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2005年04月30日(土)
  出雲路紀行2 <画像あり>

 予定通り朝6時に起き、部屋で温泉のシャワーを浴びて(幸せ♪)、朝食代わりのヨーグルトを食べて7時過ぎに出発。まず目指すは日御碕神社。昨日行った稲佐の浜から海沿いのうねうね道を北上し、ループした先に神社はあります。
 神社の創建自体は相当古いらしく、出雲国風土記にも登場するそうなのですが、天照大神を祀る日沈宮(下の宮)と神素盞嗚尊を祀る神の宮(上の宮)のふたつの社を持ち、風土記の時代にはそれぞれが別の場所に奉じられていたようなので、「日御碕神社の創建はいつ」というのはなかなか難しそうです。
 現在の社殿は、この派手派手しい彩色と権現造から想像出来るように、徳川三代将軍家光の命による造営だそう。でも日沈宮は修繕中のようで、参拝は出来るようになってましたが、全体が工事用の布?網?で覆われてました。でも神様は上の神の宮に遷座されているようです。じゃあここで参拝出来る意味は???

 参拝を終えて朱塗りの楼門をくぐると、やはり朱塗りの手水舎で鳩が水を飲んでいました。


左がホテル前より早朝の宍道湖、真ん中が日御碕神社、右は手水舎で水を飲む鳩。

 続いて目指すは出雲大社。団体客で混み出す前に参拝したかったのですが、参拝時間が朝8時半からなので先に日御碕まで行った次第。海岸沿いを稲佐の浜まで戻り、東へほんの少しで出雲大社。「いずもたいしゃ」と言う人が多い(私もそう)ですが、正式には「いずもおおやしろ」と読みます。

 社号標の横の木造の鳥居をくぐり、木々に覆われた参道を進むと、前方に銅製鳥居。更に参道を進んでふたつめの銅製鳥居の向こうに、大きな拝殿と大きな本殿の屋根が見えます。これが「雲太」と名高い出雲の大社! 平安時代にはこの倍の高さの本殿が聳えていたというのだから、古代の技術力には本当に驚きます。古代神殿心御柱(しんのみはしら)の実物大模型が拝殿の裏側にありますが、でかいでかいと聞いてはいても実際見るとホントにでかいです。百聞は一見に如かず。
 でも、高さ24mを誇る最大の神社建築・出雲大社本殿は瑞垣と玉垣の向こう側。屋根しか見えないのでイマイチその巨大さを実感しきれませんでした。いや、デカイのは確かなんですけどね。普段参拝する八足門の向こう側・楼門の前には、正月五ヶ日や神事の時には立ち入れるようです。
 ちなみに、出雲大社の参拝法は、一般の神社と異なり「二拝四拍手一拝」。これは宇佐神宮もそうでした。

 御守所で今年初めて御神籤を引きました(私、滅多に御神籤引きません)。ここの御神籤は50円。一般的には100円ですから、安いですよね。何でだろう。
 結果は・・・・・・・・・・あれ? 「大吉」とか「小吉」とか書いてない。

第一番
  正直にして、曲った心なくば、神人一体となり、何事も成功せざることなし。
運勢  本年、貴方の運勢は、陰雨に閉ざされていた空が、久しぶりに、からっとはれて、
朝日が差し込んだというような年で、愈々働き甲斐のある年です。
判断  通信 よき返事あり  土木 普請造作吉  結婚 よろし  病気 なおる
  移転 よろし  失物 出る  売買 利あり  方位 東方吉  旅行 よろし

 ・・・総合的に見ると、かなり良いことが書いてあるので、大吉か中吉ってとこなんだろう、きっと。何より「一番」てとこがいいですね。ダンナは第二十七番でした。こっちは多分、中吉くらいなのかな(「衛生には注意を要す」とか良いことばかりではなかったけど、概ね良いことが書いてありました)。てことは、私は大吉相当かしら?

 本殿向かって左にある神楽殿では結婚式が行われていた模様。残念ながら挙式がちょうど終わったところだったんですが、神楽殿前で集合写真に収まる白無垢の花嫁さんをちら見出来ました。
 で、この神楽殿の注連縄がまたデカイ。九州の宮地嶽神社の注連縄とどっちが本当の日本一だろうと疑問に思ってましたが、これは絶対こっちのがデカイ。ただ、この神楽殿はまだ建て替えて日が浅いようなので、それまではどっちもどっちだったのかも。
 またしてもちなみにですが、出雲大社は一般的な注連縄とは逆に縒ります。でも出雲の神社は多くが出雲大社と同じ向き。スサノオを祀る須佐神社も大国主を祀る出雲大社も同じ。基準はなんだろう?


