● おさるのひとりごと ●
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某露地を歩いていると二つ折りにした1000円札発見。 おや?と思うと転々と更に1000円、更に1000円・・・。 なにこれ。 なんかのトラップ? どっきりカメラ? と、思うも、結局何もなく。 合計5000円。
交番に届けて調書を書いてもらっていると、金曜日のせいなのか、毎日こうなのか、酔っ払い率高し。 交番に沢山来ます。 日本の政治がどうの、とグダ捲いてるおっちゃん。 トイレを探すいちゃいちゃカップル。 自転車蹴り倒してるチンピラ風のにいちゃん。
で、トイレを探していたカップルはトイレの場所を聞いて向かったわけですが、2〜3分もしないうちに 顔面蒼白にして戻ってきました。 「お巡りさん!ちょっ・・・ちょっと来て!!」
私の調書を書いてないほうのお巡りさんがついて行く。 何があったのかなー?と思いつつ、私はひたすら調書書き。
歩いても帰れる場所だけど、すっかり遅くなってしまったので電車で帰ろうと駅に向かうと 駅の横のほうの露地の奥の方にさっきのお巡りさんとカップル発見。 足元に大きな白い塊。 なんだろうあれ。 と、思いつつ、駅に向かうと、もう終電出てた。(>_<) そんなわけでまた引き返してきたのだけれど、今度は交番の前にさっきのカップルが。 あれ?と思っていると、カップルの足元にはゴスロリ衣装の女の子がうつむいてしゃがんでいる。 真っ黒な衣装。 そしてカップルの彼女の手には白いコートが。 さっき見たときはこれ持ってなかったな。 ってことは、ゴスロリ衣装の子にこの白いコートをかけてあげてたから白い塊に見えたのかな?
結局意味不明。
支店長と、私の向かいの席のMさんと話している会話が耳に入ってきた。
支店長曰く、「おさるさんはまだまだ仕事わかんないし時折生返事とかするけど 自分がちゃんと納得して覚えたことじゃないとやらないのがいい。知ったかぶりして間違ったら大変だからね。」と。
対するMさん、「そうなんですよね。聞いてんだか聞いてないんだかな時はありますけど でもわかんないと聞いてきますから。下手なことはしないから安心は出来ます。」。
・・・頑張って覚えようとはしてるんですけどね。 今の仕事が一番覚え悪いような気がします。
↑の会話が出たのは、現在Mさんが支店長と同じ組になっていて、支店長の右腕的なことをしているのに 4月から編成が変わって、私が支店長と同じ組になるから支店長が不安がっているのです。 Mさんは2つ年下だけど、この仕事はかなりのベテランさんで覚えもいいから。 やり切れる自信は全くありません。 が、そんなことで辞める訳にも行かないので頑張ります。 ストレスでへろへろになってるかもしれませんが・・・。
ちなみにすでに不正出血が・・・。 このせいじゃないとは思いますが。(じゃあ何のせいだ?)
上野の聚楽台は、私が小学生の時に初めてばあさんと妹と3人で上京したときに、最初に入ったレストランだ。
その聚楽台が近く閉店すると言うことを、今朝の電車の窓から見かけた。 「50周年ありがとう。上野聚楽台は閉店します」とかなんとか言う文字が書かれた横断幕を見ると なぜだか涙がはらはらと流れてきた。
聚楽台はたぶん、私が生まれるうんと前からあって、それは集団就職とかなんとかが盛んな時代で、 当時、上野と言えば東北への入り口であり(新幹線とか寝台とか、まだ上野までだったと思う) この駅では数々のお出迎えと上京者が出会った場所であったのだと思う。 そんな夢一杯の上京者を、最初に出迎えていた「都会」の一端を担っていたのは聚楽台ではなかったのか。
まだまだ田舎が田舎らしかった頃、私も例に漏れず初めての上京で初めての聚楽台に行き、初めての食事を食べた。
煌びやかな店内。 床はガラス貼り。 そしてその下をゆったりと泳ぐ色取り取りの魚たち。
見るモノ全てが珍しい田舎モノとして、まだ純粋だった子供として、「聚楽台」と言う所は 「さすが都会のレストラン」なところだった。 食事しなくても、店内にいるだけでわくわくした。
あの頃、ばあさんもまだ若かったし、綺麗だった。 そして初めての景色を見て目を輝かせる私と妹を見て、嬉しそうに笑っていた。
その後、上京して、再び聚楽台を見るも、入ることはなく、むしろ時代に取り残された産物的な、 格好悪いイメージしかなく入ることはなかったけど。
あの時の、あの風景。 今は亡き、ばあさん。80まで生きて、死んだばあさん。 それが一瞬に蘇ってきて、涙がぼろぼろとこぼれる。 毎日、視界には入っていたはずの聚楽台だけど、こうして閉店の横断幕を見ると思い出すなんて。 人間、失くしてから知ることが多すぎるな。
ちなみに、さっきHP探してみたら、2年後には再開するらしいけど。 でも、あの頃の思い出は今の聚楽台と共に封印されるんだろうな。 電車での涙は「花粉症のせい」と言うことで。
些細な感覚が全く同じ。 こいつは私のクローンなのではないかと思う瞬間。 怖くもあり、嬉しくもあるけれど、 どうしてそういうやつは友達にしかいないのだろう?
