知らんけど

2006年10月07日(土)

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<V6>フジが過剰演出 拾い集めたゴミを撮影用にまき直す

 人気アイドルグループV6が出演するフジテレビのバラエティー番組「Viva Viva V6」の収録で、一度拾い集めたゴミを撮影用にまき直す過剰な演出があり、地元住民の注意を受けて収録を中止していたことが7日わかった。
 フジテレビによると、収録は11月2日放送予定の罰ゲームの海岸清掃シーンで、4日に神奈川県鎌倉市の腰越海岸で行われた。事前にスタッフが海岸のゴミを広範囲から集め、撮影場所だけに散乱させた。収録開始直後、現地の人から抗議され、スタッフが謝罪して撮影を中止。撮影許可を得ていた鎌倉市にも経緯を説明したという。
 同局広報局は「演出が度を越し、海岸をきれいにする努力をしている人に不快な思いをさせてしまい申し訳ない。スタッフにも厳重注意した」と話している。問題のシーン以外は予定どおり放送する。
(毎日新聞) - 10月7日22時21分更新

--------(引用終了)--------

だからテレビはやらせだってことです。



2006年10月06日(金)

舌に口内炎ができる。
精神的にも煮詰まっていたし、
それが原因なんだろうか?

引越しで、口内炎の薬をどこに入れたか分からず、
ダンボールを片っ端から開いて探してもない。
「くそっ」と悪態つきながらもう一度探すと、
一番最初にあけたダンボールに入っていた。

スポーツクラブへ風呂目的で行き、
20分ほどぬくもって帰ってきました。
焼酎のお湯割り飲んで寝ます。



2006年09月20日(水)

AM:自宅でネット。三宮で昼食。PM:市内サイクリング。読書。ジムでランニング。



2006年09月19日(火)

AM:7時半起床。仕事。PM:仕事。20時喫茶店で読書。21時ジムでランニング。23時ホームページ更新。



2006年09月17日(日)

AM:西宮北口で朝マック。梅田の旭屋書店で専門書立ち読み。梅田で母・妹・甥っ子とお茶。PM:梅田で父合流し皆で昼食。西宮北口に戻り不動産屋へ契約書渡しにいく。図書館でアロマセラピーの本を探すが全て貸し出し中。帰宅し洗濯掃除。ブログ更新。



2006年09月16日(土)

AM:仕事。PM:西宮神社で行われた兵庫県保険医協会主催の在宅医療研究会へ。夜、漫画喫茶。



2006年09月15日(金)

熱帯魚を始めたい。水草にも興味あるし、実はクラゲはかなり興味ある。でも、海水魚は難しいと聴くし、ましてやクラゲはかなり難しいらしい。なんでも水流がなければならないとか。

とりあえず引越しをきっかけに、簡単な淡水魚から始めたいなと思う。

で、今日、職場の病院の医師で、熱帯魚のマニアがいるので、「先生、実は熱帯魚を始めようと思うんです。」って伝えたら、いきなり笑顔になってベラベラ話し始めた。

初心者ほど大きな水槽がいいとのこと。グッピーなら欲しいだけくれるとのこと。今度、飲みに行きましょう!とのこと。なんかうれしいね。同じ趣味の人が職場に居ることって。



2006年09月14日(木)

伯父の葬儀の関係で、仕事の休みが予定と変わった。にも関わらず、職員食堂の予約変更をすっかり忘れていて、今日は夕食がなかった。この職員食堂は、一食250円でたらふく食べれて、しかも栄養士さんがメニューを考えているので、とてもヘルシー。

これまで一人暮らしが長い僕は、料理は面倒だからしないし、外食は高いから食べないしで、その間を取ってコンビニ弁当や、スーパーの惣菜コーナーの弁当などが中心だった。それが今はヘルシー&エコノミック。

そんないいところばかりの職員食だったのに、今日は食べられない。そこで、その恨みを果たすべく、「今日は豪華に行くぞ!」と意気込み、寿司のスシローへ。どんな贅沢やねん。

欲しいネタを値段気にせず注文し、たらふく食べて「あ〜、腹いっぱい。」と
レジに行ったらたったの1200円。安っ!たまにはこういう小市民的な贅沢もいい。本質的には貧乏なのだけど、まあ、そこは目をつぶって。