左から参道、銅鳥居前より拝殿・本殿、本殿(の屋根)。

 結構のんびり参拝したので、時間は10時50分。軽く2時間は出雲大社にいたことになります。お昼を食べる場所は決めています。ちょっと距離があるので、時間的にもいい感じ。まっすぐ其処へ向かいます。

 今日のお昼も勿論出雲蕎麦。金〜日・祝日の昼しか営業していないという雲南市の「御そば処 海潮路」にやってきました。待たずに入れてラッキー。
 メニューは割子蕎麦と釜揚げ蕎麦のみ。良い天気で暑いので勿論割子で。でも蕗と筍のおひたしみたいなのと、蕎麦饅頭まで付いてきました。後からゼンマイの酢漬け?まで。すげーサービス!
 ここの薬味はもみじおろしじゃなくてただの大根おろしでした。あとはネギ・鰹節・のり。田舎の民家のようなお店、しかも庭に通じる窓が開け放ってあって半分外で食べてるような出雲蕎麦は、とても美味しかったです。

 ここから少し南下したところにあるのが、須我神社。古事記でスサノオがヤマタノオロチを退治し、宮を造る土地を求めて辿り着いたのが此処。故に「日本初之宮」。有名な「八雲立つ 出雲八重垣妻隠みに 八重垣作る その八重垣を」の歌を詠んだのも此処だとか。とは言え、うっかりすると見落としそうな普通の神社です。

 続いて林道を通って熊野大社へ。出雲大社と並び「出雲国一宮」を称したこともある大社です。信仰の面でも、宮司さんが出雲大社教の管長を務められてるようなので、深い繋がりがあるんでしょう(ちなみに管長がトップではなく、出雲大社の宮司を歴任する「出雲国造」が就く「道統」がトップです)。
 小川の手前に鳥居が建ち、丹塗りの橋を渡ると鳥居と手水舎。階段上の随神門の向こうに拝殿と本殿があります。御祭神・神祖熊野大神櫛御気野命は素戔嗚尊。でも出雲大社と信仰を同じくするんだ。ふーん。
 出雲大社の宮司即ち出雲国造は現在84代目。代替わりの際には、ここ熊野大社の鑽火殿(さんかでん)に奉安されている燧臼(ひきりうす)・燧杵(ひきりぎね)を拝載してそれで火を起こし、「火継(ひつぎ)」=「霊継(ひつぎ)」の式を仕えなければならないそうです。出雲国造家の千家家はスサノオの兄神・月読尊の子・天穂日命の子孫とされます。その代替わりにスサノオの力が要るんですね。出雲の祭祀は興味深い。


左が海潮路の割子蕎麦、真ん中が須我神社、右が熊野大社。
須我神社、右の幟には「八雲立つ清ゝし日本初之宮須我神社御寶前」と書かれてます。

 熊野大社から意宇川沿いに下って国道432号線に出て、古代、出雲国の中心であった松江市大庭町へ。目指すは神魂神社。「神魂」と書いて「かもす」と読みます。
 神魂神社。別名「大庭大宮」。本殿は最古の大社造(「正平元年丙戌十一月日」の墨書がホゾに見つかっているそうなので1346年に建ててたんでしょう)として国宝に指定されています。現在の出雲大社本殿(1744年造替)はここの倍率に設計されたという社伝もあるそうです。
 御朱印を頂きたかったのですが、社務所はお昼時だからか無人(13時過ぎでした)。参道のすぐ手前に社家らしき家が建っていたのでそちらに伺うとズバリ。女性の神職さんが御朱印を認めて下さいました。有難うございます。

 続いてすぐ近くの八重垣神社。縁結びの神様として有名なので、出雲大社は別格として、とても参拝者(特に若い人・カップル)が多かったです。
 此処に訪れたからにはやっておきたいこと。それが鏡の池での占い。社務所で100円納めて白い紙を頂き、それを持って奥の院にある鏡の池に行って、池に浮かべた紙の上に100円か10円硬貨を載せて、紙が沈むスピードで占うという変わった占い。基本が縁結びの神様なので、早く沈めば良縁早く、遅く沈むと縁が遅いということなんですが、吉凶も判断するそうです。というよりは、願いを込めて紙を浮かべ、その願いか叶うか否かの占いのような感じ。池の脇にあった看板によると、早い遅いの境は15分のようです。私は8分で沈みました。何を願ったかって? それはヒミツです( ̄ー ̄)♪ ・・・なーんちゃって。「早く東京に帰れますように」と願いました(良縁は間に合ってますんで)。

 続いて訪れたのが東出雲町の揖夜神社。式内社で旧県社です。ぶっちゃけ須我神社なんかより広々としてるんですが、社務所は開いてませんでした。というか、社務所っぽい建物はあるけれど、「社務所」とも何とも書いていない。
 手水舎の水が出る「龍」がやけに細身でやけに鎌首もたげた蛇っぽかったのと、この辺でサイノカミとか社日さまとか呼ばれているものであろう祠と御幣群、周囲を囲む壁のないがらんとした拝殿中央に備えられた鏡、拝殿背後の立派な本殿(やはり大社造)が印象的な神社でした。


左から神魂神社本殿(国宝)、八重垣神社の鏡の池、揖夜神社。

 ところで皆様、イザナギとイザナミの神話は御存知ですか? 火の神を産んでお隠れになった(=亡くなった)イザナミを追って黄泉の国に行った夫・イザナギが、変わり果てた妻の姿を見て逃げ帰るお話。イザナミの命によりイザナギを追ってきたヨモツヒサメ。その場に生っていた桃の実を投げつけて彼女らを追い払い、黄泉の国との境である比良坂に辿り着いて千引磐(ちびきのいわ)で塞いだそうで。