実はこないだ「怖い夢をみた」と書いてから、毎日怖い夢を見ている。 今日も見た。
もーね、映画ですよ、映画。 作れちゃいますよ。 あ゛ー・・・もう。
怖い夢のオンパレードはもう嫌。 疲れる・・・。
鳴かしてみせようホトトギス。
で、どやって?
2008年03月22日(土) |
だってそうなんだもの |
いいのだ別に。 勝手に思うことはいくらでも出来るけど、相思相愛なんて奇跡は宇宙の法則に近いのだ。
意図しても叶わず、意図しない時に訪れる。
だけど、強いて作り上げることも時には必要かなぁ。 頑張ることはかっこ悪いことじゃない。
私には
生きる力を奮い立たせるカンフル剤が必要で
そのひとつがライブであったり、好きな人を思う気持ちであったり、
友達と過ごす時間であったり、ぼんやり見上げる空だったりするわけで。
とりあえず、「なんのために」とか「誰のために」とか
そんなことは関係なく、「生きるために」生きる。
そんな感じ。
部屋にいても風を感じます・・・。(爽やかな意味ではなく。)(苦笑)
今日は久しぶりに関東でも最高気温10℃を切ったそうですが、全く外に出ていないのでわかりません。 が、外の風の音、そして風が入ってくるのでなんとなくはわかります。
洗濯をしていたら眠ってしまったらしく、友達からかかってきた電話がなんだかわからずに 手に取るも出た瞬間におとしてしまい、「あ゛ー」とか言うのを聞かれ 「寝てた?」と聞かれるバツの悪さ。
その通りです。
夜、10時も過ぎてから無性にピザが食べたくなり、ビールとピザ、と言うハイカロリーなことをしてしまいました。 メタボ街道まっしぐらです。 でも、ぶっちゃけこのパターンは・・・なにやらストレスを感じているのですね、身体・・・それとも心? 自覚は特にないのですが、危険な兆候として自覚だけはしておくことにしましょう。 あとでわたわたしないように。
2008年03月19日(水) |
痛いのは我慢しないように |
先週、整体に行った2日後の夜に背中がつった。 背中がつるなんて初めてだったので、どうしたらいいのかわからず、おろおろして 「う゛〜〜〜〜〜っ(T△T)」ともがいているうちに疲れて寝てしまった。
朝起きたらつってはいなかったけど、変な痛みが残っていて、でも仕事も忙しいし我慢していたけれど 我慢し切れなくて日曜にまた整体に。
日曜はいつもの先生がいなかったので応急処置みたいのをしてもらって、 「次は明日か明後日来るように」と言われたけれども時間がなかったので今日行った。
で、いつもの先生に事の経緯を説明すると、えらい怒られて 「痛いときに来ないと駄目でしょ?なにやってんの。我慢しない!わかった?」と 腕ひしぎ状態で言われたので「わかったわかったわかったー!!痛い痛い痛い!!」と言うと 「わかったらよろしい。」とにっこりされた。
解説としては、元々内側に入ってる肩の付け根が、同じ姿勢の取りすぎで首まで引っ張られたせいなんだとか。 先生「ゲームばっかりやってるからでしょ!?」 私「やってないよー!仕事のせいだよー!!」 先生「そんな仕事辞めちゃいなさい。」 私「辞めれないよー!オマンマ食い上げだよー!」 とかなんとかな会話をしつつ。 デスクワークびっちりが身体に悪いのはよーくわかってますけどさぁ・・・。
痛い時は下手に我慢しないほうがいいらしい。 でも、それは身体だけじゃないとも思った。 心も身体も。
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