死神博士・天本英世氏が亡くなられたことに、驚いていた矢先、 古尾谷雅人氏が自殺とのニュースが飛び込んできて、2度吃驚。 まだまだ若かったのに。他人には窺い知れない深い事情があるのでしょうが、 なんだか遣り切れない気分になるニュースです。
遣り切れないといえば、ウチの妹が密かに思いをよせていた、自称・ゲイ君に、 彼女が出来たそうです。やっぱりただの危険回避の嘘設定だったか…。
春は別れの季節。別れの形は多種多様ですが、温かい湿り気を帯びた春風は、 感傷的な気分を、否が応にも盛り上げてくれますね。せつない…。
ところで、私は常日頃から、「せつない」という言葉を、口癖のように多用 しているため、色々な人に、どんな時に一番せつないか、と聞かれますが、 「寒い日に、お腹が空いたまま、独りで冷たいベッドに横になった時」 と解答しております。 少しは「せつない」気持ちが、判っていただけましたか。
「はるうらら」を漢字変換すると、格ゲーに登場する、露出度高めの オネエチャンの名前のようですね。
今日は本当に暖かな一日でした。 ろくに日もあたらない、空気も雰囲気も澱んだ会社で、セコセコ仕事 してるのが、アホらしくなってくるような、晴れ渡った空。優しい日差し。 春が一気に近づいてきていますよ! 世界情勢は、相変わらず血生臭く不透明ですが、いつでも変わらず、万人に 平等に訪れる季節の生命力溢れる空気には、なんだか浮き浮きしますね。
そして、春になれば土筆も生えてくるのだから、 私も燃えるような恋がしたい。(将来的展望のある恋のみ有効) ↑将来的展望のない恋は、お腹イッパイ間に合ってるので。 25前後の姉妹が、侘しくも慎ましい夕食をつつきながら、 「このまま結婚も出来ずに30超えて、ずっと二人で住んでたら、寂しすぎる」 なんて、半分冗談半分本気で語ると暖かくなったとはいえ、世間の風が冷たく感じます。
なんだか湿っぽい話になってしまいましたね。 現実なんて、こんなものか…。
桜はまだだった…。 六義園に枝垂桜のライトアップを見に行きましたが、 大方の予想通り、開花はまだ。 今日は随分暖かかったし、蕾はかなり膨らんできていたので、 来週末には咲きそうですね。
六義園に足を運ぶ前に、白金台の庭園美術館へ行ってきました。 明治天皇の従兄弟にあたる朝香宮のお住まいを、そのまま美術館に。 宮様がフランスに長期滞在された縁から、当時ヨーロッパで流行していた アール・デコの様式をふんだんに取り入れた、お洒落なつくりになっています。
通常は、絵画など美術品の展示を行っているのですが、建物自体に芸術的価値が 高いため、毎年初めの展示会は、朝香宮邸展と称して、建物内部と朝香宮様所縁の 品々を公開。
昔の宮家や天皇家主催の晩餐会で、引き出物として来賓に配られた、ボンボン入れ のコレクションが、お洒落で可愛くて、お気に入り。 銀製の飾り御車や鳥篭の形などで、中には色とりどりの金平糖が入っていたそうな。
建物内装は、ライトや通気口の鉄製蓋など細部に至るまで、アール・デコ調の デザインが徹底されていて、流石に宮様のお住まいだけあって、上質な素材で 作られているので、かなり見ごたえがあります。
2階建ての1階部分は来客用の部屋が主なため、フランス人のアンリ・ラパンが 内装デザインの大半を手掛けており、かなり本格的なアール・デコ様式ですが、 2階は、宮様一家の私的な居住空間のため、基本はアール・デコでありながら、 日本的要素も取り入れた、落ち着いた造りになっていて、興味深いです。 宮様の奥様(明治天皇の妹)も、一部デザインを提案されたとか。
庭は芝生と日本庭園で、こちらも狭いながらもなかなか趣きがあっていいです。 人もそれほど多くないし、展示品も至近距離で楽しめるし。 ああいう家に住みたいなあ、と行く度に思う建物です。
2003年03月22日(土) |
今日の占いカウントダウン!★てんびん座の女の場合★ |
久々に、まったくなんの予定もない休日。 そんな日に限って、トイレが詰まった…。 管理人さんにすぐ修理してもらいましたけど。
