きっと どこかで
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2004年09月12日(日) 母退院

検査、手術のために入院していた実母が先日退院した。後は、自宅療養とのこと。抗ガン剤を飲みながら、通院治療となる。

そう、母はガンである。このことは、お医者さんから、本人へも知らされたのである。「昔はガンだってこと、本人には言わなかったのにねえー」と実母も不思議そうだった。

私にとっての救いは、子供達がある程度大きくなっていること。もう、母の手を借りなくてもなんとかやっていけそう。まあ、ちょっと手のかかる子もいるけど。その子も、最近よくなってきているように感じる。

思うようにならない、とはこのことか。出来れば、母の食事なども私が作ってあげられればいいのだが、外で働く仕事を持っている関係上、私も、自分の家のことで精一杯で、とても無理だ。せめて、旦那の帰りがもう少し早かったらと思うのだけど、これは、何度も話しているのだが、早く帰って来てはくれない。

まあ、今は実父が元気なので、面倒を見てくれるということになった。


2004年09月08日(水) 台風被害(高潮)

前回の台風で、香川県など、高潮の被害がかなり出た。(床上浸水、床下浸水など)高潮は、単なる水害だけでなく、塩分を含んだ水が来た、ということで、電気系統がダメになったものがたくさんあった。私の職場のあるビルも、1階は浸水の被害を受け、1階の事務所は、電気系統はダメになるし、パソコンなど電気機器も壊れてしまっていた。

なにより、驚いたのは、朝、通勤で道を歩いていると、道路が水であふれている。家も水につかってしまっている。どうも、夜中に浸水があったらしい。朝でも、70cmくらいは、水かさがあっただろうか。それが、なかなかひかないのだ。

道路は車で大渋滞していた。あちこちで道路が通行止めになっているものだから、迂回する車で、混雑していた。どこが通れるところなのかもわからず、迂回しているようだった。電車も一部止まっていた。

翌日から、復旧作業。家庭では、塩水に浸かって使えなくなってしまった、電気製品、においがひどくてもう使えない、ふとんやタンス、その他、いろいろなものの運び出しが行われていた。畳も取り替えないといけないので、それをはずして家から外へ運び出していた。

近くに競輪場があるのだけど、バンクの中に水が入ったらしく、ホースを使って外へ排水していたけど、3日ほどかかっていた。こんなこと、同じ市に住む人でも、地域が違うと実感がないようだ。実際間近で見ないと、わからないことなのかな。

2日目くらいから、自衛隊の人達も加わって、荷物の運び出しや、運送をしていた。その後、消毒作業を行う。そのにおいも結構きつい。

まあ、浸水する時に、下水や、トイレの水なども上がってくるのだろうから、そのにおいも加わるし、中の物体自体も上がってくるのだそうだ。(特に床上まで浸水している場合だろう。)

そこへまた、もう一つ、同じようなコースでの台風が来た。今回は、「土のう」を積んだりして、対策をしているところが多く見うけられた。前回よりは被害は少なかったようだが、それでも、また、浸水したところもあったようだ。

私の旦那は車のディーラーに勤めているが、先週は、塩水に浸かってしまった車の運送の手伝いをしていて、真っ黒に日焼けして帰ってきた。修理不可能な車も結構あるのだそうだ。修理費用の方が、購入費用より高くつく、ということだそうだ。だからといって、すぐに次の車が買える人はそういない。たいてい、家の修理や、生活必需品(冷蔵庫など)をまず、買い揃えるところからだし、今日現在でも、まだ、家の片づけが出来ていない家もまだあるそうだ。(手伝いなどの人手がないところなど)

地元では雨はそんなに降っていないと思っていただけに、高潮の被害には、突然で、ビックリしたところも多かったようだ。


2004年08月29日(日) 大学卒業生支部交流会

先週の日曜のこと。今年の大学の卒業生の支部交流会は、香川県支部、岡山県支部、高知県支部3県支部の合同交流会だった。この3県は、前から、合同で、交流会をしているらしい。

毎回、料理の講習をしているようである。今年の先生は、私が在学中にお世話になった、調理学の先生(教授)。今は、短期大学に異動されている。(こちらのほうが、通勤には便利だそうな。)

