■ 日々の歩み。 ■
徒然の考察・煩悩・その他いろいろ発信中。

2003年07月22日(火) 肉体大改造。

 SMAPの香取慎吾が、ダイエットしたとのスポーツニッポン報道。

 慎吾ちゃん、確かに一時期太ってるなあ、と思ってたんですが、
181センチ、88キロ、体脂肪率29.4%、ウエスト90センチ だったらしい。

 知人でほぼ同サイズの人がいますが、
それは既にアイドルと呼べない体型なのではないか、と。

 で、流石は天下の男子アイドル事務所。転んでもただでは起きない。
出版社とダイエット企画を立ち上げ、8週間で15キロ減量させたらしい。

 体重73キロ、体脂肪率10%、ウエスト79センチ。
マッスル系パーフェクトバディの完成ですな。
慎吾ちゃんは痩せて格好よくなり、自著本も売れて一石二鳥。商売上手だ。

 
 私もダイエットしよう。うん。やって不可能はないはずだ。




2003年07月19日(土) 時の運。

修学院離宮と桂離宮、参観希望通りました!

 9月の旅行で、桂離宮と修学院離宮ダブル申し込みしていたのですが、
両方とも、無事第一希望で通りました。良かった良かった。

 9月終わりは、紅葉に間がある残暑厳しい京都では、観光シーズンオフ
なので、比較的希望が通りやすいとはいえ、なにしろ土日と祝日に挟まれた
9月22日の希望は、もしかしたら駄目かなあ、と思っていたんですが。

やっぱりそんな時期の京都に敢えて行く物好きは、そうそういないらしい。

 とにかく、京都市街地を斜め横断して移動するため、参観時間と移動時間に
かなり時間がかかり、1日で上記2箇所しか廻れないという、非常に効率の
悪い計画ではあるのですが、今回の旅は、量より質 に観光の重点を
置いて、のんびり廻るつもりなので、まあ良いでしょう。


 そんな小さな喜びに打ち震えながら、今日は我が家で、第3回宝塚ビデオ上映会
午後3時上映開始、途中夕飯休憩2時間を挟んで、ビデオ4本。
見終わったら、日付変わって、午前2時半。

 さらにそこから、ガイドブック広げて、京都談義に花が咲いて、
3時間半経過。、無事夜が明けました。


 そんな或る意味優雅な、3連休初日の使い方。
連休中日は、寝たら終わりだね。



2003年07月18日(金) 夏の風物詩。

 お中元の季節ですね。

 不況と言われて久しい昨今、苦しい状況にある
弱小企業の我が社に届くお中元など、たかが知れていますが。

毎年恒例、西瓜2玉 が今年も会社に届きました。

 で、これまたいつも通り、新聞紙をオフィス机の上に盛大に広げて、入刀式。

 汁が垂れるので、老いも若きもみんな新聞紙を広げた机に集まって、
肩を寄せ合い、切り分けた西瓜に齧りつく様は、甘い蜜に群がる
カブトムシの群れのようで、傍から見たらなんだか滑稽なのでしょうが、
最近殺伐とした話題続きの会社で、みんなが和気藹々と穏やかに
一箇所に集まるのは、なんだか久しぶりのような気がして、
たまには良いモンだ、と思いました。

 会社でこの西瓜を食べると、ああ、夏が来たなあ、と実感する。
さて、来年もこの会社で西瓜を食べられるのか否か。微妙だなあ。



2003年07月17日(木) ジッチャンの名にかけて!

 ふと思い立って、横溝正史の「金田一シリーズ」
ビデオを借りようと思ったんだけど、いやはや、
知ってはいたけど、本当に色んな人が演じてるんだね。金田一。

 子供の頃から一番馴染みがあるのは、テレビシリーズとして製作されて、
何度も再放送された、古谷一行 版なので、石坂浩二 や 豊川悦司 だと、
悪くはないけど違和感があるのよね。暑苦しさが足りないというか。


 好きなのは、やっぱり人気があって何度もテレビ放映されている、
「八墓村」 「犬神家の一族」 「悪魔の手鞠唄」あたり。

 ただせっかくビデオで借りて見るんだったら、是非とも
若き日の石坂へーちゃん の金田一が見たい。

 小学生の頃、「世界まるごとハウマッチ」を毎週欠かさず見ていた私は、
穏やかな物腰、理知的な話し方、傍若無人な巨泉に「ヘーちゃん」と、
いい歳こいて「チャン」付けで呼ばれながらも一目置かれ、時に渋い思案顔で
憂いをみせる彼の姿に、大人の魅力溢れる紳士とはかくあるべき という
理想の男性像を見た気がしていたのです。

 そんな訳で、へーちゃん金田一では、「病院坂の首縊りの家」 が
一番面白そうだったのですが、あいにく貸し出し中だったので、
お楽しみは次回にとっておくことにして、今回はパス。


