● おさるのひとりごと ●
←目次へ|昔のハナシ|最近のハナシ
感想などはコチラ
会社からの帰り道、Oちんに「私の密かな楽しみを教えてあげよう。時期が違うけどね。」と言って 会社近くのデパート駐車場の看板裏のツバメの巣の跡を見せてみた。 毎年、春になるとあそこにツバメが巣を作るのだ、と。 最初はつがいだけでせっせと巣をつくり、そのうち雛が孵って、段々親と同じぐらいになったら いつの間にかいなくなっちゃうんだよ。寂しいけどそれまでは毎日楽しみだよ、と。
そしたら「おさるさんらしいです。」とニコニコしていた。 ん? どゆとこが「らしい」のかしら? はて???
朝から3時半頃まで慌しく仕事をし、Nさん(隣りの席のおっちゃん)が区役所に書類を持っていった。 ・・・これにてOちん、Uさん、私は一息。 先日結婚したUさんが持ってきた式の写真で(仕事中だってのに)盛り上がる。 めっちゃ綺麗だった。旦那ももこみちみたいだった。
しばらく忙しい予定もないので、今まで作っていた書類の整理をしているとNさんが帰ってきた。 Nさんもまったり。 そうしているうちにOさん(私の背中側の席のおっちゃん)も帰ってきて言う。
「ついさっき、正式に辞令が下ったよ。私とNさん、明日から別の課に移動だ。」
みんなしばし呆然。 まあ、もう予告はあったものの、ついさっきまで別な仕事でバタバタしてたからね。 引越しの準備なんかちっともできていませんが。
そしてUさんも今日でお別れ。
明日からは一気に3人減る事となる。(現在8名なので5名になる。) でも1人はあと2週間研修に行っているのでしばらくは実質4名でのお仕事となる。 ・・・まあ、暇なのでいいんだけど。
明日からはOちんに私の仕事を教えないとな。
今日、カラーコピー機の前で、先日一緒に多摩美図書館を見に行った計画設計課の女の子Sさんが 「新建築」(←雑誌です)の、よこすか美術館のところをコピーしていた。
「なんかの参考にするの?」と聞くと 「いえ、今度行くんです。」とのこと。
勉強熱心だねー、とかなんとかそんな話をしていたら、どうもSさんの大学時代の友達が 坂茂(建築家ね)の事務所にバイトとしていたんだけど、「正式に所員にならないか?」と誘われたのを断って 単身アメリカに乗り込んだ、とのこと。 その子はどうしたかったのかと言うと、なんとグランドゼロのプロジェクトに申し込んで 参加することになったらしい。 英語も堪能なんだとか。
「すごいじゃん!」と言うと 「そうなんですよー・・・負けてられないと思って。行きますよ、私も。海外。」と言うので 「英語出来るんだ?」と聞いたら「・・・いえ(^^;」と。 4大出てる子なのでふと思い立って某モロッコ在住者のことを話してみた。 そしたらめっちゃ食いついてきて「そんなのあるんですか?知らなかった!調べてみます!ありがとうございます!!」と。 Sさんなら行きそうだな。 ほんと頑張り屋さんだし。 なんかすごく眩しかったよ。 あ、ちなみにSさん25歳。(大学出て3年、って言ってたので推定。)
ところで、これまたたまたま別の日に別の子と話していた会話で、 「今は情報がすぐ手に入るからすごい」ってような事を話していた。 なんでそんな話になったかと言うと、中学生とか小学生とかの頃の「将来」について思っていたことを話してたから。 世代は違うものの、その子と私は田舎育ち。 今と違ってネットとかも発達していないし、地方と都会の情報量に大きな差があったかと思われる。 「こんな仕事もある」とか「こんな人生もある」とか言う選択肢がもっともっと少ないと思っていた。 そんなのはもちろんいい訳かも知れない。 でも子供の頃ってほんとに狭い世界で暮していたなぁ、と思う。 「あの頃、こんな世界があるってことを知っていたら?」とか最近になってふと思ったりした。 そう言う意味では今の子供は恵まれている、と思うけれど、その反面は諸刃の剣だ。 溢れる情報によって早々に人生踏み外しちゃってる輩もいるし。 どう転ぶかはその人の責任で、芯をしっかり持っていればどうあっても自分の道を歩んで行けるのだな。
基本的に過去を後悔するだけならどうにもならないので、失敗したならしたでそれを活かして。 なんて上手くできれば苦労はしないけどね(笑) 周りの人が少しずつ変わり始めて行くのを見ている上で、今まで感じたことのない気持ちや経験を積んでいく上で、 それを共に喜びたいし、またそれを理解できるだけの容量を身に付けたい。 それには何事も努力だな。
これからの基盤。
2007年10月29日(月) |
ひとりもんは可哀想・・・なのかな |