妹は本日出社日なので、家には私独り。暇。 部屋の片づけをしようと思っていたはずなのに、 久しぶりにHP更新(と呼べるかどうか)と、ネットに 夢中になっていたら、もうこんな時間(PM23:10)。 嗚呼、何もしないまま一日が終わっていく…。
そんなこんなで、お菓子をつまんだりしながら パソコンの前にいたんですが、さすがに夕飯を作ろうかな、 と重い腰を上げたらですね、米がない。
なんだか色々なやる気が、悉く削がれた日でした。 厄日なのかしら。そんなにお腹も減ってないし、もう寝よ。
2003年03月21日(金) |
優しさは優越感の裏返し。 |
観てきました。「戦場のピアニスト」。
宣伝ポスターが、ナチス将校が脇に佇み、廃墟の中主人公がピアノを弾くという、 なんとも煩悩を擽る画面構成、しかも戦争モノで、主人公がユダヤ人で、舞台が ワルシャワで、ナチスの将校がいい人とくれば、大抵お涙頂戴の、戦争という 異常事態の中での心温まるヒューマニズムストーリーと、相場は決まっていそうな ものですが、いい意味でこちらの予想を裏切ってくれて、なかなか興味深かったです。
主人公は題名からも判るとおり、ユダヤ人のピアニストなのですが、 よくありがちな、「主人公はとてもいい人で、ピアニストとしても最高」 というような、賛辞づくしの設定ではないのですね。
彼のピアニストとしての腕前の評価は、劇中一度も、判りやすい賛辞の言葉で 語られることはありません。 だけど、重要な場面での演奏などは、そんな説明を持たずとも、観客に 大きな説得力を持って迫ってくる。
また人間的にも、いい人というよりむしろ、心の弱い他力本願な人物という ネガティブなイメージが強くて、「なんでこんなヤツを、自分を危険に曝してまで みんなが助けようとするのだろう」と、思わせてしまうような腰の引け様。
結局様々な人に助けられ、主人公は過酷な状況に置かれながらも、悪夢のような 戦争を切り抜け、生き残る訳ですが、「よかったね」と単純に涙できない。
何故、主人公の彼は生き残ったのか。何故、他の人は助からなかったのか。
個々の日頃の行いや人柄など、そんな評価で人の生死は定められるのではなく、 劇中でも語られるとおり、まさに「神の御意志」と呼ばれるような、不確定で 不平等なものに、いとも容易く翻弄される。
また、他人の救済、という、美談として語られることの多い行為の意味についても、 考えさせられます。
自分以外の人間の救済は、自分が相手よりも恵まれた環境にあり、状況的にも 心理的にも余裕がある時にのみ出来ることであって、自分が窮地に陥り、余裕が なくなった時には、差し伸ばされ一度は握った手を振りほどくことは、果たして 罪悪感を抱き、他人に責められるに値する行為なのか。
窮地に立った自分の救済を、なんの見返りもなく、「相手の良心」という、 弱者に対する絶対的な味方を振りかざして、貪欲に求める傲慢さは許されるのか。
そして状況が一変し、弱者と強者の立場が入れ替わった時、人は必ずしも 受けた恩に報いるだけの行いや、その実現への努力が出来るとは限らない。
すべての人間は、程度の差や立場の差はあれ、他人に犠牲を払わせたうえで 成り立つ存在であり、その犠牲の代償を払うことは、とても難しい。
「神様は不公平で気まぐれだ」 そんな遣る瀬無くドライな現実を、淡々とした質感で、美しい映像と音楽で 緩和させつつ描き出すような映画です。 心も温まらないし、感動の涙も流れない、でもなにかが引っかかる、そんな感じ。
2003年03月20日(木) |
卒業式だと言うけれど、なにを卒業するのだろう。 |
尾崎豊の「卒業」より、「ギザギザハートの子守唄」の3番の方が、 卒業ソングとして脳内ランキング上位に置かれる、チェッカーズファン。
昨日は映画デーの水曜日だったので、映画を見に行ってきました。 人気シリーズ、偉大なるマンネリ、映画版笑っていいとも、ハリウッド版釣り馬鹿日誌、 イギリス版男はつらいよ、とも言うべき「007」シリーズ最新版です。