 結局、篠田スパイゾルゲ正浩監督、鹿賀丈史金田一の 「悪霊島」に。
初心に戻って、暑苦しさを追求してみました。

 篠田監督作品って、個人的には凄く面白い、という印象がないのですが、
キャストが結構豪華なので、それなりに期待できるか。

 今夜あたり見ようかしら。



2003年07月16日(水) 姓名判断。

 旅行の予約をした、代理店の担当者の方が、
「一法師(イッホウシ)」さん という苗字らしい。

 電話で一発では理解できずに、思わず「はっ?」と聞き返して
しまいましたよ。スンマセン。

 時々耳慣れない名前の方にお会いすると、きっとこういうふうに
聞き返されることが多くて、辟易しているんだろうなあ、と
すまなく思いながらも、聞き返してしまう。

 
 苗字は、地名に因んだものが少なくなく、同じ苗字の人が特定された
地域に集中している場合も多いですね。沖縄などが、顕著な例ですが。

 静岡だと「望月」さん、清水市は「杉山」さんが、他の地域に比べて
多い、と以前聞いたことがあります。


 ところで私はあまり自分の苗字が好きではないのですが、
女性は結婚すると苗字が変わる可能性の方が高いので、まだ見ぬ
結婚相手に、期待したいところです。

 「西園寺」とか「武者小路」とか、ちょっと強そうな苗字がいいなあ。
名前が結構古めかしい、偉そうな感じなので、苗字がそれっぽい感じだと
余計ものものしくて、格好よいと思うのだけど。



2003年07月15日(火) 窓の外には。

 会社での私の席は、いちばん窓際なのですが、
ふと窓を見たら、細い路地を挟んだ隣のビルの非常階段に、
カラスが2羽、仲良く並んで留まっておりました。


 時々、小首を傾げたり横を向く動作がシンクロしていて
なんだか可愛らしいですが、この距離で見ると、カラス、デカイね。

 凶兆なのか吉兆なのか。



2003年07月13日(日) 捩れた偶然の果てにある白夜の風景。

 人生はめぐりあいだ。
 僕は人生で一度だけ運命の人に出会ったが、はぐれてしまった。



 またまたビデオ鑑賞。スペイン映画を1本。
「アナとオットー (ANA+OTTO)」
http://www.minipara.com/movies99/ana-otto/index.shtml


 前から読んでも後ろから読んでも同じ読みになる名前の、アナとオットー。
きっかけは、オットーが教室から飛ばした紙飛行機のラブレター。
8歳の出逢いの瞬間から、重なり縺れあう偶然の連続によって、
2人の運命の歯車は、クルクルと廻る。

 アナの母親とオットーの父親が結婚し、2人は兄妹に。
少年と少女に成長した2人は、お互いに惹かれあっている。

「窓を開けて待っているわ。」
アナからオットーに渡されたメモに綴られた言葉。
2人の幼い秘密の恋は、時に危うい緊張感をもって描かれる。


 やがて、オットーの実母の死によって訪れる、運命の綻び。
アナとオットーは、繋いだ手を離してしまう。


 一度はひき裂かれながらも、再会を望む2人。
偶然はそんな2人を後押しするかのように訪れながら、
あと一歩のところで、手が届かない。

 やがて、2人は思い出の地、北極圏へ。


 「偶然」によって時に後押しされ、時に阻まれる運命。
淡々とした語り口と、映像の美しい、印象的な場面が多いせいか、
おとぎ話のような、寓話的な色合いが強く感じられる作品でした。
 
 アナとオットー、交互に切り替わる2人の視点で語る構成も
斬新さは大してありませんが、絶妙。


 救いようのないラストと、極めて温度の低く現実味の薄い
作品全体の雰囲気で、評価が真っ二つに割れそうな感じですが。

 私はこの作品、結構好きです。
幼少期と少女期のアナが可愛かったしね。



2003年07月12日(土) 青いパパイヤのかおり。

 昨日は、会社の女の子で、ベトナム料理を食べました!
最近、1週間に一度は、ベトナムかタイ料理食べてます。

 新宿御苑駅近くにある、ミュン というお店。
http://www.x-media.co.jp/gourmet/gnet/shop/L_EV_0569.shtml

 店もそれほど広くもなく、最近多くなった、お洒落な雰囲気のお店でも
ないのですが、週末夜は、予約がなくては入れないほどの盛況ぶり。
3,500円の予約コースで、メニューの中から7種類の料理が選べるシステム。

 まあ、とにかく量が多くて、どれも美味しい。
青いパパイヤのサラダ、生春巻き、鶏スープのベトナムそうめん は、
ベトナム料理の定番で、どこの店にも見られるメニューですが、特におすすめ。
奇をてらったところのない、極々家庭的な普通の味付けなのに、絶品。

 珍しくお酒を飲まない食事会だったのですが、充分満足。
ベトナム料理は、タイ料理と比べると辛味も少ないし、優しい感じの
味付けなので、日本人の舌にあうんでしょう。
パクチー嫌いだと、ちょっと料理が限定されそうですけど。



