無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年06月28日(木) 事故&カラオケ地獄変/『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 始動編』Ⅰ&Ⅱ(安彦良和)

 事実を書きます。

 今日も朝から雨でした。
 雨合羽を着こんで、いつもの職場への山道を自転車をこいで行きました。
 下り坂の曲がり角、信号の向こうに通学中の小学生が人道一杯にたむろしていました。
 フードをかぶっていて視界が狭かったので気づくのに遅れました。
 子供たちは誰もこちらを見ていません。
 慌ててベルを鳴らしブレーキを踏みました。
 毎日の山越えでブレーキが利きにくくなっていた上に、雨が降っていたせいで、さほど減速は出来ませんでした。
 一人目は避けましたがその向こうにいたもう一人は避けられませんでした。
 男の子にぶつかって、自転車は止まりました。
 轢いた、というより押し倒した感じです。
 男の子は倒れました。
 「大丈夫? 立てる?!」
 顔を顰めて痛そうにしています。見ると膝小僧に血が滲んでいます。
 男の子の腕をとって立たせました。小さな、とても軽い子でした。骨折などはしていないようでしたが、痛くてかえって涙も出ないようでした。
 男の子の友達がワラワラと寄って来ます。
 口々に男の子の様子を聞きます。
 ケガをしたのは膝だけのようでした。
 リーダー格のような男の子が、「保健室まで歩いていけるようですから、ぼくたちが連れていきます」と言いました。
 私はその間「ごめんね、ごめんね」と謝るばかりでした。

 もし、人を死なせていたら、ごめんねですむ話ではありません。
 自転車でも充分人は殺せます。
 私はその程度のことも自覚していない馬鹿者なのでした。
 しげにその話をしたら、「人が避けてくれると思ってるからだよ」と言いました。更に「車の免許取るから、仕事の送り迎えしてやるよ」と言いました(私は視力が極端に悪いので、免許は取得できないのです)。

 人に反省することなど出来るのだろうか、と思うことがあります。
 取り返しのつかない失敗をした時、謝罪は事態を解決させるどころか、火に油を注ぐことになることすらあります。
 なぜなら、反省のしかたに人は「程度」を求めるからです。
 「その程度で反省したと言えるのか」と。
 私もこれまでに数々の失敗を繰り返して来ました。そのたびに思うのは、私の失敗を糾弾する人々の「憎しみ」の強さです。
 私は「憎しみ」そのものを否定はしません。たとえば私が人を殺したとしたならば、遺族の方が私を憎むのは当然だからです。
 しかし、「憎しみ」は必ずその人の心を押しつぶします。その人の夢も、希望も、理想も、憧れも。
 私が本当に心から「反省」しそれを実際の行動に移そうとするのなら、その人たちの「憎しみ」を解くことを考えなければなりません。
 しかし、そんなことが可能なのでしょうか。
 愛するものをなくした人の心を和らげることなど、その加害者には不可能なことなのではないでしょうか。
 私は自分の愚かさの原因を、人全体の愚かさにすりかえようとしているわけではありません。ただ私自身、一歩間違えれば人を殺していた立場になって初めて思ったのです。
 罪を償う方法なんてないのだと。私はただ、裁かれるのを待つしかないのだと。


 

 27日、トーベ・ヤンソン死去。享年86歳。
 昨年は弟さんのラルス(ラッセ)・ヤンソンさんが亡くなられた。月並みな言いかただが、まるであとを追うように逝ってしまわれた。
 トーベさんは生涯ご独身だったようである。弟さんと二人でムーミン谷の仲間たちの物語を紡ぎ出す生活は、トーベさんの人生そのものだったのであろう。
 この一年間、多分とてもお寂しかったのではなかろうか。

 アニメのムーミンは、旧シリーズは好きで嫌いだった。
 日本という風土に合わせて、原作を相当改変させていたせいであろう。東京ムービー製作の分も、虫プロ製作の分も、アニメファンはどちらが好きか、ということで論争していたが、どちらもムーミンのキャラクターが普通の人間の男の子だったのである。
 いや、もちろん外見じゃなくて性格がだけど。
 ならファンタジーにする必要ないじゃん、と子供の私は生意気にも思っていた。私が好きだったのはムーミンパパでありママでありスナフキンであり。
 つまり、「大人」が好きだったのだ。「大人」に憧れていたのだ。
 そして、ムーミンのあまりの子供っぽさに自分を見るような気がして、好きになれなかったのだ。
 大塚康生さんは私の最も好きなアニメーターだが、ムーミンを日本化してしまったことについてだけは余計なことをしてくれたなあ、と残念に思っている。
 もっとも、日本化したものが人口に膾炙したために、より原作に忠実な『楽しいムーミン一家』も作られたのだろうけど。
 事情はなかなか複雑だ。


 昨日の夜、テレビを見ていたら、番組名は忘れたが小倉智明が出ていて「迷惑なカラオケ客」ってのを特集していた。
 セクハラ親父ってのは論外だが、自己陶酔してるやつ(マイクを離さないやつ)、ヒトの歌を聞かないやつ、なんてのが大抵嫌われてるみたいだ。でも見てるとホントにひどいやつがいるね。
 しかも女で(ーー;)。
 もう、椅子の上に立膝で座って大マタおっぴろげて歌ってやんの。
 こんなヤツは滅多にいないだろう、と思ってたんですが。