ああいった、シリーズ化されている映画の「様式美」(お約束ともいう)を 敬遠していたので、予習もなく初めて見たのですが、凄いです。
抱腹絶倒、爆笑の連続。
巨額の予算で、大真面目に大馬鹿をやるということの見本のような映画です。 「それはないだろ」と思うような寒いギャグも、「なんで!?」と思うような荒唐無稽な設定も、 「やりすぎだろ!?」と感じるようなストーリー展開も、「ジェームズ・ボンド(007)だから」 という免罪符で、オールオッケー。ノープログレム。 まさに様式美の勝利。完全無欠のロケンローラー状態です。
フェンシングの先生役で出演のマドンナの、鍛え上げられた上腕二等筋が圧巻。 そして、オネエサン達の乳が、ワッサワッサと大画面で揺れる、大迫力の2時間。
個人的には、氷製の白鳥型ベッドが、ツボ。 新宿のラブホでも、なかなかお目にかかれない、素晴らしい一品。
明日は一転、「戦場のピアニスト」の鑑賞会です。 ナチの制服だ〜。ピアニストだ〜。煩悩の塊だ〜。
2003年03月19日(水) |
遠くにありて想ふもの。 |
私の生まれ故郷は、お茶と蜜柑とサッカーで有名な、静岡県清水市 なのですが、この清水市が、今年の4月に静岡市と合併してしまうそうで。
なんとなく気になって、清水市の観光協会HP http://plaza.across.or.jp/~s-kankou/> なんて見てみましたが、私が住んでいた頃と変わらない、微妙な寂びれ具合が、 なんとも郷愁の念を誘います。嗚呼…。
特に、清水達人辞典A to Z http://www.city.shimizu.shizuoka.jp/kankou/jiten/index.html は、見知った場所が多くて、こんなところまで…。と感心すること頻り。
なにしろ私の実家は、清水の隠れた夜景スポットとして有名なY山の麓(超田舎)で、 通っていた幼稚園と小学校は、日本三大松原のひとつ、三保の松原の中。 清水に一つしかない水族館は、父親の知り合いが一時期館長をしていて、 裏口から入れてもらい、水槽の上部などまで見せてもらったことも。
綺麗な水流で有名な興津川は、毎年夏に泳ぎに行ったし、日本平は地元小学校の 外せない遠足コース。ちびまる子ちゃんの作者の実家は、母親の実家のすぐ近所で、 その上、さくらももこが小学校に在学時、ウチの母親はその小学校の事務員だった。
実家から自転車で10分ほどの場所に、大変立派な藤棚があるお家があって、 花の時期になると、よく見に行っていたのですが、実はその藤は、「紅藤」といって、 珍しいピンク色の藤の花だったとか。言われてみれば、確かにピンクだった…。
それほど大きくも栄えてもいない街なので、知り合いも多いし、噂話も広がりやすくて、 人と人の繋がりが、よくも悪くも強い、けれどもこれといって大きな特長もない、 普通の田舎町ですが、改めて生まれ故郷を見つめなおすと、懐かしいあれこれが 思い出されて、なんだか里帰りしたくなりますね。
暖かくなったら、一度清水に帰ってみようかな。
駒込の六義園で、3月21日〜27日の7日間、 枝垂桜の夜間ライトアップをするそうな。是非見に行かねば。
それにしても、桜の開花にはまだ早いし、枝垂桜は染井吉野よりも 開花が遅くなかったのでは、と思って調べたところ、枝垂桜には、 通常の桜よりも開花が早いものと、遅いもの、2種類があるそうです。
六義園の桜は、江戸彼岸の園芸種だそうで、染井吉野よりも、 7〜10日開花が早いそうです。毎年見頃には凄い人出だとか。
そう言われてみれば、去年の3月下旬に京都に旅行に行った際にも、他の桜に 先駆けて、京都御苑内の近衛桜と呼ばれる、有名な糸桜が満開でした。 花を零れ落ちそうなほどつけた細い糸枝が、重たげに風に揺れる様子は、幻想的で綺麗。 京都御苑は、桃園も綺麗ですね。ぼんぼりのような丸っこい花が、可愛い。
3月のこの時期は、寒緋桜も見頃ですね。 新宿御苑に、大ぶりの寒緋桜の木が2本あって、この時期には、濃いピンクがかった 紅い花をつけていて、とても綺麗です。 まだ冷たく澄んだ空気には、染井吉野の淡い色より、キリッとした寒緋桜が似合います。
