21世紀猫の手日記
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2025年02月25日(火) |
30代のころ きもちをきりかえたい |
精神系の薬は飲んでいたが、はっきり言ってもやっとしただけで、そんなに聞いた感じはしなかった。眠いだるい……気持ちはというとぼーっとはしていて、焦点ははっきりしないけれど、嫌だとか怖いとかそういう気持ちは続いていました。
そりゃそうだよなとおもいます。たとえば同居家族から暴力を受けていて、悲しいとかつらいとか涙が止まらないとか、そういうので薬を飲んだとしても、その原因の同居をやめないとどうにもなりませんよね。
それと同じで、電話線を普段つなげたくないレベルで親と関係したくないんですもの。親と電話線がつながるくらいなら、友達とつながらなくてもいいレベルってやっぱり、相当だよなと思う。本人は普通にそうしていたけれど……。
あなたたちといると、命令ばかりでこちらの話を聞かないので、精神的に具合が悪くなる。家に帰るのをやめさせてほしいとお願いしたら、そしたら向こうからくるという。それは、具合が悪くなるから来ないでくれと、いった。いったがそれを理解してくれる人たちではない。家へ帰ったからと言って、私と話をするわけではない、父は勝手に本を読み、母は手芸したり料理をする。私の話は聞いてもらえない。
私物も本も捨てられて、自分のものが一切ない家にいってどうしろと?TVもみれないし、本持って行って読むくらいしかないんです。こんなんなー。薬を飲んだってこの人たちとかかわっているうちはよくならないなと今思う。当時は嫌々帰るのがあたりまえだったし、仕事をするのにも許可がいると思っていたのでなんともだ。バカだなと思う。
それでも好かれたいと思って、途中の農家で野菜をかっていったりした。喜ばれはしたが、それで私の立ち位置がかわることはなかった。彼らは支配したかったのだと思う。独立して行動してもいいってだれか教えてあげて欲しかった。そんな親のゆうこと聞かなくっていいと。実家へ行くのが苦しくて吐いている状態なのにいかなくてはいけなかった、いけないと思い込まされていた私を誰か助けてほしかった。
父がガンで一気に体力が落ちてきた時、助けたかったけれど、助けられなかった。死んだのが10月だけど、3月くらいまでは暴言がすぎて、あった後私はダメージを受けて1週間くらい毎日泣いたりしてしまうので、行けなかった。叔母と一緒なら、そこまでひどくないのでまだいられたけれど、一人ではいきなくなかった。
死ぬまでの間、近所に住むとか転職するとか考えた。最後だから無理をしてもいいのでは?でも、できなかった。私がもう嫌だと泣いて頼んでも、来させていたのだ。しょうがないなとおもう。家の感じもおかしくなっていて、長時間いられない感じになっていた。
就職したら、手を放してくれればよかったのに。そうしたら、連休とか年1回か2回は自主的に帰っていたでしょう。忙しい時は会えなかったかもしれません。でも、死ぬ数か月前は休職するなりなんなりして、一生懸命一緒に過ごすということもできたかもしれません。とても残念です。
もともとは愛情からだったかもしれませんが、両親が私にしていたことは精神的な虐待です。私の心が傷つくようなことを、長期にわたって言ったりやったりしていました。投票なんかはもう強要ですよね。嫌だからやめてっていってもやめてくれないんだもの。
暴力は、比較的わかりやすいですよね。でも、こういう形での支配っていうか洗脳っていうかコントロールも虐待っていうか、精神的な暴力だなと思います。あ、これ…自分でやってるにもかかわらず、自分で選んでないんじゃねぇか!って気がついた時の絶望感と言ったら、ひどいものです。(この表現も、ある意味被害者じゃないとわかんないかも……)
うまくいえないけれど、精神の基本位置がものすごくつらいというところからスタートしている。これで、なにかの罪悪感があったら、すぐ自殺しそうな感じとでもいうのかな。見ないふりはたまにあるけど、大体最善を尽くしているので、希死念慮は奇跡的に低かった。
うーん、きりかえたいけど、なんか支配が長いからねぇ。むずかしいな。来月から、ちょっとジムへ行ってみようかと思う。元気がいい人に囲まれてみるというのも手である。
zaza9013
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