きっと どこかで
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昨日の日記にも書いたとおり、私の母方の祖母は小学校の先生だった。だから、というわけでもないが、私の母も、小学校の先生になりたい、と思ったそうだ。でも祖母から反対されたそうだ。
祖母は、仕事もしながら家事育児をこなしてきていたが、元々身体が丈夫でなかったのか、しんどい思いをしていたらしい。そんなことは、自分の娘にはさせたくない、ということで、平凡な(昔でいうところの)家庭の主婦になるように言われたらしい。母は祖母が亡くなる前に、自分には、今いる兄弟以外にも、子供がいたことを知ったらしい。生まれても、仕事をしながらで、昔のこともあり、小さいうちに亡くなってしまったのだそうだ。死が近づいた頃、うわごとのように、亡くなった子供の名前を言っていたそうだ。祖父に聞いてそれが、小さい頃に亡くなった子供の名前だということを知ったそうだ。
仕事自体は、祖母にとって楽しいものだったようだが、家庭では、大変な思いをすることが多かったようだ。そのような思いを自分の娘にはさせたくないと思ったのだろう。
でも、結局母は、高校から就職して、父の転勤のため一度は退職するわけなんだけど、私達子供がある程度大きくなってから、いろんな仕事をしている。それは、保育や教育に関係のあるもので、やはり、自分の親のしていた仕事に近いことをしていたわけだなあと思う。
私自身はと言えば、母がしていたように、子供が生まれたら仕事はやめてしばらく専業主婦になるんだろうなあと就職する前は思っていたのだけど、今の職場の上司が、出産後の職場復帰を勧めてくれ、思いがけずなんだけど、ずっと仕事を続けている状況である。
大学で学んだ事とは全く違う仕事なんだけど、家庭との両立が出来やすいということで続けている仕事である。
2004年04月03日(土) |
実家にある足踏みオルガンにまつわる話 |
私の実家には、一台の足踏みオルガンがある。私の母方の祖母が購入したものだそうだ。祖母は、私が生まれる少し前に亡くなったそうなので、直接は会ったり話をしたことはない。でも、母から、祖母の話はいろいろ聞いている。
祖母は、小学校の先生だったそうだ。だからオルガンが家にあるのか、というとそうでもない。購入したのは、小学校を退職してからだそうだ。当時は高価なもので、そう安易に買えるものではなかったんだろうということだった。
そのオルガンを買った動機というのは、もう小学校も退職し、家にいるようになって、自分の孫達とオルガンを弾きながら一緒に歌など歌いたいということだったらしい。でも、その願いは叶うことはなかった。
祖母にとっての初孫は私なのだけど、私が母のおなかの中にいた頃くらいに亡くなってしまったそうだから。
だから、オルガン自体もそんなに弾いていないのかもしれない。母の実家にあり、物置で誰に使われることもなく置いてあったものを、数年前、母がひきとったのだそうだ。
でも、あまり使われる事もなかったので、処分しようかと思う、というので、私はそのオルガンを弾いてみた。
昔の足踏みオルガン、電子音でない、木のぬくもりのある音というのか、実にいい音がする。ただ、長い間使われていなかったせいなのか、数カ所、音の出にくいところがあった。
これを捨てるなんてもったいない、と私は思った。こんなにいい音の出るオルガンを捨てるなんて・・。
というわけで、それまで、実家の物置部屋のようなところにあったオルガンは、今は実家の一番いい部屋に置いてあるのです。
ヤマハシステムコースで習っている子供達のピアノの発表会が先日行われた。我が子も、ジュニア上級科なので、参加した。
ヤマハシステムコースというのは、週に2回レッスンのクラスもあり、それなりに、レベルもある程度の曲を弾いていた。我が子に、先生から、発表会で弾く曲として言われた曲は、ブルグミュラーの「別れ」。今の我が子のレベルでは、ちょっと背伸びした選曲ではないかと思われた。それを話したら、子供は結構出来るもんなんですよ、大丈夫です、とのことだった。しかし、家で弾いているのを聴いていると、大丈夫かと心配になった。ある程度は、親もアドバイスしたり、練習をサポートしたり。
