昨日の日記ネタ、白うさぎの因幡クンの、アメリカ帰りの従兄弟 ですが、 速攻、バーディーさんより反応ありましたね。ありがとう。 さすが、13年来の友。(だよね?)
いくらチャンは、ヤンキーの人魚だっけ? そういえば、アナタに借りて読んだんだったわね。ほほほ。
感受性の塊みたいな中学生の頃、目にしたり体験したものって、 絶対忘れないし、その後の人格形成に大きく影響してくるものです。 よくも悪くも、深く刻み込まれるんだよ。
かわうそ、シマリス君、油すましのスマちゃん、スガオ君、 ダウンタウンにウッチャンナンチャン、TM、アーシアン、ぼく地球。 あの時彼らに出会わなければ、 もうちょっとマトモな大人になれていたのかもしれない。
中学2年生の七夕、教室に飾ってあった笹の、 とあるクラスメイトの名前入り短冊に、
「まっちゃんのホ●が治りますように」
と書かれていたのを、懐かしく思い出しました。 彼女も立派な大人になれたのでしょうか。
うちから徒歩2分ほどの場所にある郵便局に、 今日の朝、強盗が入ったんだってさ!!
犯人はすぐ捕まって、怪我人や死人は出なかった ようなので、まあ一安心ですが、物騒な世の中ですなあ。
いつ誰に何処で殺されるか、判ったモンじゃない。 会社の近所も、なにげに物騒なことの多い場所だし、 普段生活してると全然気にしないけど、結構危険は すぐ身近にあるものなのね。
忘年会シーズンで帰りも遅くなりがちだし、 私も気をつけたいところです。
と言った先から、今日も日付が変わる直前に 徒歩で帰ってきましたよ。テリブルテリブル。
ところで、「テリブルテリブル」って台詞を聞くと、 白うさぎの因幡クンの、アメリカ帰りの従兄弟を思い出します。
…あの漫画、ものすごく好きだったんだよね。不条理系。 わかるかな、わっかんねえだろうなあ。
久々に、小説を読んでみる。小野不由美「屍鬼」
この人の小説は、少女小説の「十二国記」も読んだけど、みんなが 絶賛するほど面白くはないなあ、と思いつつも、何故か最後まで読まずには いられない、好きなのか嫌いなのか、イマイチ自分でもよく判らない。
読んでいる最中は、凄く引っかかるところがあるのに、読み終わって みると、鮮烈な印象が残らない。 確かにそこにあって、触れていたはずのものが、握った手を開いてみたら、 いつのまにかなくなっていたような。
すんごく後味が悪いんだけど、ついついまた飲んでしまう、
青汁みたいな作品だ。
「屍鬼」は、文庫で全5冊の長編ですが、「十二国記」同様、 緻密に構成された破綻のない、独自の世界観が展開されています。
とにかく話が長いのは、無理なく現実的な世界として、非日常的な構成された 世界を読者に認識させるために、この世界の「秩序」を説明し、膨大な数にのぼる さまざまなパターンの登場人物たちの背景と心理を「生きた人間」として、 丁寧に描写するせいなんですが。
丁寧に書くからこそ生まれるリアリティは判るけど、もっと短くまとめられるよね。これ。 色々な思考や状況を描きたいんだろうけど、拡散しすぎちゃってひとつひとつの 結末を追うと、結構あっけなく感じる。
あと、私はこの人の作品、大きなシリーズでは2つしか読んでないけど、 登場する人間のパターンが、たくさんあるようで、意外と少ない。
小野不由美的ステレオタイプってのがあって、確かにそれは現実にも ありがちでいながら、なかなか気づかない、人間の心の襞をうまく捉えた人物描写 なのかもしれないけど、「え、この人がこんなことするの?」という意外性が あんまりないんだよね。