 いました。

 すぐそばに。

 そうです。うちのしげです。

 いきなり「ねえ、カラオケいかない?」と言い出したのに、なんの気なしに「ああ、おごってくれるんならいいよ」と付き合ったのが運の尽きだった。
 最初はまあ、いつも通りで何ということもなかった。
 『木綿のハンカチーフ』を二人で歌ったとき、しげと私とで、「この男(女)ひどいね」と意見が分かれたくらいで(しげは「恋人を忘れる男がひどい」と言い、私は「男の思いを受け止めようとしないわがままな女がひどい」と言うのだ。この曲、フルコーラスで聞くと男女間できっとこの手の論争が起きるところが実は楽しいのである)、ごく普通に歌いあっていたのだ。
 異変が起きたのは食事を注文するのに時間がかかるので、連続で私が歌った後である。
 「じゃあ、今度は私が続けて歌うね」
 これが連続し始めた。食事の注文よりも歌うほうが目的であることは明らかだった。
 気がついたら後半、ほとんどしげ一人で歌いっぱなしである。
 結局4時間ですよ、4時間。
 8時から12時まで。こっちが「もう遅いから」と言っても無視。とても付き合う体力は私にはなく、最後の1時間は文字通りしげの独演会になった。
 だから私ゃ明日も仕事があるんだってば。
 言っても聞かない。
 しげの眼がイっている。
 しかも私に「これ歌って」と『水木一郎メドレー』なんてシャウト系を要求してくる。んな体力あるかい(~_~メ)。だから『快傑ZUBAT』は福岡じゃ放映されてなかったんで細かいところは歌えんのだよ。
 でも歌ったよ、結局(ーー;)。
 しかたなく最後まで付き合ったけれど、こんなことは二度とゴメンだ。

 途中で歌うのを止めたのは、毎回必ず違う曲を歌うようにする、と決めているので、そろそろ歌える曲が尽きてきたということもある。
 曲は知ってても演歌は歌いたくないし、好きなアニソンはたいてい女性歌手のだし。
 しげと二人だけだとうろ覚えの曲を練習できるので気が楽なのだが、もともと音域が狭いので練習しても結局歌えないことがわかるだけ、という曲も多いのだ。
 しかも新曲で好きになれる曲も少ないし。『コメットさん』の『君にスマイル』はいい曲なんだけどやっぱり女性歌手(^_^;)。


 しげが歌いっぱなしの間、ようやく手に入れた雑誌『ガンダムエース』の創刊号を読む。
 メインはもちろん安彦良和『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』。というよりほかのマンガや記事がしょぼすぎる。
 北爪宏幸との新旧キャラクターデザイナー競演ってのはちょっと酷ではないのか。マンガ家としての力量の差がありすぎるのである。

 もともと、安彦良和の線の持つ「揺らぎ」は基本的に閉塞線によって成り立つアニメには向いていない。安彦良和が参画した数々のアニメーションの中で、最も氏の資質が発揮されたアニメはといえば『クムクム』であろうが、それとても、もともとの安彦氏の絵が持っていた独特の温かみは完成作では半減しているのである。
 20年前とは、安彦氏の絵も相当に変化している。
 アムロも、フラウ・ボウも、等身が伸び、やや面長な印象を受ける。その「絵が変わった」点をもって、本作を貶めることは不当な評価というものだろう。
 未だにどこがどう違うのか明確に答えられる人間が少ないのが困りものなのだが、アニメとマンガは違うのだ。
 似て、非なるもの。
 マンガの止め絵が表現し得ること、静止画の持つ間、コマとコマのあいだの間に、アニメを引退し、マンガ表現に取り組んできたこの10年の蓄積が見事に評価されているのだ。
 流れは一見同じに見える。
 家族を失ったフラウ・ボウをアムロが叱咤し、「走れフラウ!」と叫ぶシーン。
 アムロは涙を流し、倒れたガンダムを、人々を殺戮したザクを見る。
 1ページごとに挿入されるアムロのバストショット。アニメでは一瞬で流す、テンポを考えたら流さざるを得ないワンカットも、マンガでは「溜め」となる。
 時間が止まり、読者はそこでアムロの心の怒りと悲しみを共有するための充分な時間を得る。
 20年以上経って、私は初めてこの「走れフラウ!」というセリフを、まるで自分がアムロに成り代わったかのように感じ、自分の発する声として読むことが出来たのだ。
 まさしく「オリジン」の名に相応しい。季刊誌ゆえに次号は秋の発売だが、週刊ペースで絵やドラマが荒らされる心配もない。おそらくは全20巻にはなるであろうこの今世紀最初の「大作」を読める恩恵に浴したことを喜びたい。

 まだ物語は始まったばかり。
 これから先、安彦さんの描くセイラさんに、ミハルに、マチルダさぁ~んに、ハモン様にララァに会えるのだ(女ばっかりやんけ。それにミライさんはどうした?)。
 ああ、生きててよかった!



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