知らんけど

2006年10月31日(火)

目標を立てることが大事って、色々なビジネス書に書いてある。実際に、そうして目標を立てて頑張ったこともある。確かに大学時代は、「首席で卒業する。」という内なる目標を立てて四年間を過ごし、首席は無理だったが成績優秀者で表彰された。これは大きな自信になったけれど、大きな落とし穴があるんだよね。その後、目標が無くなってしまった。(笑)

次の目標を失った僕はなんとなく企業に就職して、激務に耐えることになった。まあ、それはそれでいい勉強だったし、終わったことを悔やむなんてことは無駄なことだから、今となってはとてもよい結果であったわけ。けれど、目標という話題に話を戻すと、目標は常に次の次辺りを見ながら立てていかないと途中で路頭に迷うわけ。

いくつかの目印を目指して歩くわけだけど、果たしてその先の何を目指しているのかってのが分かっていないと、目先の目標の意味なんてないんだよね。で、僕はその先の何を目指しているのか、正直なところ、皆目見当つかなくて「やっぱわからんわ。」とあきらめている。だから、目先の目標を立てる意味を感じないし、立てようとも思わない。

確かに目標を立てれば楽なんだよ。しかし、目標を立てるための目標ならホント意味がない。人参を目の前にぶら下げて走り続ける馬を見て、どんなことを思う?僕はそんなだましだましの頑張りはイヤだなって思う。

今の世の中の枠組みがそうなってしまったんだろうけど、何かというと目標を立てたがる、探したがる、それこそが一番大事だといいたがる。そんな風潮があるよね。

一番大事なのは目標じゃなくて、「目的」だと僕は思うのね。さっきの目印を目指して歩く、その目的地が大事なんだと思う。目的地がはっきりしているからこそ、目印となる目標の意味がある。

なんてことを言っておいて、こんなことを言うのはなんだけど、「目的」なんてものを人生に発見することは不可能ですよ。私が生まれて生きている目的は○○です。なんて怖いったりゃありゃしない。そう決め付ける人生もありなのかもしれないけれど、そりゃある意味あきらめだろ。

だから、ただ歩くしかないのね。止まりたい時は止まればいいのね。走りたくなったら走ればいいし、やっぱしんどいと思えば休めばいいのね。それこそが人生であるわけで、目標やら目的なんやらを探しても無駄なんだよね。「来月までに10キロ痩せる!」なんて無理やりな目標作っても、本当に痩せる気がなければ痩せませんよ。「あの人に振り返ってもらうために、10キロ痩せる!」なんて目的があっても、達成してしまって結婚後に更に20キロ太るかもしれない。

痩せたいな。と本気で思えば10年かけても少しずつ痩せていく。例えば僕なんかは一時は74キロありました。今、65キロです。そこまで体重が減るのに、5年かかっていますよ。僕は目標なんて立てず、目的も持たず、ただ痩せたいなあって本気で思っただけ。その思いが自然に生活の改善につながったんだろうね。だから痩せてきた。まったく苦労していない。

いやね、職場で目標の話が出たもんだから、何だよ、目標って得たいの知れないものはどこからどういう目的で出てきやがったんだ?って思ったので書いてみた。



2006年10月30日(月)

仕事に関わる内容を書いていたブログで、すべての書き物をまとめようと思っている。前々からいくつもブログや日記を持って更新するのはやめたいと思っていたけれど、この日記のサイトは6年も続いているのでなかなか止められないのだ。

ということで、こちらは本当にコンセプトのない思いつきの日記として残していこうと思う。本音はこちらのほうが出やすいかな。それ以外のある程度テーマを持ったものに関してはブログを読んで欲しい。どちらにしても僕にとって書くことは遊びなので、好きなように書くけど、ブログはちょっと対外的なものを気にしないといけないので多少トーンは落ちる。その分をこちらで補えばいいかなと思っている。

まるで仕事への意欲が沸かず、今日も休みを取った。もちろん、先週から休むように予定はしていたのだが、今週はたった三日しか出勤しない。十一月三日からは勉強会で丸三日間監禁される予定。自前でお金払って、休みも公休だ。まあ、自分の好きな勉強するのにあまりこれから辞める病院にお金使わせるのもなんだしね。

来週は違う病院へ面接に行く予定。どんな病院かをしっかり見極めたい。なーんてできないけどさ。(笑)できてたら、今の病院には入っていなかったって。それは入ってみなきゃ分からないんですよ。実際は。ただね、今回は比較対照があるわけですよ。今働いている病院という比較対照が。それと、よくも悪くもパッとしない病院で働いてきた経験があるので、それをベースに物事を観察できる。目安があるってのが強い。