それに主人公となる人物が、個人的にあまり好きじゃない。
さまざまな人が入り混じり、それまでの概念が覆されて、当然正しいと思い込んでいた 常識や善悪の判定基準が揺らいでいく状況の中で、作者の描く主人公たちは常に 客観的な視点を持ちながらも、「人とは違う自分」に悩み、疎外感と弱さを捨てられない。
「選ばれた特別な人間」でありながら、マイナス的な要素満載で、 「自ら選択する」ことを放棄したかのような言動を繰り返しながら、 結局、周囲の存在に、「自分を選んでもらう」その姿勢が、受動的な体裁を 取り繕いつつも、常に自分は安全な高みにいる、非常に自分本位なエゴイズムの塊 のような気がして、共感どころか、不愉快に感じるんだよね。私は。
また最終的に主人公が、認め受け入れてくれる拠り所を見つけちゃうあたりが、 安易な仮初の逃げ場を主人公に与えてしまっているようで、イマイチ釈然としない。
もうひとつのお約束パターンである、 「自分のエゴを自覚しつつも、納得できる結果を勝ち取るため、 手段を選ばずに、信念を持って戦う」 っつう人の方が、共感できて好きだ。
まあ、色々言いましたけど、じっくり時間をかけて緻密に練り上げた世界の秩序が、 後半で一気に崩壊していく様子は、圧巻ですよ。一読の価値あり。 絶対、あの後半のために、作者は小説書いてると思うもの。
破壊の美学ですな。
日記ぐらいしか更新されないこのサイト。 さすがに、このまま凍結させたままじゃ可哀想だし、 「旅は道づれ・奈良編」を、ここ3ヶ月くらい ちょくちょく書き溜めていたんですけど。
書けども書けども、終わらない。
さすがに書いている私でも読みにくいので、 読み直して削れる部分はガンガン削っていますが、 それでも長い。そして終わらない。
ちょっと面倒くさくなってきちゃって、ついでに日記までも 更新滞りがちですが、来年持ち越しもなんだかアレなんで、 年内にはなんとかしたいです。(前にもこんなこと言ってたな)
あいも変わらず、写真の処理が苦手なため、 文字のみ写真皆無の、デザイン的には手抜きだらけな
読者に優しくない自己満足なページ なので、
お時間あって酔狂な方は、楽しみにしていてください。 むしろ、本当に書き終わるかどうか、私が楽しみです。
2003年12月12日(金) |
君の瞳は10,000ボルト。 |
今日は、初台オペラシティにて夕食。 53階の叙々苑にて、焼肉ですよ。
53階ですから、当然大きなガラス張り窓に 広がる、輝く夜景が売りな訳でして。 窓に向かって並んだカウンター席で、肉を焼くのです。
昼間はぐずついた天候でしたが、夜になって 雲も流れていて、かなり空気も澄んでいたので、 綺麗な夜景を眺めることができました。
いやはや、なんとも贅沢な話ですな。
ただ窓の正面が、東京タワーや六本木ヒルズなど、 派手な夜景が見える位置ではなくて、中央線の方なので、 全体的に明かりの位置が低いかな。 それはそれで、光の絨毯のようで綺麗ですが。
オペラシティ内でも、クリスマスイルミネーションで ツリーやらリースやらが、あちらこちらで瞬いてまして、 こっちも綺麗でした。全体的に人の姿もまばらなので、 貸切気分もちょっとだけ味わえるし。
一足先に、クリスマス気分を満喫してみました。
この日記エディタ、有料版なんすけどね。 今日から、機能が色々新しく追加されたんです。
いままでは、フォントサイズや色変え、リンクは タグを自分で打ってたんですけど、ボタンを押すだけで できるようになったそうなんです。
こんなこと も、ほら簡単!!
