▼0時、帰ろうと思ったりしていると「納品前倒しでちょーだい」の連絡。突っ込む気も失せたので、とっとと出来てる分を仕上げる。そして、逃げるように帰宅。手入れを忘れたエアコンは唸るだけで一向に動く気配は無し。とりあえずソファベッドを倒し、かき集めた掛け布団にもぐりこんでPSX起動。「爆笑問題のススメ」と「サイエンスZERO」がばっちり取れてる。そういえば、録画という概念は今まで無かった。ビデオは面倒だし、PCでキャプチャーするのはもっと面倒。こういう使い方だけならPSXいいね。 ▼糸井重里は埋蔵金探しているときが一番輝いてたなぁと思いながら、サッカーライフ起動。ロード長い。子供の出来ない中田を諦め、引退することを決意。フィールドのマジシャン、さようなら。最初に作成した選手がプロ契約までこぎつけたので見てみると、能力的に使えないということが判明。いっそのことデビュー前に引退ということで。 ▼何かしら買った意義みたいのを見つけるための、作業となりつつあるサッカーライフを切り上げ、読書。「採用の超プロが教えるできる人できない人」安田佳生/サンマーク出版。タイトル長いよ。にしても、最近はこういう類の本を読む年になってしまったのかと、少しばかり気が滅入る。まだ辛うじて「人生の楽しみ方」とか「一億円稼ぐ本」とかを読まないだけ救いがあると信じたい。読んでみて思うのは、どれも目新しい言葉ではないということ。「バカの壁」なんかもそうだけど、読み手に「確かに」と同意を抱かせる事が出来る内容であって「そうだったのか」という新発見を与えるものでは無い。再発見って言うのは抵抗があるけど、あやふやに思い感じていたことを筋道立てて読まされる「確かに」に読者は惹かれるんだと思う。特にこういう本を読む人は自分の考えを肯定してくれる事を望む場合が多いわけだし。考えの否定を真正面からぶつけ、読者の人生観を変えるような本はそんなには無い。そう考えると「十二国記」の説教っぽいくだりやセリフなんかも同じように感じる。まあ、青臭い説教を他人からストレートに食らうより、ストーリーの中で登場人物の生き様として受け止めたほうが遥かにいいとは思うけど。で、当の採用のプロのお言葉「自分で仕事を作り出せる人間」「段取りがいい人間は、シミュレーション能力が高いから、問題が起きる可能性を頭の中で予測して行動する。結果、常に先手を打つことができて、問題を回避することができる」などなど。自分で仕事を作り出せる人間というのが活きる環境というのは、得てして作るのも維持するのも難しい。シミュレーション能力の高い人間は、シミュレーション外の出来事に直面するとドつぼにはまる。まあ、確固たる側面からしか語れない類の内容だから仕方が無いけど、常々こういう本は「大前提」の元にしか成り立たない気がする。中小の企業主が本当に望むのは、弱基盤の状況下で最大限の効果をあげる術じゃないだろうか。いわば、即戦力になる本。根本的な改善が出来ない体力だからこその中小なわけだし。過酷な状況、その場をとりあえず乗り切る術の本、なんての無いかなw ▼遥かな高みを目標に進むことも必要だけど、足元疎かにすると転ぶよ。なんて事を考えていると、社員の一人から電話。納品物を受け取りに来た人が、会社に誰もいないと連絡を寄越してきたらしい。納品物仕上げても、渡さなきゃ意味無い。とほほ、って感じ。まあ、いい経験になるだろうから放っておく。部署内のミスは部署で片付けるようになればいいんだけど。しっかしこうなると、この本が恨めしいな。 ▼昼過ぎ、会社に入る。仕事無い。山を越えたのか、谷に落ちたのか。出来れば山のほうであって欲しい。壊れたPCのソフトをインストールしつつ、机の上を整理。小さな小包発見。昼辺りに届いたとの事。また何か無駄遣いをしたかと思いつっつ封を開けると、中から「A3」が。あー、そういえばリミテッドサービスキットって言うのが当たったんだった。 ▼オンラインゲームの市場と家庭用ゲームの市場。今はまだ家庭用ゲームの市場の方が遥かに大きいけど、3・4年の内には逆転するかも。ただ、10年くらいの期間で考えると、もう一度家庭用ゲームの市場にシフトしていく気がする。ゲームをコミニュケーションの道具として考えるか、プレイヤーの娯楽として考えるかで大きく変わる。オンラインになれば1人のユーザーに対して特化した娯楽を提供することが不可能になるはず。複数のユーザーに特化した娯楽を与えれば、それは特化ではなくなるし、ユーザーの競争心を掻き立てるシステムでは先が知れてる。大多数を焦点にするよりも個人を焦点にしたほうが質は違うわけだし。この場合は娯楽の焦点を独り占めできるか、複数で分け合うか、の違いか。今はコミニュケーションがその間を埋めてるけど、ネットコミニュケーションが慢性化したら、何で差を埋めるのだろう。
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