きっと どこかで
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先日、我が子の小学校の授業参観日だった。ちょうど、旦那の指定休日になっていたので、旦那に行ってもらった。ここ1年ほど、旦那は、平日に指定休日があり、その日は、子供が学校から帰ってからずっと一緒にいるので、子供達の様子もわかってきたようだ。子供が軽度発達障害というのも、理解できてきたようである。
参観に行くのは子供の状況の深刻さを理解し始めたからだろうか。どちらにしろ、私一人で抱えきれるものではない。旦那にも、学校での状況を理解しておいてもらいたい。
私の場合は、周囲に理解者がいるので、それが幸いだ。いくら子供を育てた事がある人でも、我が子のような子供を育てた事のない人には、いくらいっても理解してもらえないのか、と思う事がある。前は理解してもらおうと、思ってやってきたが、無理なのだと最近わかった。
私の場合は、旦那が理解をしてくれるようになってちょっと楽になった。前は、家庭内で子供を激しく叱ったりしたら、旦那に怒られたものだが、今は、その心情も理解してくれるようになった。(普段は、あまり激しく叱らないように気をつけているつもりでも、たまに、自分の気持ちに余裕のない時など、そうなってしまうことがある。)また、旦那はテレビ漬け人間で、子供がテレビを見て、宿題や明日の準備などにとりかかろうとしない時、テレビを消したら、すごく怒られたが、これも、怒らなくなったし、子供と一緒に部屋に行って、手助けをしてくれるようになった。
また、子供自身も少しづづではあるが、成長をしていることは感じる。普通の子供よりは遅いかもしれないけれど。逆に、他の子供より優れているなあと感じるところもあるんだけどね。それは、持って産まれたものだろう、何か特別なことをしていたというわけではないから。
ただ、我が子を、障害と理解できる人は、その道の専門家くらいだろう。たいていは、親や周囲のしつけなどが悪かったと思うのだろうか。それでもいいんだろう。もしかしたら、それがいいのかもしれないとも最近思える。
今、子供が通っている、小学校の先生方はじめ、我が子の周囲の方々は、親身になって、我が子にとりくんでくださっている。ほんとうに頭の下がる思いだ。子供の将来のために、良い方法を、と考えてくださっている。
今日は久々に自宅パソコンの前に座った私。そう、結構色々忙しいのよ〜。
1月の行事が先々週一つ無事終了した。「ヤマハJOC地元店大会」今年は我が子はピアノで出場した。(去年は歌で出場)
※JOC=ジュニア・オリジナル・コンサート (子供が作った曲を演奏(自作自演)するものである。)
いやあ、こういうの、好きな子供もいるかもしれないけど、我が家の場合は、ちょっと大変だったなあ。まず、モチーフを作って先生に見せる。それも、我が子の場合は、歌うことはまあ出来るが、そのメロディーをピアノで弾いたり、ましてや楽譜にするなど、自分一人では出来るものではなかった。
まあ、子供の気分がのっていそうな時にメロディーを歌ってもらってそれを聞きながら私が五線譜に書き取る。これも、以外と大変で、聞きながら、あれ、これ何拍子?四拍子かな?と思いながら書いた。最初聴いた時はアウフタクトで始まるメロディーに聞こえたんだけど、そうじゃなかったかな、と拍子の線の位置を変えたりして・・といった具合。
そして持っていって先生に見せると、まずメロディーについての修正指導があった。(これは子供が理解できなかったらしく、私に説明があった。)曲の構成(A-B-A形式のような)についての話だった。
その後は、子供と先生とで話し合いながら曲を仕上げていったようである。出来あがった曲の楽譜を見て、「ちょっと難しいんじゃないかな、我が子のレベルにしては」と思った。
メロディーの方は、そう変えられないから、左手伴奏をもう少し簡単にしたらどうか、と子供に言ったが、練習して本番までに弾けるように頑張る、とのことだった・・。まあ、頑張ると言ったが、本番でうまく弾けなくてはかわいそう・・と思い、本番前の半月ほどは、私も練習の手助けをすることにした。
それで、なんとか、本番までには、弾けるようになっていた。 一応、人に聴かせられるレベルにまではなっていたと思う。
コンサートの最後に、講師の先生の講評があったのだが、まさしく我が子の演奏のことを言われているようだった。
本を読んでいるのにたとえると、棒読みのようだった、メリハリがない、曲の中の聴かせどころが浮き上がって聞こえてこない・・。
私は、やはり、ちょっと、難しかったんではないか、と思ったんだ・・。先生は、我が子に、このくらいは、弾ける、と思ってくださったのかもしれないけど・・。曲は確かにとてもいい曲に仕上がっていた。演奏者の技術がそれにまだ、追いついていない、ということだろうなあ・・。