…あんまり楽チンじゃないかも。
今までどおり、手作業でいきますです。 文明の進歩に追いつけず、打ちひしがれる瞬間。
2003年12月10日(水) |
テクノポリスの空の下。 |
今日は映画を観てきましたよ。 元・有頂天リーダーにして、元・ナゴムレコード社長にして、 元・劇団健康旗揚げメンバーにして、今・ナイロン100℃の 作・演出担当、KERAこと、ケラリーノ・サンドロヴィッチ 初監督作品、「1980」
まんま、1980年当時が舞台なんですけどね。 当時のニューウェイヴっつうかテクノポップっつうか、 私が憧れてやまない、キッチュでポップで、それでいて 実体がよく判らない、80年代そのままな映画でした。
映画としては、劇団出身の人だし、今、流行の感じ。 三谷幸喜やクドカンと似たような匂いで、 判らなくても笑えるけど、判る人だといっぱい笑えて、 判って笑える自分に、ちょっと優越感、みたいな 小ネタ満載で面白い、といった、アレ。
そういう意味では、同行者の言葉を一部借りるなら、 「新鮮味はまったくないけど、舞台そのままのノリ」 の映画でした。 出ていた俳優さんも、劇団の人が多かったし、 話の筋そのものよりも、出演者の強烈な個性に 因る面白さが大きいというか。
それよりは、映画の中で描かれる、80年代って 時代の風景の方が、興味深かったかも。
1980年代ってさ、77年生まれの私は 幼稚園〜小学校くらいの時期なのですよ。 静岡のド田舎で、鼻垂らして、妹と虫追っかけてた時代。
80年代のああいうカルチャーって、リアルタイムでは まったく当時の私の生活に絡んでこないし、知らない訳。
中学生になって、お約束のようにバンドとか好きになって、 ユニコーンだ電気グルーヴだと騒ぎ出して、月間カドカワで 大槻ケンヂの連載読んだり、当時流行ってた、ソニーマガジン系の 出版物を読み漁って、ちょっと毛色が違った風に、YMOとか 騒ぎ始めると、自然と暗号のような情報が入ってくるわけですよ。
ナゴムレコード、ナゴムギャル、有頂天、プラスチックス、 ばちかぶり、人生、テクノカット、スネークマンショー、 ヘンタイよいこ、ヒカシュー、矢野顕子、立花ハジメ
80年代という時代は確実に過去に変わってきていて、 後追いしているだけだから、どんなに情報を仕入れたところで、 当時の生の弾けた勢いは、体験できないわけです。
感覚的で、なんとなくのニュアンスや雰囲気に流されがちな 傾向があった(らしい)80年代は、否定的に、ちょっと恥ずかしい 少しだけ昔の話として語られることもあったけど、 宴の後で実体がなかった分、蜃気楼のような曖昧な見え方が すごくよかったのかもしれない。
今回、その時代の先端を突っ走っていた人が 昔を懐かしく振り返って鮮明に描いた世界は、 憧れていたとおりの、ちょっとおセンチな世界だったなあ。
うまく表現できないけど、今とは確実に違う、 ひとつの時代があったんだな、と実感できる映画だったような気が。
なんだか奥歯がむず痛い気がして、歯医者へ。
幸い、虫歯ではなかったのですが、 親知らずが生えているとのこと。
左上部の親知らずだけ、歯茎上まで顔を出していて、 左下部の親知らずは、顔を出していないので、 上の親知らずが、噛み合わせのない、下の歯茎を 傷つけているとか。
とりあえず、応急処置として、当たりが痛くないよう 上の親知らずを少し削ったのですが、圧迫されないと 歯はどんどんのびてくるそうな。
そんな訳で。
クリスマス前に、親知らず抜きます。
ひどい虫歯になったこともなく、乳歯の生え変わり以外、 歯を抜いたこともない私としては、経験者の方に、
「ものすごく、痛いよ」
とか言われた日には、ビビッて震え上がってしまいますよ! 歯と歯茎の痛みって、どうやって力んだら、痛みが我慢できるか判らん!!
