(スルーの方向で)。 - 2005年02月02日(水) もともとが多分、 あまり生きようという気持ちが 少ないほうだと思うのだけれども それはきっと、 かなり愛されて育っているほうだし 性質的にも我慢がきかないほうで 言いたいことは言い やりたいことはやり 欲しいものは買い 行きたいところには行き きらいな人とは付き合わず 好きな人にはべったりで 「あとでのお楽しみ」がないせいもあってか。 なんとか頑張ってみようとは思ってここまできたけど 人より多い出勤日数で 誰より遅くまで働いて それでも次から次へと追い立てられて 仕事の精度が底なしに 低下していくことに耐えられない。 精度が下がっていることによって 例えば、 頼まれていないけど気付くべきだったこと、とか、 返事待ちのまま催促していない、とか、 私の本来の業務ではないけれど 通常のペースで仕事が出来ていれば 容易にフォローやアラーム発信が可能なことについて 今のペースではとてもではないが手が回らない。 しかし、大概問題になるのは そういったことをトリガーにしていれば 防げたことばかりなのだ。 気付くべきだったと思うし 気付けたのは社内で私だけだったとも思うし しかしそのことで責められるのは どうしたって肚にすとんと落ちていかない。 やるべきことをやっていなかった人より やっていないと指摘しなかった人の責任が重いのか、 催促しても来ないものを いつしか業務に取り紛れて催促せずにいたものは 出さなかった人よりも 催促しつづけなかった人のほうが悪いのか。 子どもじみていると言われようとも 私には正論でしかものが考えられない。 もう、無理だと思う。 気持ちを切り替えることがもう出来ない。 このままずっと繰り返されるのだこういうことが。 精度を下げることも必要だというそばから しかしミスが発生した際には 精度を下げるべきではなかったと言われるのだ。 では精度を下げていい仕事とはなんだ。 あるいは精度を下げても ミスに繋がらない仕事など存在するのか。 精度を下げてもいいくらいなら 最初からやる必要のないことなのではないのか。 ばかみたいに工数をかけたのに、 追加業務によって優先順位を下げられ もう2年持ち越している仕事がある。 やってなくても困らないなら やらなくても良かったのではないのか。 …捨てていいかと問うたら、却下された。 自分のしている仕事に 意義が見えなくなったら終わりだと思う。 もういなくなることしか考えられず せめて出来ることは何でもしてあげたいと この間からずいぶんとレスが早いので おそらく現場は少しいぶかしんでいよう。 これまでずっと後回しにしていたのに あれやこれやと手伝っているしなあ。 しかしそれに押されて 大型案件が進まないのも事実なのだけれど。 すぐにでもいなくなりたいのだ。 いついなくなるか自分でも分からないので いなくなってもとりあえず困らないように。 私がいなくなって回らなくなることは何もないが 当座慣れるまではギクシャクすることもあろう。 担当者が不慣れでも、暫時不在でも 現場がなんとかなるようにしておきたい。 ただそれだけ思う。それだけ。 ...
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