でも、自分で作曲した曲を人前で演奏出来るなんて、子供達にとっては、いい思い出になることだろう。編曲や練習で苦労したことも含めて。
今回の年末年始は、掃除を中心にやった。
去年、職場に来ているダスキンのお姉さんから買ったお掃除セットでキッチンを磨く。汚れがひどい場合は、洗剤をつけてしばらく置いて、とあるので、そうしたら、油汚れがきれいに落ちた。あと、こんろ下の汚れは、スチールたわし(洗剤を含ませたもの)(これもダスキン製)で軽くこするとほんとにピカピカになった。ついでに、流しもこれで軽く磨いた。
あとは、たまっていた部屋の片付け。ダイレクトメールやら、請求書やら、来たものをそのまま、積み重ねてあったものだから。これも、もう、1ヶ月分くらいを残して、全部処分した。ただ、個人情報が入っている書類もあり、これは処分に気を使った。
以前買っておいたシュレッダーで粉砕しようとしたが、パワー不足で時間がかかってイライラ。しょうがないので、前のとおり、細かく破って処分することとした。
また、来ても全然封も開けていないものも半分以上あり、もったいないことをしたなあと思った。特に、定期購読している雑誌とか。読む時間がないなら、購読をやめてもいいのかと思うものもあった。
もったいないので、整理がすんだ年始にボチボチ読んでいるところである。雑誌の中でも、全部が自分にとって必要な情報というのでもない。あまり自分にとって重要でないと思うものは、軽く、さーっと読み流す。これは、自分に重要と思うものは、時間をかけて読んでいる。これを、普段も、雑誌などが届いた時点ですればいいのだろう。
でも、時間がある時にゆっくり読もう、と思っていたのだ。そう思っても、なかなかそんな時間はとれないんだなあと思う。
掃除が終わってしばらくはきれいだけど、また、だんだんと汚れてくるんだろうなあー。
2003年12月30日(火) |
サンタさんのプレゼント |
先日、子供達に、クリスマスプレゼントを渡した。(クリスマスイブの日に)
今年は、ゲームセットを買ったのだが、私達親は、次の日は仕事で昼間家にいなくて子供達で、ゲームの最初のセッティングをしたりするのに不安があった。
そこで、イブの夜に、「サンタさんからもらってきた」と言って、このプレゼントを渡したのだが、子供達は、その後も、「自分のところにはサンタさんは来ていない」と言っているらしいことを聞いた。
そのプレゼントは、私(お母さん)が、サンタさんから、もらってきたもので、自分達へのものではないと思っているらしい。
近くに住む私の親には、「オレ達、いい子じゃないのかな、だからサンタさん来ないのかな」とか言っているらしい。
私の親には、「ちゃんと、枕元に置いてあげなかったお前が悪い」と言われるし・・。
クリスマス 〇〇家(私の妹の家)には サンタ来る
という俳句を作って書いてあるのを発見!まだ、自分のところには来ていないと思っているらしい・・。
色々考えたけど、結局、枕元に、お菓子を置いて、「サンタさんからのプレゼント」というのをすることに。また、去年と同じ27日の夜になってしまった。
まだサンタの存在を信じている子供達を相手にクリスマスプレゼントをするのは、頭を使うなあ・・。
26日書きこみ分ちょっと修正追加しました。
2003年12月29日(月) |
「世界に一つだけの花」の歌詞に思う |
先日の書きこみの続きになるんだけど。
先日は、共感できない部分がある、というところを書いた。でも、全体的には、この曲、メロディーも歌詞も好き。
この曲では、「花」というものは、人間が生きている状態を表しているんではないか。そう考えれば、いいのではないかという気がしてきた。
それなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる? 一人一人違うのにその中で 一番になりたがる
おそらく、このあたりの歌詞に共感を覚える人が多いんだろうと思う。
一番になりたがる人が多いの?そう、若い人達は夢を持って、上を目指す事を考えればいいと思う。
でも、先日も書いたけど、私くらいの年齢になると・・。
自分自身の程度というのが自分で分かってくるから、半分あきらめも出て来たり・・、でも、ここまででもがんばってきた自分を自分なりに、それなりに、「私って、結構やるじゃん」とか思ったりもして。
花屋の店先に並んでいるのは、選ばれた花。それだけで素晴らしい・・。
生まれてきたというのは、それだけである意味すごいことなのかもしれない。私の母の時代も、産む事・産まない事を選べた時代。私は、選ばれて産まれてきた、と言えるのかもしれない。(どんな子か、というのまでは、選べないのは、母の時代も私の時代も一緒だけれどね。)
私の場合は、子供を選んで産んだというより、なかなか出来なかったので、待ち望んで産んだ、と言えるだろう・・・。
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