前回の日記のタイトルも「涙」だったのですね・・・ 乃南アサさんの『涙』を昨日と今日で読みました。
昨日と今日、私は京都に旅行に出かけていました。 弟の卒業式があるというので、ちょっとだけ暇になったこともあって出かけました。 東京から京都までのぞみで約2時間20分くらい? その間に暇つぶしのために読む本を東京駅のブックガーデンで買いました。 それほど時間はなかったので、平積みの最前列にあるもので、上下巻になっている本を選びました。それが『涙』だったのです。
正直こんなに泣いた本はなかったです。 私の精神状態もあったんだと思いますが、途中から最後まで胸が締め付けられる思いを主人公である萄子と共に味わい、最後の宮古島の場面ではあり得ないくらい泣いてしまいました。なんと言えばいいのか。「人生にはこういうこともあるのだ」とありましたが、ほんとにそれに尽きる、なんとも切なく苦しい内容でした。
読んだ後の気持ちの収集がつかなくて、ほとんど開かなくなってしまった日記を書いています(笑)
京都に出かける朝、というかそれより前から、旦那サマが会社でつらい思いをしていて、それを受け止めきれていない自分を感じて、おまけに旦那サマをふがいないとまで感じてしまうような、もうだめなのかもしれないという短絡的で浅はかな考えが心の中で渦巻いていました。
京都に向かう朝はそれが特に強くて、新幹線に乗ってもしばらくはしかめ面でした。たぶん名古屋にもうすぐ着くという頃まで。その後もいろんな思いが交錯していました。
旦那サマと出会った頃の気持ちや、その頃から結婚してしばらくまでの旦那サマの様子。 生活するということの大変さを実感して、押し寄せてきた焦燥感のせいで不安になってしまった毎日。 だんだん疲れて笑顔がどんどん減っていった旦那サマの様子。 自分にはわからない、自分にはどうすることもできない旦那サマの会社のこと。 そして自分自身の将来のこと。
いろんなことがほんとに渦巻いて、自分の頭の中がそれこそぐるぐる、どろどろしていました。そんな状況の中で、『涙』を読んだのでした。
話の中の状況と自分の状況はまったく重なる部分を持たないにもかかわらず、読んでいる間中旦那サマの顔が浮かんできて、とても辛くなりました。 当たり前のことなのに、実際にはできない「精一杯やること」を教えられたような気がしました。
なんだか上手く結論をまとめることができませんでしたが、せっかく自分が望んで叶った縁を精一杯大切にして生きなければならないということを教えられたような気がしました。
あと、全然関係ないのですが、この本を読む前にまだできるかもわからない自分の子どもの名前を考えていて、その名前というのが「陶子」でした。漢字は違うけど。 ただの偶然でしょうけど、今はいろいろ結びつけて考えたくなってしまう今なのでした。
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