不思議なことに、家で練習している時に出来なくても、レッスンの時には、出来るようになるということだった。これは、先生の指導がいいのだろうか、本人のレッスンでの緊張感からだろうか。
ヤマハでは、指定のテンポで、ということをよく言われる。本人が楽に弾けて、聴いている人にも、それなりに雰囲気が伝わるのであれば、多少ゆっくり目でもいいと思うのだけど。グレードテストなどは、もちろん、指定テンポで弾くのが原則だけどね。
本人は、発表会前日の夜も練習していたが、指定テンポまでは速さは上げられなかった。それより私が気になったのは、速度が一定でないこと。三連符が乱れること。こちらをまず出来るようにしてから、の話だと私は思ったが・・。
でも、本番、客席で聴いていると、三連符が多少乱れているのも、会場でのピアノの残響音にまぎれて、家で聴いているほどには、はっきりとは聴こえなかった。それより、指がよく回っている、という印象だった。
本人もよくがんばったと思う。終わって私もなんだかホッとした。
これがシステムコースのピアノの発表会というものなのね。今年初めて子供も参加したのだけど、どういうものか、よーくわかりましたわん。
2004年03月09日(火) |
私や子供の周囲の人達などなど |
我が家には子供が二人いて、色々事情があって、別々の楽器メーカーが主催する教室でピアノを習っている。だから、ショップも、両方のメーカーを利用するわけなんだけど。
営業関係の人達って、どちらも、相手側の楽器を悪く言う。そういう方法でしか商売の仕方できないのかな?私は、どちらのメーカーの楽器もそれなりにいい点、悪い点あるのがわかってきたよ。
ピアノの先生だって、どちらがいい、悪いの問題ではない。いい先生はどちらにもいる。今習っている先生はどちらも、それぞれの子供に合っているし、また、どちらも、熱心に教えてくださっている。
生徒に誠意を持って当たってくださる先生であることが一番大事。もちろん、教える以上は、ある程度の演奏技術を持っていて、それをうまく生徒に伝授できること。
某先輩(芸大卒)のHPにも書いてあったけど、先生を選ぶのに大事なのは、「ブランド」じゃない、その先生の演奏や、教わっている事が自分に合うかどうかということだと。これは、芸大を卒業したからこそ、堂々と言えることなのかもしれない。多くの人が、やはりブランドにこだわることは事実。
我が子にも丁寧で熱心な先生というのは、他の生徒さんにも丁寧で熱心であるように思う。今のところは、どちらもいい先生についているなと思っている。
そういえば、ピアノ以外でも学校でも今の先生はいい先生だと思う。
私が趣味でもう一つやっているゴスペルの先生も、すごく熱心なのがわかる。でも、熱心すぎるがゆえ、今のクワイアの実力、見えていないんじゃないか・・と思うようなこともある。目指してレッスンするのはいいけど。
職場の上司も口は悪いが、いい人だと思う。
私の場合は今、周囲に恵まれていると思う。この人達とのつながりを大事にしたいと思う。
この地方に引っ越してきて16年、子供がある程度大きくなってからだけど、この人とのつきあいを大事にしたいと思える人達が増えてきたのはうれしいことだ。子供が小さいうちは、そういう時間も全くとれなかったから地元では孤独だったなあ。ネット友達が多かったのはそんな頃かな。晩、子供が寝てからネットでのやりとりでの友達がわりといたように思う。
今はネットよりも他での付き合いなどがやっと出来るようになってきた。
最近、西村由紀江さんのCDをよく聴いている。この方は、自分で作曲もするピアニストだ。子供のテキストにもソルフェージュ練習用に1曲載っていた。(曲は「オルゴールを聴きながら」)
CDを買ってプロフィールのところを見て気がついたのだが、この方、ヤマハのJOC出身だった。子供の頃より、演奏技術もかなり高く評価されていたらしい。
ヒーリング系というか、聴くと気持ちが落ち着く曲ばかり。同世代の女性の支持が多いと書いてあったのもうなずける気がする。
ピアノだけの曲もあったし、他の楽器とのアンサンブル仕立ての曲もあった。
最近、静かな曲もいいなあと思い始めた私なのである。
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