仮にあまり良くない病院だとしても、それはそれでまあ医療業界ってのがそんなもんなんだって思えるでしょ。今の病院はやるぞーって気持ちで入ったけど、次の病院では自分の中に多少のりしろがある。その余裕ってとても大事なんだと思う。本当はどんな嫌なことがあっても5年は居るつもりだったけど、心変わりした。もし、医療業界がここまでヘタレな世界なら、短くても数多くの病院を周ることにも意味がある。

どこかに、僕の思いに引っかかる病院があるはずだ。今回、面接に行くところは違うが、知り合いにも誘ってくれている人が何人かいるし、まあ、いざとなればどこでも行くさ。とにかく、今の色に染まりたくない。妥協する環境にいないし、そんな性格でもないしね。ある患者さんの家族に言われた。「あんたはぬるま湯にいられない性格でしょ?」間違ってはいないが、正しくもない。だって一時は超熱々のお湯に浸かっていた時代もあるんだから。

熱すぎてもダメだし、ぬるすぎてもダメ。自分の適温をただ捜し求めているだけ。だから、本当は僕が病院のことをヘタレなんていう資格はないんだよね。だって、それはそれで適温として働いているスタッフが居て、それはそれで間違いじゃないんだから。



2006年10月27日(金)

全くもって身が入らない。これは単なる体調の悪さだけじゃない。こりゃダメだな。この職場から早く脱却しなければ病む。他のスタッフはいざ知らず、患者さんに迷惑かけたくない。



2006年10月24日(火)

朝からふらふらしながらも出勤。まあ、2日間38度台で寝っぱなしだったのだから、通常に戻るには時間がかかるか。それに昨晩は寝付けなかった。恐らく発熱中に寝すぎた反動なんだろうけど、それも今日のふらつきの原因だったかもしれない。

仕事もふらふらしながら、ゴホゴホと咳をしながら。患者さんに迷惑がかからないようにだけを考えて仕事したが、何といってもしゃべる仕事なのでどうしても咳は出る。声量も上がらず、一体誰が誰に言語訓練しているのか良く分からなくて笑っていたら、みんな不思議そうに僕を見る。熱で頭がやられたのだろうか。

訓練そのものには集中できるし、患者さんが見せる様々な行動や症状に対しては注意が行くので、仕事の本質は見失っていないが、カルテを書いたりなどの病院という組織のための雑務はからきしやる気が出ない。患者さんに対する責任は果たす。それがこの資格の名の下に仕事をする僕のプロフェッショナリズムだ。しかし、忠誠心のかけらも沸かない組織に対しては、まあ、言われたらやりますが的なだらけた態度を見せてしまっている。

僕個人としては、かなりあからさまに見せているつもりだが、気づいている人が居ないらしいのがこれまた腐敗した組織のおぞましさである。部下や同僚のちょっとした変化に気づかない感受性の低い組織は、要するに自己中心的なのだ。そういう病院は患者じゃなくて自分達のために仕事をする。これは愚痴じゃなくて真実だ。



2006年10月23日(月)

今朝は平熱。しかし、寝巻きと布団はびっしょびっしょ。オネショちゃいますよ。汗です。熱が下がると思っていなかったが見事に下がった。本来ならそのまま仕事に行くのだけれど、今回は昨日から熱が下がっていても明日は休むと決めていたので、そのままゆっくり朝を過ごした。頑張る自分に満足するのもいいんだろうけど、ちょうど精神的にも職場がストレスなところがあったので、少し時間を置こうと思ったわけ。

病院にも行った。改めて症状をしっかり説明したら、お医者さんも可能性と今後について的確に明快に説明してくれた。気持ちいいね。こんなドクターと一緒に働いたら気持ちよく仕事ができるかもしれない。待合室でキョロキョロしていたら、額縁に学位取得の症状が飾ってあった。大学院で研究までしていたわけだ。まあ、大学院に行けばみんなそんなんか?といわれるとそうではないが。

僕が書く仕事のブログの読者で、この日記も欠かさず読んでいる方がどれくらいいるか知らないが、一つお知らせ。転職活動を本格的に開始した。ある病院に電話をかけ、履歴書を送ることになった。仕事そのものに対する情熱はまだ失っていないと思う。というかそう自分では信じている。そこがなくなればヤバイとは思うが、まだそこまではきていない。職場の体質がイヤでイヤでたまらないのだ。

