きっと どこかで
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2005年01月01日(土) エレクトーンフェスティバルなど

もう長いこと日記を書いてなかったのは、 パソコン不調、多忙等の理由である。

昨秋に行われた、ヤマハエレクトーンフェスティバルに、今年も、ヤマハで習っている子供と、私(親)それぞれ、別グループで出演した。

これは、アンサンブルのコンテストみたいなもの。審査があり、賞も出る。ただ、審査が行われるものは、審査員の先生の講評が、後で聞けるのが、今後、自分で楽器演奏を続けて行く上で、参考になり、よいと思う。それで、今年も、その審査員の先生の講評を聞くのが主目的で、最後の審査発表まで残っていた。

今年は、エクスペッションペダルの使い方について、話をされていた。

今年、私が参加した方のグループは、歌(ボーカル)が入っていたのだが、そのボーカルメンバーがなかなか決まらず、結局、私も、急遽、ボーカル担当することになった。ボーカルが入ると、そちらが、メインとなる。どうせボーカルやるんだったら、もっと、練習して臨みたかった、自分が出来る限りのいい状態でのボーカルを・・と悔いの残るステージとなった。そう、ボーカルは、私自身の状態は、決してよくなかった。もちろん、エレクトーンで弾きながら歌うのだから、ただ、歌だけよりは、難しいことなんだけど。

子供の方は、ほとんど私は家での練習を見ていない。最近ほとんどそうなんだけど。他のお子さん達のお母さん方が、先生にいろいろ質問しているのを見て逆に、私(親)がこんなにのんきでいいのかと思ったくらい。子供も楽しく通っているようだし、安心しているのだか・・。

私は、賞はあまり気にしていない。子供の頃の賞は、指導している先生によるところが大きいからだ。本人の実力と勘違いしてはいけないと思っている。

エレクトーンフェスティバルの後、ジュニアオリジナルコンサートがあった。今年はグループで参加。一応作曲の発表会なのだが、我が子に聴いたら、自分の作曲したものではないとのこと。グループの他の子の作ったものらしい。まあ、グループでの参加を選択したのだから、そうなってもしかたないよね。我が子は、自分の担当パートを、丁寧にしっかりと弾いていた。


2004年11月16日(火) テレビ(ドラマのドキュメント)

先日放映された、ダウン症のお子さんの家族を描いたドラマのスペシャル版、というのがあった。ドラマの撮影の裏話とか、原作者のこととか。

私は、実は、そのドラマ自体は見ていない。後で、こういうドラマがありましたよねー、っていう話を聞いて、知ったくらい。あまりテレビの番組表とか見る方でないので・・。あと、テレビも自分の見たい番組しか基本的に見ない主義。というか、そのくらいしか、テレビの前にいられない、という現実もある。

テレビ見るより他に、やりたいことや、やらないといけないことがたくさん私にはあるから。

今日のテレビで知った事、ドラマには、本当のダウン症のお子さんが、出演されていた、という事。

原作者の方は、家族で過ごした様子を、ずっとビデオに撮っておられた。それを、合間で流していた。この親子が子供と向き合った姿は素晴らしい、と思った。愛情一杯に育てられた、お子さんといった感じだ。

さて我が家はどうだろうか?

親の愛情を子供達は感じてくれているのだろうか。両親とも忙しく働き、子供と接する事も少ない・・。もっと子供と向き合いたい、と思うが、なかなか出来ない。私もあまり丈夫じゃないし。

あまり無理もできない状態だからね。

松田聖子演ずる母親が、ある時、「もう疲れた」と言って入水自殺しようとするシーンがあった。

あの気持ち、なんとなく、今日は、私もわかる気がした。今風邪気味で気力低下しているせいもあるかも。風邪の時は、いつも、もう私は、このまま死んでしまうのでは、と思うことがある。なんか、今やってること、どうでもよくなるんだよね。