私は、この先生にはほんとにお世話になった。その頃の私は、グループでの調理作業というのが苦手で、2年生の時の単位がとれず、3年生で、2年生に混じってもう一度、再履修をしたが、これも苦手意識があり、どちらの時も、サボってばかりだったので、この時も単位がとれなかった。4年生になり、家で料理を三食一週間作って、写真を撮って出す、という課題を与えていただき、なんとかクリアで単位を取ることが出来た。

卒業してからは、栄養士として就職したが、調理作業の方が多い職場で、そこで、実践しながら、鍛えてもらった気がする。(栄養士が何人もいる職場だったので、まず、現場−調理作業 を経験すること、本来の栄養士としての仕事はそれをこなしながら、というところだった。)

今回の、講習の先生の名前を見たとき、在学中にお世話になった先生ではないかなと思った。地元香川県での講習だし、私も準備のお手伝いで早めに行っていたので、講習前に先生とお会いして、ちょっとお話することが出来た。

「先生にはお世話になったんですよ。」と、何年もかけて単位を取らせてもらったことなど話したら、先生は、覚えておられたよう。あの頃の私と今の私とみて、ちょっとは成長しているなと、思ってもらえたかな。何をしていいかわからず、洗い物ばかりしていた学生時代の私だけど、今回は、自分でも率先して、料理を作っていた。五種類の料理のうち、2つは、私も作業に参加したもの。

初めて作った料理ばかりだったんだけどね。でも先生によると、「在学中に作ったはずよ」とのこと。いやー、全然、記憶にございません、ホント。

今回は、地元の電力会社がPR用に作っている、キッチンフロアを使って、電磁調理器具を使っての調理だった。いつもガスなので、勝手が違うんじゃないかと思ったけど、コンロの操作方法を教えてもらいつつ、作業したら、そんなに使いにくさは感じなかった。逆に、こちらの方が、なべ底に、熱源がピッタリついている分、熱効率がいいのではないかと思ったりした。また、五徳だの、ないので、ふきこぼれた時のそうじもすぐ出来て、簡単なのではないかと思った。

電磁調理器具の使用が目的ではなかったのだけど、こういう体験もなかなか出来ないので、貴重な体験だった。火力を必要とする、中華なべを使っての調理は、IHクッキングヒーター(中華なべ用)を使ってやったが、先生にコツを教えてもらいつつやったら、きれいに出来あがった。

先生の感想は、出身大学の卒業生ばかりの講習なので、たいへん教えやすかった、と言っていただいた。

その講習会の後は、支部総会。支部長会の報告などがあった。

管理栄養士の国家試験の合格率が、そんなにいいとは言えないのだそうだ。やはり、学生が大学を選ぶ際にはそういうことも参考にしているかもしれないので、合格率を上げるような授業内容にもしていきつつ、また、今までの大学の持つ伝統もある程度大事にしていかなくてはならず、模索しているようにも見える。でも、国家試験にうかっても、実際、現場で役に立つ栄養士にならなくては、何にもならない気がする。

栄養士の分野は、とても広い。アメリカなどは、それぞれ、細分化された資格になっているらしいが、日本は、一つ。卒業してから、得意とか、興味とかそういうことで、いろいろな分野に就職していく。そこで、その分野の専門性を高めていく、といったところか。(病院栄養士、学校給食栄養士、事業所給食栄養士、保健所栄養士、などなど。)病院だって、病院給食もあるし、栄養指導もある。

私は、今は栄養士に関する仕事はしていない。以前は病院給食栄養士だったが、時間も不規則だし、(早番・遅番とかがある)子供に手のかかることもあり、出来ないなあと思っている。

でも、卒業生の集まりに行くと、何か、関係のある仕事がいいかなと思ったりもする。家庭生活では、役立っているけどね。とりあえずは、今の職場にまだしばらくいてもいいかなと思っている。