ここでその詳細を書くつもりはない。あえて短くいうなら「患者を食い物に生活をしているものの組織。」僕が言いたいのは組織としての体質の問題。個人個人がそこそこの情熱でまともに仕事の質を求めようとしていても、組織の体質に染められていっちゃうんだな。相当のカリスマなら別だけどさ。で、僕自身も少しずつ染まっていく自分を感じている。そしてそれがかなりの嫌悪感を呼んでいるわけ。同じ染まるならいい組織に染まりたい。だから別の組織を捜して移って、とにかく今の組織の体質に染まることを拒否したい。移った先が良いか悪いかは移ってみなきゃ分からない。



2006年10月22日(日)

昨日はあの後、解熱剤が効いてきてなんと35度台まで体温が下がる。気温差が激しいのは困るが、体温差が激しいのも困る。この時ばかりと頭を洗ったりして過ごしたが、結構、解熱剤が効いて結局22時ぐらいまでは平熱で過ごせた。会社の同僚が気を利かせてくれて、色々なものを買ってきてくれる。彼女が居ないのはつらにね〜と言っていたら、「だけどこういう時だけ欲しがってもダメです。」と怒られる。

結局、夜中はまたまた38度台へ逆戻り。一時は再び39度台へ。「これはただの風邪じゃないな。」と思うと、「肺ガンだったらもう死ぬな。」とか「肺炎だったらなんか恥ずかしいな。」とか考えてしまう。肺ガンについてはかなり恐怖だった。死って改めて怖い。可能性がなくなるわけだからね。可能性こそが生きる楽しみなんだってほんのり分かった気がする。

今朝も汗だくで起きる。起き抜けに体温を測ると、おなじみの38度台。さすがにため息出る。「いつまで熱出すの?」って感じ。2日前から貯まっていた洗濯物をまとめて洗濯。もうこうなったら熱があろうがなかろうが普通の生活をしてやると思わずに居られない。が、それ以外は家でのんびり過ごしている。相変わらず熱はあるし、体はダルい。おでこには熱さまシートはってるし、見た目は冬の格好。これじゃ外に出れんわな。

(晩御飯食べた後に追記)

結局、今日一日の平均体温は38.4度ぐらいだった。一番低い時で37.9度。一番高いときで38.9度。解熱剤は飲まなかった。ある意味笑える。38度台がこれだけきっちりと保てる俺の体ってすごい。そして、暇だからこまめに体温測る俺も偉い。

明日も仕事は休むことにした。仮に熱が下がってもかなり体力を消耗しているし、いずれにしても病院に行って調べてもらおうと思っているからだ。なんとか熱は下がって欲しいが、下がらなければ下がらないでどんな病が俺の身体を蝕んでいるのか、出会いが楽しみでもある。日本シリーズを聴きながらまた布団にもぐりこむ。布団はやっぱり気持ちええなあ。



2006年10月21日(土)

昨日からずっと発熱している。昨日の起床時は37度台で、風邪の症状もほとんどないから、こりゃ動いてりゃ熱も下がるだろうと出勤。ところが、昼前から激ダル。熱を測ってみたら38度台に上昇。しんどいので帰宅してずっと寝ていた。帰宅後、頻繁に熱を測るが、38度台後半〜39度台を行ったり来たり。何かがおかしいなあと思いつつも、寝るしかないので寝ていた。

今朝も熱は下がらず。39度台。朝一で病院へ行き、病状を説明。「熱が高いのが気になりますね。」とのこと。俺もそう思う。普通、風邪の熱の場合は時間帯によって熱が上下するのに、今回は高熱がずーっと出っ放しなのだ。「今日明日はゆっくりしていただいて、週明けに変わっていないようであれば精査しましょう。」とのこと。一応、抗生物質と痰・咳止めをもらう。

帰宅後、ずっと横になってラジオを聴いているが、まったく熱が下がらない。さすがに熱には慣れてきてしんどさは減ってきた。昼を過ぎて、さすがに高熱がずっと続くのは怖いなと思い、解熱剤を服用。しかし、普段は飲んだらてきめんに効果が出るのに、今回は出ない。布団に入っていなくても、こうして日記を書いている間も汗がダラダラ出てくる。何かがおかしい。ちょっと怖くなってきている。解熱剤を飲んで30分。今熱を測ったら38度4分。んー。



2006年10月18日(水)

仕事がつまらなくてしかたがない日々がずーっと続いている。まあ、つまらなくても仕事だし、目の前に患者さんが来たら、そりゃちゃんと仕事はしますけど、その仕事に対して楽しいって感情がわかないんだな。仕事ってそんなもんだからってななぐさめのお言葉をいただいても、そんなことを改めていわれてなくても分かってるさと答えちゃうぐらい、充分に自分の言っていることが一般的には甘えたことというのは理解している。

しかし、おもしろくないという気持ちというか感情があるのだから、それは事実として間違いではないし、それをそのまま言うことに何の甘えもないはずだ。ただ、正直に表現しているだけ。子供が「お母さん、お腹すいたー。」というのと一緒。正直でいいじゃない。