桜というと、つい染井吉野ばかりに注目しがちですが、2月下旬から4月下旬頃まで、 様々な種類の桜が、競い合うように開花時期を迎えます。 いつもとは違った趣の桜を追い求める春、というのも、なかなかいいかもしれません。
普段、新聞をほとんど読まず、社会情勢にも日本の経済状況にも さして興味を持たない私ですが、今日の朝、米英西3ヶ国首脳会談後の ブッシュ大統領・ブレア首相の会見をテレビで見て、やりきれない気持ちになりました。
戦争が始まります。
間違った方向に進んでいる国を、正しい方向に導くのだ、という大義名分も、 「制裁」という言葉で誤魔化すことも、大勢の命を犠牲にするという、確定した現実の前で、 何の意味も持ちません。
最新兵器を使った攻撃は、まるでゲーム中の出来事のような、現実感を伴わない 機械の操作一つで、たくさんの人々を、個人個人の善悪や思想に関係なく、 生命の危険に晒します。近代戦争はもはや戦いではなく、大量殺人ではないのか。
戦争が憎しみを呼び、憎しみが戦争を呼び、人種や民族や文化の差異に関係なく、 この強烈な感情から生まれる哀しい連鎖は、世界共通であり、断ち切りがたいものです。
国連という組織は、強者に都合のよい大義名分を、弱者にも押し付け納得させるための 機関ではなく、そういった逃れがたい連鎖を回避し、少しでも穏便な方法で、 相互理解をしていくためのものではないのか。
アメリカは、確かに強大な経済力と軍事力を持つ国ですが、だからこそ、 自国の傲慢なまでの利潤追求のために、絶大な影響力を恥知らずにひけらかして、 自分と違った意見を持つ国に罵声を浴びせ、声高に自分の歪んだ正当性ばかりを 主張するような、そんな我儘な子供のような真似は、許されないのではないのか。
世界一の経済・軍事大国であっても、世界はアメリカのためにあるのではない。 テレビを通して強調される、こういったアメリカの独善的な態度がとても嫌いです。
だからといって、勿論、イラクのあり方が正しいとは一概に言えません。 何故イラクは武装しなくてはいけないのか。何故アメリカへの反発がこれほどに根深いのか。 その理由を、もっとみんなが考えていかなくてはいけないような気がするのです。
長い時間をかけて形成された、一触即発の深い憎しみは、やはり長い時間をかけた お互いの話し合いや相互理解によって解消されるべきだと思います。 それなのに、イラクが話し合いのテーブルにつかない理由も、今までのアメリカの態度に 一因があるのかもしれません。
軍事制裁によって、この事態の根本的解決にはならないことは、みんなが判っています。
所詮、アメリカにしてみれば、大して自分たちに被害が及ぶことがない、却って 軍事産業によって、失速気味の国内経済が活性化し、あわよくば石油という大きな 利潤が獲得できる、勝率の高い賭けのようなものなのかもしれない。
日本は、アメリカに阿諛追従するしか能のない小国ですが、太平洋戦争で、 国内の主要都市のほとんどが焦土と化し、原爆投下によって多くの一般人の犠牲者を 出した国として、戦場となる国の悲惨さを、自国の被害などほとんど被ったことがない、 アメリカという傲慢な大国に、伝えていくことくらいはできないのでしょうか。
テレビに映される、歪んだ世界の姿に、なんだか切なくなってきます。
さっそく、新しい日記帳を探してみました。 さらにシンプルなデザイン。どんなものでしょう?
データが残っていた、昨日と一昨日の日記もあげてみました。 それにしても、自分が書いていたものとはいえ、日記が消えてしまうのって 結構ショックなものですね。しょんぼり。
2月の日記は、妹の話や童話の「The Giving Tree」の話など、 自分でも気に入ってる日記が多かったので。(それを公言するのもイヤラシイですが)
まあ気を取り直して、またコツコツ書いていきますわ。
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