の酒販店さんで組織されている「今津小売酒販組合」の依頼で2002年のお歳暮から始まり、以後、夏冬2回のギフトシーズンごとに販売しています。

ほろよいも当初からチラシ作成やセットアップのだんどりなど、いろいろとお手伝いさせていただいており、思い入れの強い商品なのですが、ちかごろ言い出しっぺの酒販店さんサイドのモチベーションが低下気味で、実のところちょっぴりがっかりしています。

今夏のセット内容は


吉田酒造(マキノ)/竹生嶋 純米原酒 かじや村
池本酒造(今津)/琵琶の長寿 吟醸 吟醸り(ぎんづくり)
川島酒造(新旭)/松の花 吟醸生貯蔵 花ある郷
上原酒造(新旭)/不老泉 純米吟醸
福井弥平商店(高島)/萩乃露 純米吟醸 “翠(みどり)”

各300ml詰×5本入りで3.500円(税込み)です。

吉田酒造でも友情販売いたしておりますので、ご希望の向きはご来店いただくか、メールでご注文ください(送料実費にて直送OKです)。



2009年06月03日(水) 海津そぞろ歩き(4)〜子鮎のすくい漁はじまる

6月に入り、子鮎のすくい漁がはじまりました。




写真のように漁船のへさきにすくい網を取り付け、早朝と夕方に湖面に浮き上がってくる鮎の群れを、船に組んだやぐらの上から探し、見つけるやいなやフルスロットルで近づき一網打尽にすくいとるハデな漁法です。

海津漁港の近くではまだ行なわれていませんが、1日に大津の組合に出張したおりに、北小松の漁港近くの白鬚神社の沖には数隻のすくいの船が遊弋しているのを見かけました。

今年はこれまでのところ漁獲が少ないようですが、すくい漁はどうでしょうか?




旧三羊館フォトコレクションより
撮影者:石井田勘二 写真提供:高島市教育委員会

こちらは昭和10年頃のあゆ漁のようす、船いっぱいの子鮎が圧巻です。こんなに獲れた時代があったのですねえ。



2009年06月02日(火) 繊維の東大阪

高島市商工会工業部の役員懇親会で聞いた話。だいぶ酔っ払っていたので、間違いがあるかもしれませんが、なかなかに興味ある内容です。

1)高島には撚糸、織布、縫製と川上から川下にいたる業者が集積しており、原材料から最終製品まで市内だけで一貫生産できてしまう全国でも数少ない地域である。

2)零細ながらも技術水準の高い業者が多く、かつ、納品先の業者から要求される品質もハンパではないため、全世界的な品質水準のはるか上をいっているのだが、オーバースペックになっている側面もある。

3)高島クレープといった伝統的な衣料分野だけではなく、今はやりの帆布、柔道着の生地、厚さ5ミリを超える分厚い布地が織れる業者がいたり、機械のベルトやタイヤに使う布、フィルターに使う布など工業分野への進出も果たしていてる。およそ布と名のつくものならどんなものも作れる技術集積が既にあって、まさに繊維分野での東大阪市といった観がある。

4)取引先には、丸紅、伊藤忠など名だたる商社が名を連ねている。市内業者の得意分野や技術水準はそれら商社が熟知していて、新しい商品を作る場合、商社が川上から川下へと業者をチョイスして生産してきたため、与えられた仕事がどこからきて、次はどの業者に行くのか分からなかったのだが、実は高島市内で中間製品が右に左に移動していた。

5)いまでも商社から糸を託され織り上げ、それを縫製して製品にするという「賃加工」という仕事が多い。この生産方法は、原材料を自分で仕入れる金銭的なリスクを負う必要がない半面、自分で企画し製品を作り販売していくという会社の独立性が育たない。

などなど、いろいろいいお話が聞けました。

酒宴の最後のころ、「じゃあ高島にとっての『まいど1号』はなんだろね?」なんてえ話になり、各人酔いに任せて好き勝手なアイデアが出て盛り上がった次第。

高島クレープのステテコを着たオバマさんが、ホワイトハウスの芝生でくつろぐ姿を思い浮かべた、ほろよいは不遜でありました。





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