先日、Oちんと会話してて中学生の頃の夢とかの話になって 「私は普通に結婚して普通に子供とか出来て普通に専業主婦になるのがゆめだったんです。」とか言っていた。 「でも、専業主婦じゃないからヤだなぁ・・・」と。 ほんとは働きたくないとの事。
「まあ、私だってそう思ったこともあったさ。」とか冗談っぽく言うと 「早く誰かと一緒になってくださーい!!一人は駄目ですよー」とか言う。 駄目なの?(^^;
2007年10月28日(日) |
慶事の電報ではないけれど |
「喜び二倍、悲しみ苦しみ2分の1」って、 別に結婚相手や彼氏彼女じゃなくて 友達でだってそうあるととても嬉しい。
2007年10月27日(土) |
なかなかうまくいかないもんだな |
ましてや人の事は。 って、私は聞くだけでなにもしないし出来ないけど。
どうあろうと友達でいるよと言うのも当たり前過ぎて口にもしないけど。 応援、とか言うでもなく、見守る、とか言うたいしたものでもなく、 ただありのままのあなたをありのままに受け止めて行くだけだ。 だって頑張ってないわけないから。
言葉って時に役立たず。
昼休み、ちょっと早く戻ってきたので(ランチは外食)たまたま今日、一緒に行った監理課の庶務さんが 「時間があるから。」と、うちの課に遊びに来た。
まあ、他愛も無い世間話をしていたのだけど、ふと私の頭の上を通り越して彼女は私の隣のおっちゃんに話しかけた。
「ねえ、病気治ったの?」と。
隣りのおっちゃんは昔、鬱になったおっちゃんだ。 ・・・と言う事は知っているけど、細かい話はもちろん知らないし、別に知る必要もないと思っていた。
のに、彼女はいきなり笑いながら言うのだ。 「一番ひどいときはさ〜」とかなんとか当時の症状を細々と。 おっちゃん、今も別に完治してるわけでもなく、別に秘密にしてるわけでもないけど 大っぴらにしているわけでもない。 だけどいいのか?こんな?周りにみんないるのに。 まあ、みんな古株が多いから知ってる事なんだろうけど、それにしても。 なんか聞いてて固まってしまった。
彼女は言うだけ行ったら「あ。時間だ。じゃあね〜」と言って去っていったけど。 彼女とおっちゃんと二人きりの時に「昔はさ〜」と言うなら別に気にしないんだけど 私とか詳しく知らない人の前で言うのってどうなんだろう。 かなり複雑。 まあ、だからと言っておっちゃんを見る目にもちろん変わりはないけれど。
会社の宴会案内のチラシを作った。 Uさんの退職とOちんの歓迎会、そして監理課に行くおっちゃんの・・・壮行会?を兼ねた飲み会のチラシ。
すると、私と背あわせに座ってるおっちゃんが言う。 「今日、内示もらったんだけど、私も来月から移動になったから、私の名前も入れといて。」と。
えっ? なんですと?
現在うちの課は8名。 3人いなくなって、私もいなくなったら・・・4名。 一気に半分。
しかも上司が電話で総務と変な話をしていた。 「地下の片付け終わったのか?」と。 うちの課、普段は地下とはなんの関係もない課ですが・・・。 ひょっとして人数減ったから地下に移動?
地下ってたまに漏水して浸水するんですけど。 ってか、何なの?ここに来て、またバタバタと・・・。
落ち着くまで待つしかないか。 Oちんが入ってから急にこんな展開になっちゃって・・・ごめんね。 それだけでも心苦しいけど、でも私のせいでもないし、どうにもできなくて更に心苦しい。 今まで通りだったら条件にほぼぴったりの職場だったろうに・・・。
2007年10月24日(水) |
意外に身近な話だったんだ(でも近くない) |
今日、会社帰りにOちんと話をしていたら、某有名事件の被害者が先輩だったと言う話になった。 かなりびっくり。 7月に飲んだときに、あるセリフを言ってたのだけれど、その時のセリフが妙に実感篭っていて気になってたので 「ひょっとして、あの時はこれを思い出しながら言ってなかった?」って聞くとそうだと言う。 覚えてたんですか?と。 うん。なんとなく耳に残って離れませんでした。 そりゃそうだよね。 こゆのが身近であったらさ。
と、ニュースの中の出来事が気づけば友達の先輩、と言う身近な存在だったことに驚愕。 まあ、結局は他人、ってことなんだけれども。 都会って人が多い分、意外などっかで繋がってることが多いのかもしれない。
2007年10月23日(火) |
ツェッペリンNT号・・・乗れるらしい。 |
怖い気もするけど、折角なのでちょっと乗ってみようか?と思い、調べてみた。
平日昼12万なにがし。 休前日夜14万なにがし。
はい?
2〜3万ぐらいだと思ってた・・・。 挫折。
|