親戚が少なく、かつ遠方だった私には、 血のつながりはないけれども叔父叔母に等しかったご夫婦がいる。 その「叔父さん」ががんにかかってしまった。 発見が少々遅くなってしまっていて、とても心配な状況なのだ。
先日、母とふたりでその人を訪ねてきた。 お見舞いとかではなく、私の祖父母のお墓参りをしたついで、と 嘘の理由で来て欲しいと奥さんに言われていた。
まずこの段階で違和感。 母はともかく、お盆でも命日でもないタイミングで私まで?と。 不自然さ満載である。 そんな不自然を押し通さないといけないなら、 私は行かないという選択肢も考えた。 不自然な嘘の方が、よりおかしいと思うからだ。 さらに、ご主人も自分の病状も私たちがそれを知っていることも 全て承知だというのだから。
少しもめた。
「蒼月が行ってくれたら、お父さんも喜ぶし お母さんだって嬉しい」
「あれだけお世話になったんだから、 蒼月だっていくべき」
「おばちゃんだって、きっと来て欲しいと思ってる」 (これって単なる推測なのだ)
そんなことをいわれて苛立った。 すんなりと「行くよ」といわない私に母は言った。
「そんなにカチカチカチカチ四角四面に考えないで、 世の中には見え透いた嘘でもお見舞いに行った方がいいこともある」と。
私が行く理由は、そんなくだらない理由じゃない、と思った。 母からの「世の中論」に怒りが込み上げて来た。
会いたいから行く。 手持ちのがんに対抗できるかもしれないささやかな「道具」を 自分が持っていって届けたい。 でも、それが先方が望まないことならば、 私は行かないのだ、と思っていた。
怒り炸裂。 そして、自分のエゴだけでは絶対に行かない、と行った私に 今度は母が涙声でこう返してきた。
「お母さんはエゴを通したの。 お母さんがどうしても行きたいから だから行かせて欲しい、って言ったの」と。
結論から言うと、たくさんの物を抱えて私も行ったきた。 喜んでくれた。泣かせてしまった。 なぜか引き気味でがんに有効かも知れない情報すら伝えない両親だが、 私は時間勝負と思ってどんどん伝えてきた。 気に入ったものだけ使ってもらえばいいから。
***
母から電話。 先日の訪問の後、落ち込んでいるという。 親しかった人の大病。 心配で気持ちが沈むことはあるかもしれないけれど、 なんで?と思ってしまった。 なぜなら、ご本人は戦う気まんまんで、 奥さんも全力でサポートするつもりでいて、 病名は深刻だけれど、今はまだ絶望の段階にないのだ。
私も衝撃は受けた。 でも、できることをしよう、と思って私なりの情報収集をしている。 分かれば、出来るだけ早くそれを伝えている。 もう時間的な猶予はあまりないから。 気になるものがあれば、できそうならば、すぐにでも開始して欲しいから。 その選択の幅を増やして欲しいと思うのだ。
母たちは、以前こう言っていた。 もし情報収集が行き詰って手詰まりになったら、 今手元にある情報を教えてあげようと思う、と。 手詰まりになってからでは遅いと思うのだが、 あまり騒いで煩わせたらいけないから静観したいらしい。 私が頼まれて調べて見つけた情報も、母のところで待機状態。 不思議だなぁ、と思う。
その時、一度だけ私の考えを母に伝えた。 そんな猶予があるのかわからない状態で、 おばちゃんひとりで情報収集していて、手が足りているとも思えない、と。 そして、とても親しかった間柄に見えるけれど、 そんな遠慮が必要な関係なのか?と。
「もちろん、一番の親密な知り合いだよ。 大切な友人だよ。 変な遠慮は要らない関係だよ。」
と母は言っていた。
後は、両親の考え次第だ。 私は私で思うように行動しようと思っている。
少し分かってきた気がする。 親と私は違う人間だということ。 そして、親と違う意見のとき、別に従わなくてもいいということ。 逆に、私の思いも強要してはいけないということも。
そして、私はやはりかなり「熱く」て 思っているよりうんと激しい人間なんだな、と思った。 熱さは、気をつけないと相手を害してしまう。 そこだけは気をつけねば。
残念だけれど、両親と私はあまりにも考え方が違う。 年取って丸くなったとか、そういうことではなくて、 年取って余裕があるとかいうことでもなくて。 うまく言えないけれど、なんだか変だ。
もっとも、私には違う甘えがある。 おじちゃんとおばちゃんと呼ばせてもらってきて、 親子の年齢差があるから、という甘え。 両親がするかもしれない気遣いも、あえてしないのかもしれない。 そこは擬似姪っ子ということで免除してもらうつもりだのだろう。 そういう意味では、私も厚かましいのだろう。
|