銀色の日記
モクジイク?モドル?ススム?


2009年09月01日(火) Chronicle 虎徹

2003年4月27日生まれ、桜の子供の虎徹(こてつ)
5匹兄弟で生まれました。
先日亡くなった樹(いつき)と兄弟です。

虎徹の呼吸の異常に気が付いたのが、約3ヶ月前の5月の末。
胸の辺りが大きく波打っていました。
この症状は2年前に亡くなった半蔵と同じ。

呼吸は大きかったのですが、それでも最初の頃は元気でした。
ご飯も普通に食べていました。

少し食が細くなってきた頃から、虎徹の好むモノばかりをあげました。
缶詰、ササミのおやつ、少し値段の高いカリカリ・・・。
音を聞きつけては食べに来ていました。

体調が悪くなってからの虎徹の居場所は
最初は玄関を入ったすぐの三畳間に置いてある二段ラックの上
それから、食堂と台所の境のアコーディオンカーテンの前
テレビを置いてある部屋の階段横の襖の前
いつもの場所に虎徹がいないと慌てて探しました。
見つけて顔をのぞき込みます。
長くなって行き倒れたような格好でいつも寝ているので
瞳孔が開いたままになってはいないかと、そればかり心配で不安で
虎徹を見る時はいつも一番に目を見ていました。

9月1日。
午前中外出していて、家に帰ったのが1時前。
ネコのカリカリを買いにホームセンターへも行こうと思っていたのですが
遅くなったので一旦家に帰ることに。
帰るといつも寝ている場所に虎徹がいません。
「虎徹」と呼んでみたけど返事はなし。
前の日は元気だったので、その時はさほど気にしていませんでした。

しばらくすると2階から「ウーウー」といびきのような
大きな息が聞こえてきました。
慌てて2階に上がると虎徹が横たわってうなっていました。
瞳孔が開いたままになっています。
何度か苦しそうに大きな息を繰り返し
「もうダメだ」と思い、膝に抱いてやりました。
最後にまた大きな息をして、虎徹は息を引き取りました。

とても甘えん坊な子だったから、きっと私を待っていてくれたのでしょう。
家に帰って30分もしない間の出来事でした。
あのまま買い物に行っていたら、虎徹の死に目に会えなかったかも・・・。

前の日は、ササミのおやつを少しですが自分から食べに来たのであげました。
この時も樹を火葬に連れて行ったりで疲れていたので
「明日にしようか」と思ったのですが、思い直してあげたのでした。
最後に大好きなササミのおやつを食べさせてあげられて良かった。
次の日にしていたら、本当に後悔していたと思います。

でも、まさか樹の死から一日開けて虎徹まで天国に旅立つとは思ってもいませんでした。




一番左端が虎徹です。







小さい頃から甘えん坊で、私の姿を見つけては
「ピキャー」と鳴いて呼んでいました。
兄弟一オバかな子で、虎徹の呼び名もポテツとかポテチとかポテッたんとか
徳島にいた頃、那賀川に住み着いたアザラシの『ナカちゃん』に似ていたので
ナカちゃんと呼ぶこともありました。

夜、寝室に入ろうとすると必ずやってきて「ナァァァァー」と鳴きながら抱っこをせがみました。
何度か抱っこはしていたのですが、元気な頃はかなりの重量級で
腕がだんだん辛くなり
「明日にゃ、また明日」
これが毎晩の行事のようでした。

6歳という若さで亡くなった虎徹と樹、この子達を思うと
今でも淋しさと辛さと後悔で胸が押しつぶされるようになります。
幸せだったでしょうか?
この子達はワタシと一緒で幸せに過ごせたでしょうか?
いつもそればかりを思います。

※この日記は虎徹が亡くなってから約1年後の8月15日に書きました。


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