2004年08月17日(火) 母入院

私の母親が入院している。もう2週間くらいになる。先週手術をした。数日は、具合が悪かったらしいが、もう持ち直した様子。

今日で旦那の職場の休暇も終わり。私の父親の了解も得て、夜、家族4人で見舞いに行ってきた。今日は具合も良くなっていたようで、しばらく話をした。本人の話によると、手術直後数日は、「死ぬかと思った」と本人が言うほど、大変な思いをしたらしい。今日は穏やかで落ち着いていた。昨日まで付き添いをしていた父も、今日はしないとのこと。本人ももう付き添いなくて大丈夫だからと言ったかららしい。

母の入院で、私の生活も一変した。今までは母に頼れていたことが出来なくなってしまったので。私も、発作を起こして闘病生活(というとオオゲサ?)を続けていたけど、少しづつ快方に向かっている。もう母に頼らなくても出来る、というふうにしていかなくては、と思った。

夜に文化講座に行っていたのだけど、これは先生に話して、しばらく欠席すると伝えた。しばらくがどのくらい続くかわからないけどね。

私のように、夜の講座に、小さい子供を持つ母親が出席していたこと自体珍しいことだったのだ。だいぶ無理していたかもしれない、私も回りも。

いつかまた、って希望は捨てていない。なんでもそうだけど、願いは持ちつづけていれば、叶うものだと聞いたことがある。願ったその通りになるわけじゃないけど、それに近い形にはなると思ったことが何度かあった。

今の願いは、母の病気がよくなりますように、ということ。

入院して改めて、母の大切さがわかった。

でも、一番大変な思いをしているのは父かなあ。父もあまり無理しないように、と言った。


2004年08月10日(火) 山口で研修会

先週の金・土の2日間、職場の研修会で、山口県に行っていた。今年は、山口市である「ちょうちん祭り」に日程を合わせての会だった。お祭りに合わせての、職場の研修会というのは初めて。他では、よくあるらしいが・・。

ちょうどその日は、広島の原爆慰霊祭も行われていて、岡山からの下りの新幹線は混んでいた。今回は、初めて指定席を取った。今までは、ちょっとでも節約しようと、自由席で行っていたが、指定席の方が、必ず座れるし、安心ということで。それと、今までは、指定席料金を出してくれていなかったのが、最近、指定席料金で出張旅費を出してくれるようになったので。あとは、まあ、ずっと続いている私の持病関連でもある。

会議のメンバーは、去年とほとんど同じ。でも、今年は少し穏やかに会が進んで行ったような気がする。会議といっても、お互いに、議題を出し合い、それについて、あらかじめ、回答も用意してあるものを、当日話し合うというもの。それぞれの県支部の方の考え方も、その中から見える気がする。

翌日は、あきよしどうに、行ける人達と一緒に行った。山口県支部の方が、マイクロバスを用意してくれていた。この運転手さんが観光ガイドもしてくれた。目的地まで30分、中の見学は一時間、ちょっと持病の方の心配も少しあったが、今回は大丈夫な気がして、行くことにした。やはり、今のいつもより薬を多めに飲んで。今回は、ほとんど、予期不安はなかった。中の見学も、楽しめた。スケールが大きくて、すごいなと思った。今度は家族を連れて来たいと思った。

もう、私の病気のことは皆になんとなくわかっていて、「〇〇さん、身体弱いから気をつけて・・」と心配してくれる。あきよしどうの中に入る時、カーディガンを持っていこうかどうしようかと私がつぶやいた時に言われた言葉。うーん、身体が弱いのとはちょっと違う、今なかなか治らない病気になっていて、行動が制約されて、あまり無理が出来ないというだけなんだけど・・。まあいいか。

でも、もうだいぶよくなってきているから。今3種類の薬を飲んでいるけど、ドクターからは、「貴方は1日一回のみ服用の薬一種類のみでもいいと思いますよ」というような意味のことを言われている。もしかしたらほんとにそうかもしれないなあと思ったりしている。

よくなってきているのも、まわりのみんなのおかげ。さりげなく気遣いしてくれる人がいたり、ここまでは出来そうだからやってみなよ、と勧めてくれる人がいたり、体調が悪いときそれを理解して、出来ないのをわかってくれたり。

もうちょっとかな、かなり飲んでいた薬がここまで減らせたんだもんね。後は、少しづつ行動範囲を広げていく事、薬を飲みながらでも元のような生活が出来るようになればいいなあと思っているところ。


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