2003年07月11日(金) 眠れる被虐性。

 昨日、バーゲンで買ったサンダルを履いていたら、

見事な靴ずれが発生。

 もともと、面の皮は厚くても(誰もそんなこと聞いてない)
皮膚は薄いので、靴ずれが出来やすく、足が血に染まることも
それほど珍しくないため、靴を購入する時は特に気を使います。

 私の足の形にあって、靴ずれのでき難い型のメーカーを探して、
極力そこの靴しか買わないようにしているのですが、

バーゲンの魔力の前では、そんな理性は無力だった。

 試着段階で、「きっと靴ずれが出来るな」 と判っていながら、
安さとデザインに負けて、思わず買ってしまった…。


そんな訳で現在、両足の甲の皮膚が、直径5ミリ強の円形に
ベロっと剥けているのですが、お風呂でこの傷口にお湯が沁みると
痛いのなんのって

 
あまりの痛みに、自己暗示をかけてみる。

「痛いって思うから痛いんだ。
今、感じているこの感覚は、痛みじゃない。痛くない。」


 と言い聞かせていると、意外と我慢できるものなのよ。
約15分のお風呂タイムで、自分の眠れる被虐性を呼び起こした気分。

 なんか、この痛みを乗り越えた向こうに、凄い精神世界が待っている気が
してきました。解脱の日も、そう遠くないかも。と思ったり。



2003年07月10日(木) 愛すべき子供たち。

 学生時代、家庭教師のアルバイトを続け、短い期間ですが、
塾講師を生業としていた関係で、子供と接する機会が、
ちょっと人より多かったのですが。

 中学生の凶悪犯罪が多発し、「最近の子供論」やら
「こころの教育論」やらが、また声高に叫ばれていますが、
ちょっと偉そうに、彼らについて、語らせてください。

 短い期間ながら、子供と接する仕事をしていて
強く感じたのは、彼らが、「自分で考え、形にする」ことが、
とても苦手にしている、ということです。

 情報が豊富に溢れ、自分で考えずとも「意見を代弁してくれる何か」
氾濫しているため、受け売りの口先だけの知識は、一丁前ですが、
本当は自分がどう考えているのかを、明確にできない気がする。

 「私の好きなもの」という題材で作文を書かせれば、
「なにを書けばいいの?」と先生に聞く子が非常に多い。

お前自身のことだろ と思わず心の中で、つっこんでみたり。

「例えば飼っている犬のこととか、好きな場所とか、
なんでもいいから、好きなものを一つあげてごらん」
と言えば、

「ウチでは犬を飼ってないから判らないよ」 と言い出す子が
中1のクラスなら、1人は必ずいる。ものの例えだっつうの。

 全ての子がそうだとは思わないし、昔もそうだった、という意見も
あるでしょうが。

 ちょっと自分で考えれば、判断がつくことでも、「言われなかったこと」
「教えてもらわなかったこと」は、「知らなくて当然」
言わんばかりの、考えることを放棄したかのような、あの傲慢なまでの
受動的な姿に、なんか違和感があるんだよね。

 でも、その原因は、当然子供だけでなく、大人にもあると思うのね。


 私などは、悪いことをすれば、両親にも学校の先生にも容赦なく殴られ、
言い訳すれば、「そのくらい考えれば判るだろう」とよく怒られたものですが、
最近のお子さんたちは、随分大切に育てられているようで、
周囲の大人が、世話を焼いて様々なお膳立てし、親にも先生にも、
手を上げられるどころか、怒鳴りつけられて叱られたことも
ないような子も、時にはいるほどです。

 甘やかされることが当然で、小馬鹿にするような発言を
しても叱らない、「対等な」大人を、子供は怖がらないし、
怖いものがなければ、どんどんつけ上がるのが、彼らの悪い習性です。

 
 彼らは尊厳ある人間ですが、善悪の区別もつかないのでは、
ただの動物と同じです。悪いことをしたら、それ相応の制裁を受けるし、
自分の言動は、自分自身で責任を持たなくてはならない、ということを
教えなくてはいけません。


 そのためには、「大人」側の導くものとしての自覚も、
必要であると思います。

 「未成熟な大人」である私達と彼らの距離は非常に近く、
共感し一緒に楽しめる部分も多くありますが、それでも
子供と同一ではない、彼らを導き育てる存在として相応しいよう、
努力していかなくては。

 だからといって、上から押さえつけるだけでは、子供は
ついて来ませんが。

 なんだか、小難しい理想論になってきましたね。


 要するに、無知なくせに、生意気で大人を小馬鹿にしたような態度に、
大人気なくムカつくことも多々ありましたが、身近に接してみれば、
可愛いところもあるし、私はそういう不完全な点も含めて、理屈ではなく、
子供は愛すべき生き物だと常々感じているのです。

 その上、彼らと共にあることで、教えられることも多くあり、
自分自身の成長にも繋がっていきます。

 不愉快なことやままならないことも多いけど、共に成長していく
あの楽しさを一度でも実感したら、絶対に癖になる。

 また機会があったら、子供と接する仕事がしたい。
いつか自分の子供を育てることが出来るなら、それも大きな楽しみですね。


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