また、元気になったら、そんなことは、思わなくなるんだけど。まだ、しばらくかかりそうだ・・。


2004年11月07日(日) 今更ですが香田さんのこと

香田さん。イラクで殺害された、日本の若者だ。

自業自得って言っている人もいるけど、あの状況の中で、イラクに行った意味は、あの青年にとって何だったんだろう。自分探しのような、外国放浪生活・・。

両親、兄とも、ごく普通の家庭のようだった。両親は、お子さんが殺されたとわかった後のテレビのコメントで、「一人の青年の為に、いろいろ手を尽くしていただいてありがとうございました」というような意味の言葉を言っていた。

自分の子供が殺されてなお、頭を下げる両親、親の気持ちを思うと、せつないですね。

何も悪いことをしたわけでもない、青年を、自分の主義だか主張だかの為に、殺すことが出来る人達・・。こんな人達が生き続けていける世の中、というか、そういう国が、イラクなんだ、と私は思う。

アメリカが、テロ集団に攻撃をしかけて、潰そうとしているが、おそらく、出来ないだろう。潰しても、また、第二、第三と同じようなグループが出来るだろう。イラクは、歴史的に見て、そういうことが繰り返されてきた国だ。

でも、あの、アメリカでのビルへの飛行機の衝突を起こし、何人もの人が犠牲になって死んだ。それに対するある程度の報復はしてもいいだろう。

しかし、結局、潰してしまう事は無理だ・・。

世の中にはいろんな考え方の人がいて、今の生活に満足している人もいれば、不満を持っている人もいる。まあ、ごく多数の人は、多少の不満は感じつつも、ガマンをしていたりとか、すでにあきらめて、しょうがない、とそれなりに、納得をしていたりとかしながら、生活していると思う。

ただ、私が思うには、考え方の違い、と言うのは、どうしようもない。いくら話しても、それぞれに、主張があるわけで、変えることは、ほとんど不可能に近い、と思う。

まあ、だいたい、同じような考え方の人間達で集まって、グループを作り、生活をしている、というのが、今の世の中なんだろうと思う。

ただ、その中に浸かりすぎると、回りが見えなくなってしまうわけで、たまには、外の世界(違う考え方の人)との交流も必要かと思う。

でも、分かり合えないのだ、と頭に置いた上でした方が、気が楽だ。

アメリカも、ボチボチ、イラクからの撤退を考えているのではないかと思う。もう十分なのではないか、報復も・・。多くの犠牲者を出したことを思うと・・。


2004年11月01日(月) 旦那の仕事の休日

私の旦那は、ここ1年以上、月曜日が、休みである。旦那の職場には、休みというのは、ないらしい。みんなが、交代で休みをとるらしい。それで、旦那の場合は、月曜日が「指定休日」ということになっているらしい。

これが、私には、今のところ、結構助かっている。旦那が休みの月曜日だけは、学校から帰った子供の宿題を見たり、確認をしたりということをしなくてすむからだ。それと、この日だけは、いつも宿題をするのが遅い子供の方も、早く宿題を済ませている。やはり、我が家の場合は、子供達にとっては、「お父さんは恐い存在」らしい。

まあ、旦那自慢になるかもしれないけど、子供時代に家業を手伝っていた影響で、身体はがっしりして筋肉質なので、見た感じも、子供は恐いかもしれない。でも、子供にも、私にも、暴力を振るったりしたことはない。本気でかかってこられたら、恐いな、と私も思うけど・・。

また、平日に行かないといけない用事などがある時、頼める、ということもある。今は、自治会のお世話係りの当番になっているのだけど、その仕事の一つに、市報の配布というのがある。月に2回、市の出張所までもらいに行き、それを配る。その取りにいく仕事を、時々、頼むことがある。うまく、月曜日に合う時だけだけど。

後は、月曜日は、旦那が夕ご飯を作ってくれる。メニューはいつも同じ、カレーなんだけどね。「おとうさんの作るカレーはおいしい」と子供にも好評なので、旦那もやるきを出してくれている。