 その黄泉比良坂(よもつひらさか)と言われる場所が揖夜神社の近くにあります。国道9号と山陰本線が交差する近く。標識に従い踏切を越えて細い道を登ったところにその伝承地はありました。
 「神蹟 黄泉比良坂 伊賦夜坂 傳説地」と刻まれた石碑(伊賦夜坂は黄泉比良坂の別名)、その左脇、楓の若木の横に山桃の木、その奥に、大岩がみっつよっつ。
 ・・・この岩の向こうを進むと、黄泉の国に行けるんだろーか。


左から神蹟・黄泉比良坂全景、石碑、(多分)千引磐(右上の濃い緑の枝葉が山桃の木)。

 揖夜神社・黄泉比良坂は中海のすぐ近く。今度はその中海を大根島経由で渡り、美保関にある美保神社へ。ちょっとだけ鳥取県(水木しげるで有名な境港市)をかすめ、美保関へ。

 辿り着いた美保関は、完っ全に漁港でした。その漁港のすぐ傍に美保神社は鎮座しています。門前には海産物を扱う土産物屋が。いや、土産物屋というより寧ろ魚屋(乾物が多いけど)。車を止めさせてくれますが、売り子のおばちゃんがうるさいです(爆)。

 美保神社はえびす様の総本宮を謳う社。三穂津姫命と事代主神の二神を祀る故、大社造が二棟連なった美保造あるいは比翼大社造と呼ばれる特殊な構造の本殿があります(重要文化財)。

 参拝を終え境内を出ると、またしてもおばちゃんたちの声がかかります。干物美味しそう(鯵の干物は好き)。でも今夜はまだ出雲泊。クーラーボックスは持ってますが、如何せん宿に冷蔵庫がありません。おばちゃんにその旨告げると、「それじゃあ腐っちゃうかもしれないね。怖いね」とおばちゃんも諦めたばかりか、「じゃあこれだけ食べてって。美味しいから」と焼いてあった鰯の一夜干しとみりん干しを少々いただきました。漁港でも土産物屋系は干し物が多いから助かります。これなら食べれるんですよ私。美味しかったです御馳走様でした。買えなくてごめんなさい。


左・美保神社境内より港、真ん中・奉納されてた巨大な鯛の作り物、右・道中見えた夫婦岩。

 美保関から松江市街を抜け、最後に訪れたのは鹿島町の佐太神社。正面に広い駐車場があり、そこから鳥居越しに本殿までよく眺められます。
 さっきの美保神社は二殿並立の大社造でしたが、ここ佐太神社は更に増えて三殿並立の大社造(同じく重要文化財)。正中殿に佐太大神・伊弉諾尊・伊弉冉尊・速玉之男命・事解男命、北殿に天照大神・瓊々杵尊、南殿に素盞嗚尊・秘説四座の神が祀られているのだそう。佐太大神はサルタヒコであるとされ、佐太地方の祖神であるそう。そして南殿にスサノオと共に祀られる秘説四座。気になる。
 訪れたのは17時少し前。既に社務所が閉められてましたが、まだ各社殿前の門は開いている状態。思わず正中殿で「誰かいますように!」と祈ってから境内をウロウロしておりましたところ、門を閉めに神職の方が出てこられました。ラァーッキィー!ヽ(・∀・)ノ♪
 てことで御朱印も無事ゲット。でもこの神社で何より気になったのは、ずーっと随神門に腰掛けて何事か語らっていた高校生くらいと思しきカップルでした。いや別にいいんだけどさ(あたし人妻だし)、写真撮るのに邪魔なんだよね。
 神社はとても良い神社でした。広々としていて、気持ちがよい。しかも珍しい。

 夕飯は勿論またしても蕎麦です。松江市内にある老舗「神代そば」。閉店時間は19時なんですが、売り切れ次第閉店。時間はまだ18時前。閉まってたらその時だってことで行きました。無事やってました。
 ここの蕎麦は、地元産と北海道産・中国産のブレンドのものとどちらか選ぶことが出来ます。折角なんだから迷うことなく地元産を選びましたが、ダンナがブレンドものを1枚追加(割子蕎麦は1枚単位で追加可能。店によっては1枚から注文可能)。比べてみましたが、地元産の方が味も色も濃い気がしました。
 あ、ここの薬味ももみじおろしじゃなくて大根おろしでした。


左が佐太神社、真ん中が神代そばの割子、右は地元産蕎麦とブレンドもの蕎麦の比較。
左が地元産で右がブレンドです。色がちょっと違いますね。写真じゃ判りにくいですが。

 明日の雨は免れなさそうです。一日中雨の中の観光って久々だわ(この私を雨に濡らすとは、一体どんな雨男・雨女がやって来るんだろう・・・w)。


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・過去の「今日」。


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