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■ 2009年01月24日(土) なのかかん
1週間前、愛媛で一人暮らしだった相方の祖母が、急逝しました。
日曜の午前、家を訪ねた叔父(義父の弟:松山在住)が風呂場で倒れて冷たくなっていた祖母を見付け、泣き崩れながら義父母に電話してきたそうです。 祖母は昭和の生まれで、享年79歳。私たちも元旦には電話で話をしましたし、去年の7月には札幌に引っ越す前に会いに行っています。最近少し呆けてきたところはありましたが、それでも全然お元気で、土曜も義父と40分ほど長電話していたのだそうです。 死因は、心筋梗塞とのことでした。死亡推定時刻は、前日の夜遅く。「このレベルの心筋梗塞だと、たとえ隣で寝ていても助けるのは無理だろう」というのが、お医者さんだか警察だかのお話しだったそうです。 傍にいても助けられない程の発作、そして一人暮らしで毎日誰かが様子を見に行っていた訳じゃないのに、たまたま週末だったから、短い時間(半日以下)で見付けられたこと、それがせめてもの救いです。
何の予兆も見せず、突然の訃報。私たちも日曜の昼前に義父から連絡を貰い、急いで飛行機を予約して、月曜、お通夜の前に愛媛の祖母の家に行きました(ちなみに直行便がないので関空でトランジット)。
幸か不幸か、私は年齢の割に葬儀の経験が多いと思います。しかも野辺送りをするような古い葬儀も2回やっているし、仕事で葬送儀礼の調査もしています(お話しして下さった調査対象者のおじいさんに「もうここで葬式出来るな」と言われました)。なので、慌ただしくしながらも、さほど戸惑うことなく、悲しみに暮れる相方の家族・親族のサポートをしていました。
一番の大仕事は、一人きりでの夜伽。葬儀までの間、お線香を絶やしてはいけません。うちの実家では夜伽用の長くて太い線香を使うのですが、ここでは普通の線香。うっかりするとすぐになくなります。 前の晩も1時間程度しか寝ていない義母や伯母に代わり、私が一晩完徹でお線香をあげました。 まさか祖母も、自分のお通夜で私が一人で夜伽するなど想像もしなかったでしょうね。まあ一人だった時間は1時間半くらいですが。
義妹夫婦も、1歳に満たない姪を連れてやって来ました。子供は嫌いですが、祖母はたった一人の孫娘(相方のいとこは男ばかりなのです)とひ孫に会いたかったでしょう。私より優先して祖母に会うべき子ですから、文句は言いません。私よりもお別れをきちんとしたいだろう義妹のために、焼香の時なんかは私が姪を(ごく短時間ですが)抱っこしてました。 親族しかいない場でも、きちんと授乳室なりトイレの個室なりで授乳していた義妹は今時偉いと思います。
突然の祖母の死はとても悲しいものですが、でも悲しみを共有したことで、私はやっと相方の両親や親戚と、家族・親族になれた気がします。
義父母やおじ・おばたちは、まさかこの嫁が事実婚になってて名字が元に戻ってるなんて、想像もしないでしょうね。でもそのことがバレるようなことがあった時、戸籍上のことなんか関係なく、家族は家族だと思ってもらえるようになっていたらいいな、と思います。
家族なんて、そんなものです。紙切れより気持ちの問題です。私はそう思います。
祖父母はとても仲の良い夫婦だったそうです。今頃祖母は、天国で待っていた祖父と笑顔でお茶でも飲んでるかしら。祖父が亡くなってからの10年分の思い出話なんかしながら、ね。
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・過去の「今日」。
2008年01月24日(木) 音信不通day <画像あり> 2007年01月24日(水) 使用言語:渋谷系 2006年01月24日(火) 雪降る道・雪積もる山・雪凍る道 <画像あり> 2003年01月24日(金) ナイスアイディア <画像あり>
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