で、果たしてこの仕事のおもしろくなさはどう解決されるかというと、そんなこと分からないのである。ただ、ひとつ言えることはこの仕事をやることで満足できるものが何もないということである。充実感もなけりゃ、給与アップもないし、褒め言葉もない。昔は、患者さんやそのご家族からの「ありがとう。」や笑顔が得るものだったけれど、最近じゃそんなのも薄れてきている。

人のせいにするのは簡単で、こうしたやる気のなさをずいぶんと長い間、職場のせい、職場のスタッフの情熱のなさのせいにしてきた。しかし、そんなに嫌なら変えりゃあいいじゃん。という結論のあまりの簡単さに、そうした選択肢を見逃してきたような気がする。転職も良いだろうし、しばらく違う職についてみても良いかもしれない。ただ、周りの愚痴を吐き出すだけでは何にも変わらないのだ。

この仕事をする上で、自分が満足できるものって何なのか?そこが多分キーポイントで、そこが不明瞭のまま転職しても、転職先でまた同じ悩みに陥るのだと思う。でも、同時に変わってみなきゃその満足できるものの形ってのが見えないのかもしれない。そこでまた迷うのだ。

たぶんだが、わくわくする期待感ってのと、その充足した時の満足感が「楽しい。」ってことなんだと思う。友達とバカ話をして楽しいってのは仕事の楽しさとはまた違う。そう考えると、やっぱり仕事に対して情熱的で、でもクールで結果を残していこうと行動する人たちに刺激を受ける必要があるのかもしれない。一人でそれを起こそうとしても無理なんだな。



2006年10月17日(火)

ジムから帰る道すがらにたくさんの塾が立ち並んでいる。22時過ぎにその辺りを通ると、大人がたくさん棒立ちしている。何事かと見回すしてしまうくらいに。塾に子どもを迎えに来た親たち。正直、気持ち悪い。まだ、小学生の子ども達が22時ごろに親に迎えに来られるまで塾で知識を詰め込んでいる。おお、気持ちが悪い。家で家族でワイワイ話したり、面白い映画を観たり、空想に浸ったり、そんなのが普通じゃないのか?こんな生活を過ごしている子ども達が将来豊かな人生を送れるんだろうか?親たちも何を考えているのか皆目分からん。



2006年10月15日(日)

色々なインテリアショップやガーデニングショップを周っているけれど、どこに行っても自分が今からどんな部屋を作ろうとしているのか漠然としていてピンと来ない。コンセプトはあるのだけれど、それに合わせて何をどう揃えていけばよいのかがかなり難しい。今はインテリア雑誌や園芸雑誌などを読んだり見たりして目を養っている状態。まあ、金銭的にも引越し直後で苦しいから今は何かを衝動的に買うことはないと思うけど。

自分で大きな家具も作っちゃおうかななんて思っている。ホームセンターに乗り込んで部材を買って.. でも、配達してくれるんかな。でも、それをするにはそれなりの道具が要るな。ってことでなかなか事が進まない。色々としてみたいことはあるのだが、金銭的な制限があって踏み出せない。ロト6当たんねーかな。

今、やりたいことベスト5

1、水景(熱帯魚系)
2、サーフィン
3、DIY(日曜大工ですな)
4、輪行ポタリング
5、VBケース買い(豪州のビールです)

一昨年の日記を改めて読むと、一昨年はまだウィンドサーフィンをやっていたんだね。午前中は海で、午後は散髪やらでなかなか充実した休みを送っていたんだな〜と感心。今日なんかなんの意味もなくダラダラと過ごしちまって、ホント落ち込む。最近、生き方にぶれがあってスムーズにいっていない。色々なことに手を出しすぎているってのもあるのかもな。一つ二つに選択肢をしぼらなきゃ。

沖縄の知人よりプレゼントが届く。12月3日に那覇マラソンを走るのだけど、一緒に出場する知人からだ。彼女は4時間を切ることを目標にしているマラソン猛者だが、僕とその知人の姉で僕の大学の後輩は初マラソン。しかも、普段もあまりトレーニングしていない。(笑)でも、プレゼンが届いてやる気出たよ。

会社の後輩の指導をするべきなんだろうか?僕は今の自分の職場を自分で創ってきたので、何かを教えるということに抵抗を感じる。「自分で考える。」もしくは「真似して覚える。」そういう職人的な「見る」「感じる」「試す」ってことが大事だと思うんだけどね。一応、ビジネス書を買ってきて、少し指導の必要性とか方法とかについて考えてみるつもり。あくまでも参考にするだけですが。


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