私は、カレーはお父さんが作ってくれるもの、ということにしておくため、わざと、自分の作るメニューからは、はずしている。

旦那が作ってくれるので、私は、帰ったらすぐ食べられるので、その日は、他の用事も出来る。これも、親子でやってもらっているのがある。それは、子供の服の整理。くつ下など、結構合わせるのが大変だったりする。これを、旦那と子供達にやってもらっている。その間に私は自分の服の整理など・・。これから、しばらくは、夏物を片付けながら、秋・冬物を出していくことになるんだろうなあ。

旦那の帰りの早い家庭は、毎日こんな生活をしているのかもしれないけど(どれだけあるんだ、そんな家)我が家は、他の日は、母子家庭も同然の状態だ。

でも、用事がある時は、携帯電話で連絡を取り合ってはいるけどね。


2004年10月31日(日) ランドセル忘れ

夏休み開けの頃だったので、9月の話になるんだけど。

軽度発達障害の一つの診断を受けている子供の方が、ランドセルを学校に置いたまま帰ってきた。
理由はわからない。

夏休みの終わりくらいから、私は、実母にしてもらっていた、夕食を作り始めるようになり、以前のように、その子供にかまってやることは出来なくなった。

前は、帰ったらすぐ、宿題を見てやったりしていたのが、まず、夕食作り、それから、子供の宿題の確認、という風になり、宿題も、以前は、私と一緒にやれていたのが、「夕食を作らないといけないから、その間に宿題をしておきなさい」という風に変わった。

そして、夕食を作っている間に宿題をさせて、その後、宿題が出来ているかどうか確認することもなく、食事を済ませ、風呂に入れて、寝かせるという日がしばらく続いて、連絡帳を見たら、どうも、宿題をしていないらしい、ということが分かった。

それから、宿題が済まないと、夕食は食べられない、とその子供に告げた。そのくらいしないと、その気にならないのだから。でも、宿題を見てやる時間は、取れなかった。こちらも、久々に、平日の夕食作りを始めたこともあり、また、他の家事も、しなければいけないことも増えたので。

そんな日々が続いた日、「宿題をしなさい」と言って、夕食作りを始めた私。その子供は、とりあえず、勉強部屋へ行った。宿題をしにいったのだとばかり思っていたが・・。夕食作りが済んで、宿題が出来たのか聞いたが、出来ていない様子。こちらも、他の用事もあるので、先に食べ始める。私の食事も済んで、もう一回声をかける。まだ、終わっていないとの返事。どうも様子がおかしい・・。もう一人の子供に確認してもらったところ・・「どうもランドセル持って帰ってないみたいだ」とのこと。

それから、本人に確認。やはり持って帰っていないと言う。夜遅い時間帯ではあったが、とりあえず、学校に電話。教頭先生が電話口に出られた。今から行ってもいいというので、車を飛ばして、子供も一緒に学校へ。

ランドセルは、教室の、後ろのロッカーにそのまま、置いてあった。

ランドセルを持って帰らないと宿題をしないで済むとでも思ったのかもしれない。

帰ってから、急いで宿題をさせた。その気になれば、すぐ出来るのだ。わからない、というわけではない。

それからは、宿題をやらない、というのは、絶対ゆるされないことなのだ、と言うことが本人も理解できたらしく、宿題は必ずやるようになっている。

しかし、私が夕食を作り終えてから、やり始めるのだ。

私は、帰ったらまず、この子供に、宿題済んだのか、と声をかけ、済んでないなら、すぐやりなさい、と勉強部屋へ向かわせている。また、夕食を作る前にも、宿題が済まないと食事はできないと話をしている。毎日である。

でも、いつも同じ。

宿題をさせるには、とりあえず、この方法しかないのだが、おかげで、この子供が夕食を食べるのは、遅くなってしまっており、後片付けにも影響している、ほんとは早く食べて欲しいのだ、その方が片付けも早くできるのに。

今日も、私ともう一人の子供が食事を食べ終えた頃、宿題が出来た、と言って食べに来た。時間がかかる、というのではない、他のことばかりしているのだ。

毎日がこの繰り返し・・。


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