チキンと笑うがいいさ。
2003年12月07日(日) |
或る奇婦人への嘲笑。 |
久々に、ビデオをまとめて借りてきたので、のんびり鑑賞。
まず1本目。「君に逢いたくて」 レスリー・チャンの、映画デビュー作なんだけどさ。
なにしろ、長年日本ではビデオ化されてなくて、レスリーの死後、 いきなり発掘された、25年前の映画だよ。 私なんか、やっと2足歩行できるか出来ないかって時代だ。
「中国四大古典小説のひとつ 『紅楼夢』を元にした、エロチック・ドラマ」 だよ。
若かりし日のレスリー、仕事選んでねえなあ。 とってつけたような、ロマンチックな邦題が泣かせる…。
本当に、昔のお色気香港映画ってな感じで、高尚な古典文学も なにもあったもんじゃないのさ。乳出したオネエチャンが 荒くて汚い画面の中、お笑いテイストなセクシー場面で アンアン言ってるだけで、話の筋も途切れがち。
で、問題のレスリーの役どころは、 超お馬鹿チンな、いいとこのボンボン役。
綺麗にお化粧して、綺麗な時代がかったコスプレして、 「頬紅食べさせて〜v」とかフニャフニャにやけながら、 若いオネエチャンの後追っかけまわしたり、もう私の口からは とてもじゃないが言えないような、こっ恥ずかしい台詞を 言わされている訳よ!!!あのレスリーが!!!!
まあ、共演していたどの女優さんより、レスリーがいちばん 綺麗だったので、それだけでよしとしよう。
それにしても、レスリーって、本当に歳取らないな。さすが魔物。 5年に1歳しか歳とらない、という冗談もあながち 嘘じゃなかったか…。
ついでに、もう一本。「ある貴婦人の肖像」
サムライ野郎・トムクルーズの元嫁さん、二コール・キッドマンが主演。
並み居る求婚者を退けてまで、自由を求めた19世紀の女性が、 なぜか、いちばん駄目で小悪党な男に簡単にとっ捕まって、 彼女を愛する色々な人の好意にも気づかず踏みにじり、 しかも元凶は、自分の途方もない無計画な子供じみた わがままのせいなのに、他人のせいにしてみたりして、 結局、不幸になる。
主人公の女のあまりの馬鹿っぷりと 恥知らずぶりに、見ているだけで ストレスが溜まるだけ溜まりまくって、 全然おもしろくない
という、私を不愉快にさせる最低な映画でした。
正直に言うとさ、二コール・キッドマン、あんまり好みの顔じゃ ないんだよね。眉間が狭いのと、鼻の先がちょっと丸っこいのが 田舎くさい感じがするっつうか。 でも、パッケージの写真が結構イケてたから、内容は ともかく、ビジュアルは期待してたんだけど。
なんか、田舎のおばちゃんみたいなパーマ頭だし、 「貴婦人」ってタイトルで謳ってるくらいなんで、 貴婦人のはずなんだけど、所作に品がないんだよね。
バッサバッサ雑に動くから、みっともないのなんのって。
久々に見たのに、2本とも不作。もうガックリ。
今日は会社の忘年会。 2部構成で、1部はボウリング大会で、2部が飲み会。 健康的なんだかどうなんだか、イマイチはっきりしないな。
で、5年ぶりくらいにボーリングやりましたよ!! 2ゲームやって、1ゲーム目は、なんと、139!!
いちばんやり込んでた時期でも、なかなか出なかったスコアだわ。 こりゃ、幸先いいな、うまくすれば、賞金も貰えるかも!!
なんて、欲を出したのがいけなかったのか、はたまた ただ単に、日ごろの運動不足が祟ったのか、
右太腿と尻が攣った…。
結局、2ゲーム目はボロボロ。 スタートダッシュは好調で、調子にのったところで一気に失速 という様子が、人生を象徴しているようで、なんだかプチブルーになりました。
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