2006年09月13日(水)

伯父の葬儀。一応、焼香もあげたし、出棺時には棺おけも持たしてもらった。
でも、涙なんて出ないし、悲しい気持ちにもならなかった。死は終わりではない。自然の法則にのっとって、土へと返る。輪廻転生。

人間が生まれ変わるのではなく、人間がこの世の構成物として、その身体を土に返し、自然のサイクルの中に還って行くこと。だから死は新たなステージへの旅立ちとも言える。悲しむ必要なんてないし、お別れする必要もない。だから僕は周りの人に合わせて、合掌し黙祷しながら心の中で笑顔でこうつぶやく。

行ってらっしゃい。
気をつけて。

葬儀。正直な気持ちを言うと、「早く帰りたい。」と思っていた。実際、どうしても外せない用事で、出棺のその後にその場を去った。なぜかホッとした。
親族をはじめとした参列者の方に、もし、僕の心が読めたなら、たぶん白い目で見られるだろう。

僕は死を悲しむものとしてみないし、死をきっかけにお別れなんて思わない。
だから、みんなが黒い服を着て、目を赤く腫らして涙を流しながら、「よく頑張ったね。もう苦しまなくて済むよ。」といっている姿を見ても、「なぜそんな不遜な態度が取れるのか?」と少し腹立たしくなることさえある。

僕の考えは世の常識からは、かなり逸脱しているのだろうけれど、みんなの言動は「生への執着」に見えてしまう。

葬儀という儀式は、「生きて過ごしたあの頃の思い出。」を演出することにある。涙している人間は、「生きて過ごしたあの頃の思い出。」という演出に涙しているのである。そんな演出は、故人には何の関係もない。

僕はこうした考え方が、故人を冒涜しているとは思っていない。この話を聞いた親族は腹を立てるだろうが、仕方がない。

しかし、仮に故人の魂が僕の心を読めるのならば、この考え方に、納得してくれるんじゃなかろうか。と勝手に思っている。

死は死んでみなければ分からない。生と比較した死は、生への執着をベースにしてしまう。ただありのままの死を受け入れる。自然の摂理としての死を受け入れる。存在の形が生であっても死であっても、この世を存在足らしめる大きな秩序の中で、自分は今ただここに在るだけなのだ。



2006年09月11日(月)

7時起床。7時45分出社。8時半、家族より電話。親戚が危篤とのこと。10時45分頃、親戚が入院する病院へ向かう。11時40分到着寸前に息を引き取る。昼食後、14時に職場に戻る。18時半退社。帰宅後、父親や不動産屋などに電話。20時ドトールで読書。21時ジムでランニング。23時サイト更新。

親戚が亡くなりました。あまり好きとは言えない親戚でしたが、亡くなってしまうと好きも嫌いもありませんね。生きているからこそ、好きだとか好きじゃないとか言えるんですね。人を簡単に殺してしまう最近の若年層の事件を考えるに、人の死についての感覚がないことが、大きな原因のような気がしました。別に悲しくはないけれど、人の死ということを考えた一日でした。


「人間の一生」
 職業に上下もなければ貴賎もない。世の為人の為に役立つことなら、何をしようと自由である。

 然しどうせやるなら覚悟をきめて十年やる。すると二十からでも三十までには一仕事できるものである。それから十年本気でやる。

 すると四十までには頭をあげるものだが、それでいい気にならずにまた十年がん張る。すると、五十までには群をぬく。しかし、五十の声をきいた時には、大抵のものが息を抜くが、それがいけない。

 「これからが仕上げだ」と、新しい気持ちでまた十年がん張る。すると六十ともなれば、もう相当に実を結ぶだろう。だが、月並の人間はこの辺で楽隠居がしたくなるが、それから十年がん張る。

 すると、七十の祝は盛んにやってもらえるだろう。しかし、それから又十年がん張る。するとこのコースが一生で一番おもしろい。

森 信三(もりしんぞう)


好きな仕事を本気で頑張る。これって幸せですよね。僕ももう少し仕事についての態度を考え直したいと思いました。


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